見出し画像

「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十一話 金魚屋を知るもう一人の生者

 俺と店長は、鹿目浩輔がいるという北条大学へ来ていた。特筆する物のない校舎で、パラパラと生徒らしき若者が歩いている。開門されていて、警備員が一人立っているがそれだけだ。普通だ。普通じゃないのは、むしろ俺たちだ。
「店長。着物は脱ぎませんか。不審者でつかまります」
「いやだね! これは金魚屋の活動だ。正装する!」
「目立ちすぎですって。学校関係者じゃないってバレたら問題になりますよ」
「堂々としてりゃバレないよ。最悪、僕が新卒採用の提案でもするさぁ。はいGO!」
「早い早い。考える時間をくれませんか」
 店長は考えることすら無駄とでも言わんばかりに、スタスタと早足に門をくぐった。脚の長さが違うので、歩行スピードを上げられたら追いつくだけでも大変だ。
 とりあえず校舎に入ると、校内の見取り図があったので地理を把握した。特別な構造をしてるわけでもなさそうだ。
「鹿目さんはカウンセラーなんですよね。カウンセリングルーム行ってみましょうか」
 校舎一階の右隅にカウンセリングルームの記載があった。他の教室からは少し離れていて、二部屋が扉で繋がっている。
「広いね。ま、わからなかったら、そこらの女の子に聞こう」
「店長、めちゃくちゃ顔活用しますよね」
 普通なら笑う場面だが、店長の場合は間違いなく効果があるので他に言えることはない。脳内で隆志が「イケメンてずるいよな」と賛同を求めていた。
 カウンセリングルームに到着すると、ドアには『入室可』という横長のプレートが付いていた。プレートは左右にスライドできる。相談中かわかるようにしているのだろう。入室可になっていることを確認すると、店長はドアをノックした。
「はい、開いてますよ。どうぞ」
 中から男性の声がした。喋り方に特別な癖や、変な声色は感じない。
 店長はドアを開けると軽く一礼した。俺も倣って頭を下げると、店長越しに一人の男性の姿が見えた。およそ二十年前に高校生だったのなら、四十歳前後だろう。そのくらいの年齢に見える。
 容姿は自然な黒髪で端正な顔立ちをしている。若い頃はイケメンで騒がれたのではないだろうか。服装はビジネスカジュアルで『きちんとした人』という印象だ。白いシャツにベージュのパンツは柔らかな人柄だろうと感じた。
 一見、男性だ。店長の服装を見て驚いたので、感覚も普通の人だろう。
「生徒ではないですよね。外部の方とお約束はないんですが、どなたでしょう」
「突然申し訳ありません。藤堂叶冬と申します。鹿目浩輔さんですか?」
「そうですよ。後ろの君は生徒かな。ああ、保護者の方?」
「俺は石動秋葉といいます。今日はうかがいたいことがあって来ました。山岸さんと暮らしていた男の子をご存じですよね」
「宮村を知ってるんですか⁉」
「えっ」
 鹿目さんは目の色を変え、店長を跳ね除け俺の両肩を掴んできた。穏やかな人柄に見えたのに、血相を変えて叫ぶ声は荒々しい。
「宮村は今どこに⁉ 吉岡も一緒ですか⁉ どこにいるんです!」
 凄まじい豹変ぶりにたじろいだが、店長は冷静に鹿目さんを制した。
「僕たちも探してるんです。あなたはご友人だそうですね。少々お話をうかがえますか」
 店長は俺と鹿目さんの間に入り、目で『手を離せ』と言っている。鹿目さんはパッと俺から手を離し、後ろに下がると頭を下げてくれた。
「失礼しました。そこに座ってください」
 鹿目さんはソファを示した。俺たちが部屋に入ると、扉の外に出てカシャッとプラスチック音をさせた。きっと『入室可』のプレートをスライドさせたのだろう。部屋に戻ってくると、冷蔵庫からお茶のペットボトルを出してくれた。テーブルを挟んで向かいに座ると、自分もお茶を一口飲んで、ふう、と呼吸を落ち着かせている。
「すみませんでした。宮村を覚えている人に会えたのは初めてで、つい」
「俺たちが話を聞いた人は、宮村さんのことだけ忘れているようでした。鹿目さんはなぜ覚えているんです? 特別なことがあったんですか?」
「すべて話しなさい! 隠すと嫌なことをするよ! たとえば金魚を口に詰めたり!」
