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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第一話 金魚屋との遭遇

未練を持って死んだ魂は金魚になる。
石動秋葉が生まれた日、双子の兄・春陽と女児・渚沙が病死。
生きた秋葉を逆恨みした渚沙は、金魚になり秋葉の魂を食うが、春陽も金魚になり秋葉を守る。
十九年後、春陽が力尽きる。渚沙は秋葉の魂を食い、金魚になる悪夢として秋葉を襲う。
そんな時、金魚を知る御縁叶冬と出会う。叶冬は金魚に関わり失踪した親友雪人を探していた。
二人は調査し金魚屋に辿り着く。
金魚屋は《金魚の弔い》で渚沙を昇天させ、秋葉と春陽を救う。
雪人は金魚屋に保護されていたが、外では生きられなくなっていた。叶冬は金魚屋として活動を決意。秋葉も叶冬を手伝い、新たな日常を始める。
金魚に囚われた二人のバディミステリー。


 金魚は空を飛ばないと知ったのは、小学校三年生のころだった。

 教室に大きな水槽が置かれ、金魚を飼い始めた。クラスメイトは皆嬉しそうにしていたが、俺は不思議で仕方なかった。俺の人生では、金魚は水の生き物ではなかったからだ。
「なんでこいつら空飛ばないんだ? 水の中じゃ死んじゃうじゃないか」
「なに言ってんの、秋葉あきは。金魚は飛ばねーよ。魚はえら呼吸だろ」
石動いするぎくんてロマンチックなのね~。好きだよ、そういう可愛いの!」
 笑うクラスメイトから『みずのいきもの』という図鑑を見せられて、金魚が水の生き物だとようやく理解した。
 それでも、俺の空には金魚がいた。どんな言葉を綴られても、金魚は空の生き物だった。

「うわっ!」
 朝七時、起きたら目の前に、二匹の金魚がいた。
 金魚は、自由気ままに飛ぶ。俺の都合はおかまいなしだ。十九年以上も共生してきたので怖くはないが、単純に驚きはする。
「寝起きドッキリはやめてくれって、いつも言ってるだろ」
 こいつらは、物心ついたときから俺に憑いている。もはやペットに近い感覚だが、声を発しないので意思疎通はできない。霊魂の類いなのか、姿はあれども実態はなく、金魚には触ることもできなかった。なにを言っても、完全に俺の独り言だ。少しばかり虚しい。
 痛くもかゆくもないが、一つだけ困ることがある。布団を出てトイレへ入ると、二匹もすいっと付いてきた。
「お願いだから、寝起きとトイレはやめてくれない?」
 ズボンを降ろすときも用を足す瞬間も、ずっと右肩辺りを飛んでいる。金魚は配慮なんてしてくれない。諦めて用を足して部屋に戻っても、俺の傍にいた。恥ずかしくて睨んでみるが、金魚たちは表情ひとつ変えない。
「まったく。トイレにまで付いて来るのは、どういう目的の幽霊なの」
 調べようもないので、自分は一風変わった霊能者なのだと、メディアコンテンツで活躍する特殊能力者を見て自分を納得させた。
 着替えてノートパソコンを鞄に入れると、部屋を出る。一人暮らしなので、ちゃんと鍵がかかっているかを確認して大学へ向かった。

 俺の通っている梓川大学は駅から徒歩十分、一人暮らしをしている自宅マンションからは徒歩三十分といったところだ。駅を挟んで反対側のため、改札を抜けると生徒らしき人々が流れを作っている。流れの中には、もちろん金魚もいる。
 空を飛ぶ金魚には二種類いる。赤系のいわゆる『金魚』と、黒い『出目金』だ。色は違うが行動に違いはない。
 だが行動には三つの種類がある。一か所でじっとしている『浮遊』と、広範囲を泳ぎ回る『遊泳』。そして、俺の二匹のように人間についていくパターンだ。金魚がついて回る人間を、俺は『金魚憑き』と呼んでいる。だからどうということはない。なんとなくだ。
 人間と金魚を眺めながら駅に向かうと、電車が地上を走り抜ける姿が見えた。当然、車輪は線路を駆け抜けていくが、俺には少し恐ろしい光景でもある。
「線路にくっつくのやめてくれないかな。潰されそうで怖い……」
 触れないのだから轢かれることはないだろう。だが、俺は空飛ぶ金魚を物体として認識している。実際に触って『触れないな』と確認するまでは、野良猫が線路に入り込んだのと同じように感じてしまう。
 電車が空飛ぶ金魚に体当たりする瞬間、怖くてパッと目をそらした。電車が走り去ったのを見届けてから線路の金魚を見ると、なにもなかったかのように浮遊していた。実際なにもなかったのだろうが、何度見ても慣れない。
 人間は空飛ぶ金魚に危害を加えない。金魚も人間に危害を加えない。ただ両者そこにいるだけ――それが俺の世界構造だった。

