見出し画像

「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十二話 金魚に救われた生者の行方

 当時の状況からしても、金魚が関わるのは鹿目さんが妹さんを亡くしたことだろう。本来なら興味本位で足を突っ込んでいいことではないけれど、鹿目さんは微笑んでくれた。スマートフォンに表示されたままの妹たちの画像を見つめている。
「あのころ僕は妹の死に囚われていた。妹が死んだのは医療ミスでも失敗でもない。手術後の拒否反応のせいだったんです。妹に手術を勧めたのは私。私が桜子を……殺したんです。とても生きる気力はなかった。なのに急に晴れやかな気持ちになったんです」
「きっかけは! なにかあったはずだ!」
「ありました。宮村と話している最中に気を失いました。目が覚めたとき、すでに気持ちが軽くなっていた。私はなぜか、宮村を桜子の墓参りに連れて行きたいと思ったんです」
 父が語った母の様子に似ていた。きっと鹿目さんは金魚になった桜子ちゃんに憑かれ、桜子ちゃんを弔った金魚屋がいるのだ。だがきっかけをもたらしたのが宮村さんなら、金魚屋は吉岡さんではなく宮村さんになってしまう。
 考え込んでいると、鹿目さんがスマートフォンをことん、とテーブルへ手放した。
「でもきっと、君たちの探す相手は宮村でも吉岡でもない」
「え? なんでですか?」
「宮村も『急に考えが変わった』んです。暴力沙汰を起こすほど沙耶ちゃんの死に囚われていたのに、謹慎中、急に前向きになった。山岸さんと暮らして、幸せそうでした。私はそれが許せなかった。お前も妹を殺したくせに、忘れて明るく生きるなんて酷い奴だ――とね。でも宮村は何度もうちに来て、私を励ましてくれました。思えばあれも急だった。宮村は沙耶ちゃんと桜子が親しいことを知りませんでした。周りに目を向けられなくなるほど、心神喪失していたんです。私たちは病院内で付き合いなんてなかったんですよ」
 それはきっと、金魚帖だ。金魚帖には弔う金魚と、憑かれた生者の情報が事細かに書かれている。桜子ちゃんは金魚屋の『客』で、金魚屋は情報を把握していた。宮村さんは金魚帖で鹿目兄妹の事情を知ったのだろう。
 だが金魚屋は山岸夫妻と吉岡さんであるように思える。宮村兄妹はまったくの別件なのだろうか。突然の情報過多に頭を抱えていると、店長がぽつりと言った。
「宮村夏生の変化に金魚が絡んでると聞いたら納得できるか?」
「金魚? ああ、金魚屋とかいう店のことかな」
「知ってるのか! どこだ! その店はどこにある!」
「そこまでは知らないです。多分、宮村のバイト先ですよ。ちょっと待ってください」
 鹿目さんはデスクからノートパソコンを持ってくるとタッチパッドで操作し、俺と店長にモニターを見せてくれる。モニターには動画再生画面が表示されていた。
「吉岡はバンドをやってたんです。結構人気で、私と宮村はバンドの動画配信を手伝ってたんです」
 鹿目さんは動画を再生した。画面はバンドの配信動画ではなく、片付けをしている場面のようだ。顔は映っておらず、男子の脚だけが画面を行き来している。
『夏生、浩輔。帰り飯食ってかねえ?』
『俺バイト。今日こそ金魚すくいに行かないと。結構な数飛んでるんだよ、あそこ』
『また金魚屋? マメだね、お前。八重子さんのワガママ際限ないからな? 俺は解放されて大助かりだけど』
『八重子さんのためなら苦じゃないよ。浩輔、カメラ動いてる。もうとめていいよ』
『ああ、うん。ごめん』
 動画はそこで途切れた。顔はわからなかったが、確実に『金魚屋』と言っている。
「やっぱり宮村夏生か! 宮村夏生は金魚屋だ!」
「金魚屋に『なった』んじゃないですか? 今の会話だと、宮村さんは八重子さんに救われて金魚屋を手伝うことにした、って感じします。吉岡さんは八重子さんの仲間だったんですよ」
 春陽は累さんの元で金魚屋の仲間入りをする。同じケースだろう。
 宮村夏生の物語は、おそらく前後編だ。前半の金魚屋は八重子と吉岡優也、客が宮村兄妹。後半の金魚屋は八重子と宮村夏生で、客が鹿目兄妹だった。
 鹿目さんは動画を止めるとノートパソコンを閉じた。スマートフォンもモニターを下してノートパソコンの上に置く。
「宮村に沙耶ちゃんの最期はどんな様子だったかを聞いたことがあります。普通は笑ってたとか苦しそうだったとかいうでしょう? でも宮村は『金魚みたいだったよ』と言ったんです。なんのことかわからなかったけど、君たちはわかるのかな」
