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最近の記事

20年推し続けた、父親と同じ歳のミュージシャン - 菊地成孔と少しだけ大人になった自分のこと

先日、阪急梅田ホールで行なわれた菊地成孔とぺぺトルメントアスカラール20周年記念公演『香水』に参加してきた。このバンドを機にファンになったから、菊地成孔のファンを始めて20年経ったことになる。20年いろいろあったので、これを機に菊地成孔との出会いを振り返ってみる。まだ「推し」なんて概念も、スマホすらなかった時代の話である。 2005年当時私は高校生で、デザイン科に通い、Thee Michelle Gun Elephantが好きで、ブレザーにジョージコックスのラバーソールを履

    • ある日、悪夢を所有してしまったら - Roadsteadと黒沢清『Chime』

      15000円を払って悪夢を所有した。 前回の記事で今年は黒沢清イヤーになるということ、その中でも新しいプラットフォームRoadsteadで展開される『Chime』が気になるということを書いた。4月12日に無事発売となり、先日購入した。 たった45分に3大怖いものを詰め込んだという触れ込みと、ワタシがジャンプスケアが怖いので劇場で観れないということ、観る覚悟ができたとしても劇場公開は夏以降になること、Roadsteadでどのようにレンタルやリセールなどの取引ができるのかが気

      • それぞれの道義的呵責で作られた地獄 – 『オッペンハイマー』

        道義的呵責というのは、結果に対してもたらされるものである。つまり事が行われた先にある後悔。もう結果は出ている。変えられない過去なのである。 2024年アカデミー賞を根こそぎ受賞していった『オッペンハイマー』を観た。日本における公開が難しかった本作であるが、確かに日本人としてみた場合は、ゾッとするような描写や怒りを覚えるセリフも登場する。史実だからどうしようもないし、この先も公開されなかったという世界線にならなかったという意味でビターズ・エンドさんはよくやってくれたと思う。ク

        • 境界線にある半透明の恐怖 - 黒沢清についての覚書

          基本的にホラーが苦手である。音や映像でびっくりさせるジャンプスケアが主な原因なのだけれど、まあとにかく苦手である。 しかし、想像したことのある納得感のある恐怖は何となく分かる。それが構図や美術、ロケ地などがバシッとハマっていて美しいなら、むしろ見たくなってしまう。その監督が黒沢清である。 最初に見たのは『回路』か『アカルイミライ』だったと思う。存在しているかしていないかの境界線のような物体や人間らしきもの。これを正確に捉えて描き出すのが上手い監督だと思った。 『トウキョ

        20年推し続けた、父親と同じ歳のミュージシャン - 菊地成孔と少しだけ大人になった自分のこと

          芸術というタイムマシン - 『瞳をとじて』

          31年。 ビクトル・エリセは長編を作るのにこの時間をかけた。今の自分には途方もない時間に思える。単純にその間どうやって暮らしていたのかも気になる。しかし、歳を重ねるごとに1年が加速度的に早くなっていることに気づく。彼にとってあっという間だったのだろうか。そう思いながら鑑賞した。 結論から言うとこの時間は必要だったように思う。物語が持つ静謐な余白と記憶について。贅沢な169分だった。歳を取るというのは、それだけ戻れない時間(=ノスタルジア)が増えるということになる。実人生の

          芸術というタイムマシン - 『瞳をとじて』

          歴史は誰かの悲しみで出来ている - 『ラストエンペラー』について

          かつて奈良に住んでいたことがある。徒歩で平城宮跡に行ける距離で、あの広大な草原(としか言いようがなかった。まだ平城遷都祭もなかった頃だ)を、ただ時間をやり過ごすためだけに使っていた。住まわせてくれた祖父母も亡くなり、家は売りに出され、とっくに別の誰かのものになっている。 もう誰も住んでいない、ただの広い空間。ラストエンペラーの最後の紫禁城は、まさにその空虚な空間であった。不自然で、美しく、切ないあの時間が戻ってきたようだった。 大名作なのであらすじを書く必要はないが、とに

          歴史は誰かの悲しみで出来ている - 『ラストエンペラー』について

          この世界の見え方が違う、ということを許容できるのか - 『ボーはおそれている』について

          多様性というある意味では平和、ある意味では心の機械化に関する言葉がある。先のポストで怒りについての話に触れたが、「怒ってはいけない」というやさしい暴力のように感じる。 もちろん生きる権利は誰にでもある。主張する権利も。だけど、差別する感情は差別されて良いことになっている。多様性の中では忌避されるべきものに勝手になっている。差別は良くない。良くないが人間とはそもそも、そういった感情を持っているはずではないのか。 『ボーは恐れている』は、いま最も重要な監督のひとり、アリ・アス