「店長おすわり」
 じたばたと暴れる店長を押さえつけ、奇行に驚く鹿目さんへ頭を下げた。鹿目さんは面食らっていたが、不思議そうな顔をしつつも微笑んで受け流してくれる。
「すみません。鹿目さんはずっと宮村さんのことを覚えてたんですか?」
「いいえ。半年ほど前に思い出しました。なんのきっかけもなく、突然ふうっと。それで当時の新聞とか、自分の持ち物を掘り返してみたんですよ」
 鹿目さんは立ち上がり、仕事用と思われるデスクから赤いファイルを取り出した。テーブルに広げると、新聞や雑誌、ウェブサイトのプリントアウトなどのスクラップだった。
「当時の記事です。宮村はご両親を亡くして、妹の沙耶ちゃんと心中をしたんです。でも宮村は一人だけ生き残ってしまって、当時はニュースにもなりました。宮村を餌に、マスコミが鯉のように群がっていましたよ。この近隣は皆困ってました」
 スクラップには情報が所狭しと並んでいた。ニュース記事はもちろん、校内の写真。誰にどんな質問をして、どんな回答があったかも記録されている。すべて日時と場所がわかるようになっていて、かなり細かい調査がされていた。文字の大きさは一律で列を乱さず、几帳面な人柄がうかがえる。
 鹿目さんはポケットからスマートフォンを取り出し立ちあげると、何回かタップした。表示させた画面を俺と店長に見せると、モニターの中では幼い二人の少女が笑っている。サンタの帽子をかぶっている様子をみるに、クリスマスだろう。
「髪の長いほうが沙耶ちゃんです。隣は私の妹の桜子。沙耶ちゃんも桜子も心臓が弱くて、入院したときに仲良くになりました。でも、妹は手術に失敗して亡くなりました。宮村と私は境遇が似ていたんです」
 鹿目さんは辛そうな顔をした。こんな小さな女の子が亡くなったなんて、時と共に癒える傷ではないだろう。店長はなにかを堪えたような顔をしている。たしか、御縁神社の巫女さんが妹だと言っていた。同じ兄として思うことがあるのかもしれない。だが俺は別のことが気になった。
「この子……」
 ――見覚えがある。俺は、宮村沙耶の顔を見た気がする。
 心臓がどくんと大きく脈打った。期待と興奮で手が震え、俺は身を乗り出して鹿目さんに食らいついた。
「沙耶ちゃんは有名な子ですか? 子役とか、一般人の目に付く活動をしてたとか」
「いいえ。沙耶ちゃんは病院から出られませんでした。芸能活動なんて無理ですよ」
「そうですか……」
 断言はできない。鹿目さんが知らないだけの可能性もある。絶対に宮村沙耶は見覚えがあった。俺は写真を見つめたが店長は興味がないようで、スクラップのほうをぱらぱらと捲っていく。
「妹じゃなくて宮村夏生とやらの写真はないのかい? 僕らが知りたいのはそっちだよ」
「新聞記事以外はなにも残ってないんです。報道の時点では未成年だったので、メディアに顔が出てません。学校行事には参加してなかったですし、公的な写真や映像記録にはまったくいません。友達付き合いもしてない奴だったので」
「妹さんとの写真くらいはあるんじゃないんですか? 仲良かったなら四人で撮ったり」
「集合写真が一枚ありました。でも見つからないんです。しかも、写真の存在を思い出したのも宮村を思い出してからでした」
 鹿目さんはスマートフォンの中で笑っている妹たちの写真を撫でた。
「宮村の記憶と一緒に、宮村がいた証拠もなくなったんです」
 スッスッと画像をスライドしていくけれど、出てくるのは妹たちの画像だけだ。金魚屋は記憶だけではなく物的証拠も消すのだろうか。それともたまたま撮っていないだけか。
 いずれにせよ、宮村夏生の顔はわからない。金魚屋どころか金魚にも紐づかない。どうしたものかと考えていると、鹿目さんが店長をまじまじと見つめていることに気が付いた。店長も視線に気づいたのか、ばんばんっと自分の膝を叩いて威嚇した。
「なんだい! 人をぎょろぎょろと見てからに! 出目金か君は! 気になることがあるなら言いなさい!」
「ああ、いえ。藤堂さんは吉岡の知り合いなのかなと思いまして。吉岡優也」
「は~あァ? そんな知り合いはいないね! どうしてだい! ってぇか誰だそれは!」