 大学につくと教室に入って席に座る。鞄を椅子に置いて、さあ一限目だ――そう思った次の瞬間、俺は水の中にいた。
 体があたりをゆらゆらと揺蕩っていて、夢だな、と朧気に認識した。揺りかごにいるようで気持ちいい。だが、水中で呼吸はできないはずだ。呼吸ができる特殊な水なのだろうかと、手を伸ばして俺を包む水を掻いてみても、特別な感覚はない。指先に水が絡むだけだ。他になにかないか見回すと、自分の足が目に入った。足だが、しかし人間の足ではない。
 肌色の腕はある。指もある。俺は人間だ。でも足首から先は、金魚の尾びれだった。俺の足は、真っ赤な金魚になっている。
「わああああああああああああ!」
 金魚になった恐怖で飛び起きた。俺は教室に戻っていて、授業中の教師と生徒の全員が俺を見ている。俺は恥ずかしくなり、頭を下げ隠れるように背を丸めた。
 授業が終わると、生徒たちは俺を横目に笑いながら去って行く。腹の立つ行動だが、笑われても仕方ない。諦めのため息を吐くと、コンッと後ろから頭を小突かれた。大学に入ってできた、友人の江藤えとう隆志たかしだ。
「盛大に寝ぼけたな。けど大丈夫なの? 倒れるみたいに寝るよな、アキって」
「ちょっと、夢見が悪くてさ。夜なかなか寝れないんだ」
 隆志と話をしながら、そっと、布団に隠れた下半身を確認した。汗で湿った気持ち悪さは魚を思わせるが、ちゃんと人間の足がある。靴下の中で両足の指を一本ずつ動かしてみると、思い通りに動いてくれた。
 まだ人間だったことに安心して、俺はようやく隆志に笑顔を作ることができた。
 初めはただの夢だと思ったが、今はただの夢ではないと確信している。
 夢の自分は、少しずつ金魚の割合が増えていた。最初は足首から先だけだったが、侵食し、太ももまで金魚の尾びれになっている。日によって金魚になる部分が違うのなら単発の悪夢だと割り切れた。状況が少しずつ進む夢なんて作為的だ。それとも、俺は陸の生き物ではなく、本当は空の金魚だったのだろうか。
 夢と現の境がわからないまま、俺は金魚へ生まれ変わる日に怯えている。
 俺の金魚事情など知らない隆志は、心配そうな顔をして、手でパタパタとあおいでくれる。頬を撫でる風がひやりとして、寝汗をかいていたことに気が付いた。夢の水がリアルなのは、汗で体が湿っているせいで、金魚のせいではない――と願う。
「大丈夫だよ。有難う、隆志」
「ならいいけど。体調平気ならさ、これ付き合わない? 日舞サークルに、浴衣レンタルのサクラ頼まれてんだけど、どうせなら御縁みえにし神社の夏祭り行こうかなと思って」
「サクラってなに?」
「客寄せだよ。全然、客こないんだってさ。だから、借りて『浴衣レンタル最高!』って騒いでくれってね」
「ああ、そういう。隆志、ほんと顔広いよね」
 隆志は、一枚のチラシを見せてくれた。赤毛の青年が神社で浴衣を着ている写真が載っていて、派手な髪色は日舞とはかけ離れているように感じる。下部はレンタルの貸し出しの控えになっていて、名前を書く欄がある。『梓川大学』と、大学のロゴマークまで印刷されていて、学校の公式的な活動のようにみえた。
「アキ、ここ地元じゃないよな。御縁神社の夏祭りって、結構すごいんだぜ。行かない?」
「へえ。行きたい。浴衣なんて子どものとき以来だよ。ちょっと嬉しい」
「じゃあ決ーまり。よかった。一人で浴衣着るだけなんてアホじゃん?」
「悲しくはあるね」
 授業を終えて日舞サークルへ行くと、意外にも客は多かった。とくに女子生徒は列ができている。反して男子生徒は少なくて、たしかに客寄せのサクラは必要そうだ。
 着付けをしてもらうと、悪夢も忘れて心が躍った。夏祭りに浴衣は非日常だ。友達と一緒に、目を奪われる物に囲まれると、どんな悪夢も忘れられる。
 俺は黒地に縞の浴衣と、献上柄の白い角帯を着付けてもらった。隆志は「もっと派手な柄が良かった」と言いながら、濃紺の浴衣と献上柄の黒い帯を着こなしていて格好良い。
 まだ夕方に差し掛かったばかりで少し早いかと思われたが、待ちきれず御縁神社へ向かうことにした。