 鹿目さんはノートパソコンとスクラップを持って立ち上がり、それぞれを元の場所に戻した。部屋の空気を入れ替えたいのか、がらりと窓を全開にする。
「会えるならまた会いたい。でもきっと、宮村を困らせるんだと思います。なら私はここで待っています。宮村が私を必要とするときまで」
 鹿目さんは俺と店長の座っている、六人掛けのソファを眺めて穏やかに微笑んだ。宮村さんとの消えた大学生活を思い出すには、この部屋は広すぎる。
「私が答えられるのはここまでだ。これ以上はなにも知らないよ」
 鹿目さんは壁に掛けられている時計を見て、「そろそろ生徒が来るから」と言ってドアを閉めた。俺と店長は帰るしかなかった。
 店長は着物を羽織らず手に持って、大学の敷地を出ると地面を割るように蹴りつけた。
「くそっ!」
 いつもの店長からは考えられない怒りに満ちた形相で、ぎりぎりと拳を震わせていた。手がかりを得られたような、そうでもないような。中途半端な証言ばかりで、苛立つ気持ちはわかる。俺はそっと店長の袖を引いた。
「累さんに聞いてみませんか。八重子と宮村夏生って個人名を出せばわかるかもしれない」
「……そうか。そうだね。ああ、そうしよう」
 店長はようやく俺の存在に気づいたのか、慌てて表情を取り繕った。それからはあまり会話をする気力もなく、静かに東京へ帰った。

 翌日、朝食を食べ終わると黒猫喫茶へ向かった。店に入るとすでに累さんと店長がいて、黒猫のシュークリームと黒猫のタルトを食べている。いつも通りの店長にほっとして隣へ座った。
 鹿目さんから得た情報を一通り累さんに話すと、累さんは腕組みをして口を尖らせ、唸りながら首をぐるぐると回した。
「八重子ねえ。フルネームがないと調べられないな。けど、場所的に偶然とは思えないね」
「そうですか? 普通の大学でしたよ」
「立地だよ。秋葉くんの実家と叶冬さんの病院――福井と神戸って金魚屋的には近いんだ」
「県またぎますよ。全然近くないと思いますけど」
「各店舗の管轄は実際の都道府県で判断されるわけじゃないんだ。たとえば」
 累さんはカウンター内の引き出しから金魚帖を取り出すと、挟んであった紙を取り出した。ばらっと広げると、大きな地図が描かれている。
「俺の管轄区は関東の半分。東京全土と千葉、埼玉の一角だよ」
「そんな広いんですか!? それを一人でやってるんですか!?」
「うん。だから金魚回収って大変なの。近畿程度なら隣接する二店舗で回すはずだ。隣接する店舗とは協力体制があるんだ。ヘルプに行ったりする。生者の個人情報は金魚屋同士でも漏洩は許されないけど、この距離なら間違いなく共有してるね」
「母の、俺が生まれた病院は京都でした。間に挟まりますよね」
「ああ、じゃあ絶対知ってるよ。むしろ協力して処置に当たった結果、なんらかのミスでイレギュラーになってしまった可能性もある。それで隠ぺいしたのかも。厳罰確定」
「アキちゃん。虚偽と隠ぺいは絶対やっちゃいけないよ。人事整理のリストラ候補になる」
「はい……」
 金魚屋とは、意外とシビアな企業なのかもしれない。まるで就職活動をしているような気になってきた。
 累さんは地図を畳むと、カウンターへしまいついでに黒猫型のクッキーを持ってきてくれる。この店のお菓子は黒猫仕様でどれも可愛い。
「俺は鹿目浩輔の記憶が戻ったっていうのが気になるなあ。金魚屋が解除しない限り、思い出すなんてありえない。だから叶冬さんは解消すべきレギュラーなんだ」
「意図的なら、宮村夏生がやった可能性が高いですよ。けどなんのために……」
「ミスを隠ぺいする尻拭いに小細工したのかもね。絶対捕まえてやろ」
 累さんは悪い顔をして、くくく、と悪魔の笑みを浮かべた。金魚屋の罰はなにをされるのか気になるところだ。俺の薄ら笑いに気づいた累さんは、誤魔化すように微笑んだ。
「石動一家は本当に珍しいイレギュラーだから、一度でも金魚帖で見てたら『ああ、あの子か』ってなる。目的が叶冬さんだったとしても、絶対に秋葉くんを利用するね」
「じゃあ、俺と関わりのある人かもしれないですよね。実は宮村夏生の妹の沙耶ちゃん、見覚えあるんですよね」
「そうなのかい!? それで子役かどうか聞いたのか。知り合かな」
「違うと思います。でも見覚えあるんです。すみません。覚えてればすぐだったのに」
「けど有力な手がかりだよ。宮村沙耶から探すのもいいかもしれないね」
「父さんにも聞いてみます。わかることがあるかもしれな――」
「はい、そこまで!」
