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漂白された地続きの現実 - 『関心領域』

ラストシーンにハッとした。これは劇映画ではない。劇映画だと思い込もうとした自分がいた。すべて実際に起きたこと。そして今もそこに従事する者がいる。関心があるフリをしていた自分がいることが明るみに出てきてしまう。

恐ろしいほど冷酷なカメラワークと地獄のような音響で展開される『関心領域』。誰でも観ることが出来るG判定の映画で、ここまで残酷なことを表現できるとは。もう観たくないが圧倒的に良かった。(もう観たくないという感情さえも弾劾されてしまうような雰囲気があるが)

退屈なホームドラマの後ろにずっと叫び声や怒号、銃声、誰かが絶命する音がする。そして空を、水を、庭を灰が埋め尽くしていく。展開に集中し始めることでだんだんとその色や音が気にならなくなっていく。異常な状況に慣れ始めた矢先に、引き戻しが起こる。また恐ろしい音が聞こえ始める。人間の残酷さはこんな音がするのだ。薄くベールがかかったように腐臭や人が焼ける匂いが画面から染み出してくる。逃れられない。

強迫的なまでに「洗う」ことで、己の罪を浄化しようとする。彼らは言う。「これが終わったら、畑を作りましょう」。そんな平和は彼らには来なかったのだ。戦争とはそういうものだ。正義も悪も勝者も敗者も、全員ツケを払わなくてはならない。そこからは誰一人として逃げ切れない。ガス室のスイッチを押した者にも、犠牲の上に成り立った暮らしを守りたかった者にも、聖なる行いとしてリンゴを置いた者にさえも裁きは下るのだ。

どれだけ洗い、執拗に漂白しても消えないシミ。良心の呵責に苛まれ嘔吐したあとに、ある恐ろしい映画的展開を経て、この映画は幕を閉じる。しかし現実はそのまま続き、都合よく幕は閉じてくれない。虐殺されたユダヤ人の山のような遺品やガス室は今もなおアウシュビッツにあり、人の手によって守られて展示され、人々の目に晒され続けている。

漂白された現実と人生は続いていく。消えないシミを抱えたままで。関心があるフリをして。

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