 御縁神社に到着すると、想像よりもはるかに人が多かった。参道には屋台がずらりと並び、いろいろな食べ物の匂いが入り混じっている。非日常の雰囲気に胸が躍った。
 活気付いている光景に隆志はテンションを上げているがが、俺はメインだという展示を見て脚が震えた。
「あれ……」
「すごいだろ! 御縁神社ご自慢の大水槽!」
 展示されていたのは、数えきれないほどの水槽群だった。すべてに金魚が入れられている。立方体や円柱など、さまざまだ。並びはランダムで、子どもが適当に積んだのようにみえるが、おそらく計算し尽くされているのだろう。美術館のように美しい。
 水槽の水には神社内を彩る赤い提灯の光が射し込み、光を反射する金魚はまるで宝石だ。人間を見下ろすように取り囲んでいるけれど、透明な美しさの効果か、圧迫感はない。
 昼から夜へと、移りゆく空の色が透ける水槽群の美しさに人々は感嘆の声を上げているが、俺の脚はがくがくと震えていた。
「……なにこれ。街中の神社がやるには派手すぎるでしょ」
「だから名物なんだって。有料のアートアクアリウムもびっくりよ」
「でも、なんで金魚なの。別に金魚入れる必要なくない?」
「神社の人が金魚好きなんだよ。金魚すくいの屋台出してるんだけど、それも名物なんだよ。こっちこっち!」
 俺は数多の金魚に圧倒され動けずにいたが、隆志が肩を組んできて進行方向をぐるんと変えた。隆志の自由奔放な強引さに振り回されることも多いが、今は頼もしい。俺は隆志の腕にしがみ付き、逃げるように水槽群を後にした。
 隆志が向かったのは、屋台が立ち並ぶ大通りだった。綿飴やりんご飴など、お祭りでしか見ない屋台が立ち並んでいるが、隆志はすべて通り抜けて、ずんずん進んでいく。
「いたいた! あそこ! あの屋台のオッサン見てみ!」
 隆志の指差したのは、屋台ではなく女性の群れだった。あの中に金魚すくいの屋台があるのだろうが、妙に感じた。十代の若い少女もいれば子ども連れの母親もいるが、全員からきゃあきゃあと黄色い声が飛び交っている。金魚すくいとは頬を赤く染めるほど盛り上がるものだろうか。
「よーし! 俺たちも行くぞ! じかに見なきゃ駄目なんだ、これは!」
「わかったわかった。行くから、ゆっくり」
 女性ばかりの中へ突っこむ隆志に手を引かれ、人を掻き分け最前列へ顔を出す。
 視界に飛び込んできたのは、黒地に色鮮やかな菊水が描かれた女性用の着物を、袖は通さず肩に羽織った人物だった。服はワイシャツに黒いベスト、ノータックで細身の黒いパンツを履いている。
 男だ。女性用の着物を持っているけれど、男だ。
 どういうつもりの服装かわからず男の顔を見ると、女性が歓声を上げていた理由が理解できた。
 隆志がオッサンと呼んだ男は、息を呑むほど美しかった。恋愛対象は女性の俺ですら、目を奪われる美貌をしている。肩に付かない程度に長い髪をハーフアップにした現代風の髪型で、とろりとした薄墨色の髪は高級な絹のようだった。
 イケメンというよりは美人、格好良いというよりは綺麗。とはいえ女に見えるわけではなく、男と断定するには迷う。形容しがたい美しさに、俺は金魚を忘れて釘付けになった。
 男は順番を守らず登場した俺に、一瞬きょとんとしたが、たおやかに微笑むと、白く細長い指で俺の頬を撫でた。
「ようこそ、金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ」
「……え?」
 男の名乗りを聞いて、さあっと気温が下がったように感じた。
 俺はこの男とは初対面だ。お互い、存在を認識していないのだから、待っているはずがない。それでも待っていたのなら、この男は一方的に俺を知っていたということだ。いつから、どうして、誰かに聞いたのか、なぜ聞いたのか。
 前触れもなく撫でてきた金魚屋の男の指先は、死んだ魚のように冷たかった。
 まるで水中から掴み出された金魚のように、金魚屋の男の妖しい微笑みから目をそらせずにいた。



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