 突然、累さんがパンッと手を叩いた。突き刺さるような鋭い音に、俺と店長はびくりと体が揺れる。
「秋葉くんはここまで。これだけわかれば十分。あとは俺がやるよ。君には君の人生があるんだ。授業も友達付き合いも就活も、どれも大事だ」
「でも、店長は命がかかってるんですよ」
「だから俺がやるって。金魚屋の関与が確実なら、本社に連絡して、特別処置の許可を貰って終わり。それでも探すのは勝手だけど、すべてが終わったときに、卒業後無職で就職難民、自宅ニートでアルバイト人生なんて嫌だろう?」
「僕がそんなことはさせないよ。うちに入ればいいだけだ」
「もし叶冬さんが死んでたら? 会社は潰れてるかもしれないよ。大体、叶冬さんと会ってばかりで、友達と遊んでないだろう。叶冬さんは秋葉くんを手放さないだろうけど、友達は簡単に縁が切れる。失ってからじゃ遅いんだ」
 累さんは怒っているようで、こんなに厳しい目つきは初めてみた。指先をくるっと回すと、金魚が一匹、金魚屋の店内へ続く扉からすり抜け出てきた。あの色と形、あの顔つきは春陽だ。
「春陽くんは魂をかけて君を守った。それを無駄にするの?」
 春陽はくるんと回転すると、すいすいと泳いで俺の右肩辺りに停まった。ずっと春陽の定位置だ。春陽はくるくると飛び跳ねるように泳いだ。会えて嬉しい、と言ってくれているのが伝わってくる。
 春陽に手を伸ばすと、やはり触れないけれど温かい気がする。心が温かくて、自然と俺の頬は緩んだ。
「叶冬さんも必死になるのはわかるよ。秋葉くんがいれば、自分で調査できて、達成感もあるだろう。でも子どもの将来を考えてあげなくちゃ。秋葉くんはまだ学ぶ年齢だ」
 相談しようとしていたことを累さんに指摘され、俺は店長と顔を見合わせた。店長は唇を噛んで俯いてしまう。
「累くんの言うとおりだ。アキちゃん、ごめんよ。つい熱中してしまった」
「いいえ。俺も考えなしでした。ちゃんと考えます」
 店長は深々と頭を下げてくれて、俺も同じように頭を下げた。そういえば、店長に就職の相談をしたいとメッセージを送ったことを今更思い出した。
 累さんは俺と店長の肩をぽんっと叩いた。
「叶冬さんのことは、俺が責任をもって助けるよ。秋葉くんは来週から黒猫喫茶のバイト開始。就活の話もしてあげるよ。これでもいろいろ経験してるんだ」
「はい。よろしくお願いします」
 累さんにも頭を下げ、その後は店長の会社と黒猫喫茶がどんな店かを教えてもらった。店長は「助力は惜しまないから、気軽に相談しておくれ」と言ってくれた。累さんは「経営者と現場は意見が違うから鵜呑みにしないように」とも教えてくれた。将来を考えると、思っていた以上に安心できた。
 その夜は、家でキャリアセンターのサイトにログインして就職情報を調べた。いろいろな企業が並んでいて、なにを見ればいいかよくわからない。でもこれを理解し、自分で選べなきゃいけない――と累さんは言いたかったのだろう。
「累さんってちゃんとした大人だよな。金魚屋と社会人の生活を両立してるなら、大変なこともあるだろうし。担当範囲も広いし」
 そう思うと、偉大な人物に思えてきた。累さんの言葉を思い出し、俺は慌ててスマートフォンを手に取りチャットアプリを立ちあげた。メッセージを送る相手は隆志だ。
『服買いたいんだけど、つきあってくれない? お店どこがいいか教えてよ』
 どうしても欲しいわけではないが、新しいTシャツが欲しいと思っていた。持っている物は厚手で、今の季節は少し熱い。大型スーパーで適当に買おうと思っていたが、一緒に歩いて回るのは楽しいかもしれない。
 メッセージは即座に既読が付き、シュポッと音を立てて返信が届いた。
『いいぜー! 由香ちゃんがストリート系好きらしいから揃えようと思ってさ!』
「由香ちゃんて誰」
 今度こそ彼女か、それとも意中の女子か。はたまた単なるノリか。隆志の異性に対する行動力は計りしれない。俺はデフォルトで入っている『有難う』のスタンプを返し、スマートフォンを閉じた。再びキャリアセンターのサイトを見たが、それも閉じた。
「キャリアセンターで直接教えてもらおう。独学より正しい情報がいいし」
 俺はパソコンも閉じて、窓の外を眺めた。今日は金魚が多い。
 金魚の生態、金魚屋の実態、金魚屋で働く人々――わからないことはまだ多い。そのすべてを知るには、就活すらままならない俺はまだまだ子どもなのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?