          この世界の見え方が違う、ということを許容できるのか - 『ボーはおそれている』について

          怒りについて - 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』とキップ・ハンラハン

          先週末はアップリンク京都に2日続けて居た。映画史的に重要だとされる2作を観るために、2時間半を捧げてきた。(ちなみにもうひとつの映画は『ラストエンペラー』だが、これはまた別の投稿にする) 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』を監督したのは、ハンガリーの名監督タル・ベーラである。7時間の叙事詩『サタンタンゴ』の次に撮った作品で、なんと2000年の作品である。全然見えない。もっと遥か昔の作品に見える。 作品について簡単に言ってしまえば、貧しい街と人に襲いかかる暴力(他所からやっ

          怒りについて - 『ヴェルクマイスター・ハーモニー』とキップ・ハンラハン

          公正でいることは難しい – 『哀れなるものたち』のこと

          いちどフェミニストと口論になったことがある。 お互い酔っ払っていたし彼女も覚えていないだろうけど、主に仕事における男女平等の話だったと思う。彼女とはそれっきり会っていないが元気でいるのだろうか。 社会は昭和のシステムで出来ている。それを令和に急激にアップデートすると負荷が生じるから、いまは平成を少しずつ辿っているような感覚だ。それを引き合いに出生率が下がったりするからやっぱりダメだという論調がある。事実自分も未婚だし子供を育てられる自信はない。 『哀れなるものたち』は性善

          公正でいることは難しい – 『哀れなるものたち』のこと

          最初で最後のゴダール

          ゴダールには間に合わないことが多かった。 『ソシアリスム』『さらば、愛の言葉よ』『イメージの本』は新作公開で行けたはずだ。『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』のリマスターも間に合ったはずだ。でも行かなかった。 だから今作が最初で最後の新作で間に合った作品になる。 近年3時間超えが話題にもならないくらい長時間化する映画界で20分の大作。公開初日の1回目、最前列で観てきた。自分にとってゴダール作品は、散文詩のような、何か示唆的なような、でも何も言ってないような膨大なテキストと、

          最初で最後のゴダール

          気づいたら映画館ばかりにいた

          自分としては珍しいことである。(ここを更新することも含めて) 昨今の4Kリマスターやリバイバル上映にまんまと乗せられて、気づいたら毎日のように映画館にいる。 1.『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1991年/129分/ジム・ジャームッシュ監督/リバイバル上映) 2.『ストップ・メイキング・センス 4Kレストア』(1984年/89分/ジョナサン・デミ監督/リバイバル上映/京都シネマ, TOHOシネマズ二条) 3.『哀れなるものたち』(2023年/142分/ヨルゴス・ランティモ

          気づいたら映画館ばかりにいた

          伝えるためのこと

          京都造形芸術大学 情報デザイン学科で教鞭を取り始めて、今年で2年になりました。毎週の授業もとてもやりがいがあるのですが、それとは別に【Tsutae】というプロジェクトを企画して実行しています。学生主体の学科広報を編成し、学生目線の広報を発信することで、新しい学科の価値を模索するようなプロジェクトです。 大学広報の一般的な「授業を行ない、こういう作品ができた」という教員目線から、「授業を受けて、こういう作品をつくった」という学生目線に切り替えることで、受験生には身近であり

          伝えるためのこと

          尾州地区でジャズを演奏すること

          2017年より、愛知県一宮市の市民ジャズ楽団【The BISHU Jazz Orchestra】のディレクターをしています。デザインの役割として、手に取れるものやデバイスで閲覧するものだけでなく、バンドの見え方や地域での役割などを設計するという新しいチャレンジをしています。 もともとジャズ仲間からの依頼で、「地元でビッグジャズのバンドをつくりたいと思っていて、デザインなど含めてお願いしたい」という話でした。当時まだ名前もなかったバンドの、一回目の打ち合わせで「尾州生地で

          尾州地区でジャズを演奏すること

          自分のことを記述すること

          自分のことを説明することが増えた時に、自分のことを整理して理解しておくことは大事なことだと思う。なので日記的に自分の仕事について記述してみることにした。 普段自分がWebサイトのディレクションをする時に「続けて書くこと。習慣化すること」という話をしているけれど、人に行っているばかりでは説得力も欠けてしまう。 assembleという屋号で仕事をしていること。最近はデザインだけでなくディレクション業も行なっていること。アートディレクションよりクリエイティブディレクションが向い

          自分のことを記述すること