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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十四話 金魚屋の宮村夏生

 大学へ入ると、まだ五限六限とあるため生徒は少なからず歩いている。俺は着物を羽織ったままの店長を連れてキャリアセンターへ飛び込んだ。
「宮村さん!」
 キャリアセンターの中に生徒はいなかった。授業中だからだろう。
 人がいない隙に、いつもの少年がホワイトボードに貼ってある求人票を入れ替えている。累さんが黒猫喫茶をやるように、副業をしているのか。
 少年はほんの少しだけ首を傾げた。含み笑いをする表情は、いつもの少年とは雰囲気が違う。挑戦的で棘を感じた。
「……宮村夏生さんですよね」
「思ってたより早かったね。気付いてくれてよかったよ」
「僕らは鹿目浩輔から君の話を聞いてきた。四十歳前後のはずだけど?」
 宮村さんは、んー、と少しだけ唸ると、ぴっと店長の着物を指さした。
「黒い着物とミュージカルのような立ち居振る舞いは、なんという店の誰の真似をしてるの?」
「まずはこちらの問いに答えろ! お前はなんだ!」
 宮村さんの存在よりも、初めて聞く店長の乱暴で強い言葉遣いに驚いた。それもそうだろう。十年以上探し続けた答えが手に入るかもしれないのだから。
 沸騰する店長の心知らずか、宮村さんは、ははっと軽く笑う。
「気持ちはわかるけど、まずは店の名前と名前だけ言ってくれないかな。じゃないと説明できないし、連れても行けないんだ。制限が多いんだよ、俺たちって」
 ――連れて行く。それは、まさか。
「浩輔から聞いたはずだ。さあ、言って。なんという店の誰を知ってるのかを」
「……金魚屋の八重子」
「正解」
 宮村さんは満足そうにと微笑むと、つんっと右肩の金魚を突くように指を動かした。同時に、金魚はぴょんと跳ねて飛び上がる。
「跳んだ!」
「何だい。どうしたんだいアキちゃん」
「金魚です! 金魚に言うことを聞かせてる!」
 金魚が視えない店長は、訳がわからないというふうに顔を歪めた。宮村さんを問い質そうと思った瞬間、壁から金魚の大群が現れる。黒猫喫茶で見た塊よりは少ないが、俺一人を飲み込むには十分な量だった。
「うわっ!」
「アキちゃん⁉」
「金魚が、凄い勢いでっ……!」
 俺は金魚に驚き倒れそうになったけれど、店長が抱き留めてくれて立っていられた。
 俺を通り抜けた金魚はすべて宮村さんの周りに集まっている。宮村さんの言うことを聞いた金魚は、羊を追う狼のように、金魚たちの周囲を泳ぎまわっている。金魚の大群を追い込んできたのか。
 金魚が視えていない店長は宮村さんをぎろりと睨みつけた。
「何者だ、貴様」
「宮村夏生。八重子さんのアルバイトだよ」
 宮村さんは持っていた赤い手帳を見せつけ微笑んだ。金魚帖だ。累さんが持っていたのと同じ、金魚の情報が書かれている金魚帖だ。
「睨まないでよ。八重子さんは店を出られない。かといって、俺から明かすこともできない。だから浩輔を頼るしかなかったんだ」
「鹿目さんは急に思い出したって言ってました。やっぱり自然にじゃなくて」
「思い出させたんだ。ヒントを出してもらおうと思ってね。全部終わったらまた消すよ」
 金魚屋は金魚帖に名前がない生者には関与できない。俺と店長が宮村さんにたどり着くには手掛かりを探す必要があった。累さんの言った通り、目的のための小細工だったのか。
 宮村さんはパラパラと金魚帖を捲っていく。なにかを探しているようだったけれど、ん、と困ったように首を傾げた。ちらちらと俺を見ると、とととっと俺の周りをうろうろと歩き回る。
「あの、なんですか。やめてください」
「いつも憑いてた金魚いなくなってる。昇天したの?」
「春陽ですか? 累さんが助けてくれました。金魚屋になる準備をしてくれてますよ」
「累さん⁉ って、まさか棗累さん⁉ 累さんが出てきてるの⁉」
「知ってるんですか? 普段から黒猫喫茶ってお店やってますよ」
「うっそォ。結さんには会った? 棗結さん」
「知りません。ご家族ですか? あ、弟がいるって言ってたっけ」
「知らないならいいんだ。俺たちのことなんか言ってた?」
「言ってました。罰を与えなきゃいけないって」