「そういえば最初に『吉岡も一緒か』っておっしゃってましたね。事件の関係者ですか?」
「ええ。事件といっても校内ですけどね。二人は訳ありだったんですよ」
 鹿目さんはぱらぱらとメージを捲り、『校内新聞』と書かれている記事の切り抜きを指さした。記事には二人の名前が記されている。俺はスクラップを手に取り、記事を読んだ。
「宮村夏生と吉岡優也が和解……和解が記事になるほどの問題があったんですか?」
「吉岡は宮村が全治半年の怪我を負わせた生徒です。吉岡が沙耶ちゃんのことで軽口を叩いて、宮村が激怒して殴りかかったんですよ。私は二人を止めに入って怪我をしました。それから三人で話すようになったんです」
「んえ~⁉ 殴ってきた奴を許したのかい⁉ 聖人君子か!」
「吉岡は反省していたんです。吉岡も家族がいなかったんで、同情もあったでしょうね」
「家族がいない、ですか……」
 それは少し、気になった。親のいない子どもがたまたま大学に複数名存在し、乱闘騒ぎを経て親しくなるのはどれだけの確率だろうか。
「それでぇ? なんで僕とそいつが知り合いになるんだい。顔でも似てるのかい」
「いえ、吉岡の映像通話を見たことがあったんですが、通話相手がミュージカルのような喋り方で、黒に花柄の着物を着ていたんですよ」
「え? それって」
 店長の口調と着物は演出だ。雪人さんの金魚鉢を手にした後から、あえてやっている。
「それだ! 誰だそれは!」
 店長は立ち上がり鹿目さんにつかみかかった。殴り飛ばしでもしそうな勢いに、俺は思わず店長を羽交い絞めにした。
「店長! 落ち着いてください! ちゃんと聞きましょう!」
 ハッと店長は我に返り、頷いてソファへ座り直した。けれど視線は鹿目さんに釘付けで、早く続きを、と催促するような雰囲気だ。俺は驚いて固まっている鹿目さんに声をかけた。
「すみません。黒い着物の人は鹿目さんも知ってる人ですか?」
「知りません。でも『八重子さん』と呼んでいました。薄墨色の長い髪をした女性です。とても美人で、上品なお嬢様のような顔立ちでしたよ」
「八重子は宮村夏生とも面識はあったか?」
「わかりません。私も直接はみていないので、詳しいことは知らないんです」
「じゃあ吉岡はどんな人物なんだ。特別なことのある人間か?」
「不真面目な生徒ですよ。出席日数も単位も足りなくて、三年留年してました。派手好きで賑やかで、気が合わなかった。宮村がいなければ友人にはならなかったでしょうね」
「今はどうしてるんだ。吉岡だけでも連絡はとれないか」
「とれません。二人とも卒業したら電話は通じなくなって、チャットアプリもアカウントごと消えました。今思えば、二人は特別な繋がりがあったんでしょう。山岸さんと宮村を引き合わせたのは吉岡なんですよ」
 山岸酒店は金魚屋の店舗かもしれない。紹介したのは吉岡さんとなれば、吉岡さんは金魚屋側の人物だ。関係性がごちゃついて混乱したが、店長はぐっと前のめりになった。
「あんた記憶が曖昧じゃないか? 急に考えが変わったり、周囲と会話がかみ合わなかったり。宮村夏生と吉岡優也に関わった期間に限ってだ」
 鹿目さんはきょとんとした。俺も一瞬驚いたが、その可能性を忘れていた。記憶を消されたなら、鹿目さんは直接金魚屋に関わっていたはずだ。
 鹿目さんは、どうしてか寂しそうに微笑んだ。納得したような表情で大きく頷く。
「君たちが知りたいのはそれなんだね。あるよ。君の望む回答かはわからないけど」
「いい! 教えてくれ! そこに手がかりがある!」
 店長は興奮していて、繋ぎ留めるように店長の腕を引いた。
 手がかりとは、なんの手がかりだろうか。
 店長は金魚屋に会いたいのだろうけれど、会ってどうなるのだろう。累さんを見る限り、金魚屋は生者に親身なわけではない。
 もし店長の金魚屋に会えても、店長の願いを聞いてくれるとは思えない。無視されるだけならまだいいが、すべての記憶を奪われたら、雪人さんのことを忘れるのではないか。
 鹿目さんの話は、店長と一緒に聞くべきではなかったのかもしれない。俺は店長の腕を放さないよう、ぐっと強く握りしめた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?