「遅かったか……あーあ、もう隠しておけないな……」
 宮村さんは苦笑いをした。明らかに隠蔽している発言に、店長は目を吊り上げて宮村さんへにじり寄る。宮村さんは逃げるように身を翻し、金魚ごと店長と距離をとった。
「累さんは本社と連絡とれる数少ない正社員だよ。八重子さんは契約社員で、生者と関われる金魚屋は社員だけなんだ。だから俺は八重子さんの代わりに生者の領域を歩く。歩くといっても、ショートカットはするけどね」
 聞いてもいなことをペラペラと説明し始め、金魚の大群を追い込んでいた金魚とアイコンタクトを交わした。金魚は頷くように体を上下に揺らし、ぐるぐると大きく旋回し始める。何度も何度も旋回し、いつしか赤い残像が輪となり囲まれた景色が歪んだ。ぐにゃりと変わった景色は、累さんが開けてくれた黒猫喫茶の飾り扉の中と同じだった。
「金魚と金魚屋しか通れない、金魚屋への道……」
「それも累さんから聞いたの? 社員って自由だなあ。俺は『金魚の通り道』って呼んでる。金魚の回収は、『掬う』と『救う』をかけて『金魚すくい』。ちょっとイイでしょ」
「え……はあ……そう、ですね……」
 どうでもいい話を自信満々に言われて毒気が抜ける。累さんといい、金魚屋は遊び心が必要なのだろうか。
 宮村さんは金魚の通り道に一歩踏み込むと、俺と店長に手を差し伸べた。
「さあどうぞ」
 宮村さんを信じていいかわからない。迷う俺と店長を尻目に、金魚の大群は一斉に金魚の通り道へ入っていった。追い込んでいた金魚も一緒に入り、宮村さんも俺たちに背を向け歩き始めてしまう。
 俺と店長は顔を見合わせ、思い切って足を踏み出した。一歩前に、とんっと足を着くと、一瞬で景色が変わる。キャリアセンターだったのに、木々に囲まれた木漏れ日の美しい場所が現れた。
「えっ⁉ なに、なんで⁉」
「ショートカットだよ。金魚は金魚の居場所へつなげられるんだ。八重子さん呼んできて。叶冬くん連れてきたよ、って」
 宮村さんは、金魚の大群を追い込んでいた金魚に語りかける。金魚はぴょんっと跳ねるように飛んで行く。行き先を目で追うと、《Cafe Chat Noir》という看板を掲げている喫茶店があった。黒板にランチメニューが書かれていて、可愛い黒猫も描かれている。
 黒猫がキャラクターの喫茶店は、店長の黒猫喫茶を思い出さずにはいられない。
「『黒猫喫茶』も記憶を頼りに付けたんだろ? 凄いね。店名まで覚えてたのは君が初めてだよ」
「他にも僕のような人間がいるのか!」
「いないよ。叶冬くんみたいに、こことそっちを繋げる物を持ってる人間はいないからね」
 はっと店長が息を呑んだ。金魚屋と同じ物、そのヒントだけで気付くには十分だった。
「あの金魚鉢はお前の物か!」
「違う。この店の備品だよ」
 夏生は楽しそうに笑って看板を指差した。指差した先はCafe Chat Noirの看板――の、はずだった。看板は、いつの間にか違う物になっていた。
「え⁉ なんで⁉」
「これは……!」
 掲げられているのは木製の古めかしい看板だった。筆を用いたような達筆な黒文字で『金魚屋』と彫られている。
 瞬きしている間に変化したことに驚愕したが、店長は俺以上に驚き震えている。
「ここだ! 僕はここに来た! ここを追い出されたんだ……!」
「追い出された?」
 店長は「ここだ」と繰り返し呟きながら金魚屋の看板を睨みつけていた。さっぱり状況が掴めずにいると、宮村さんがパンパンっと手を叩く。
「はいはい。あとは中で話そう。ややこしいから」
 宮村さんは金魚屋の扉に手を掛けた。
「さあどうぞ」
 ガチャリと金魚屋の扉が開かれた。キイッと音を立て、ゆっくりと、ゆっくりと扉は開かれていく。そしてついに店内が見える――見えかけた時だった。
「遅おおおおおおい!」
「ぎゃっ」
 バアンッと音を立てて、扉が内側から開かれた。宮村さんが開けたのではなく、内側から開け放たれたのだ。
「遅い遅い遅おおおい! たかだか金魚百匹連れてくるのに何百日かかってるんだあ!」
 叫びながら飛び出てきたのは、ミュージカルのような演技じみた口調で喋る黒い着物の女だった。
 ――このひとは。
 店長とお揃いともいえる黒い着物姿の女は、おっとりした印象の顔立ちをしている。顔だけ見れば上品なお嬢様。肌は人間味を感じないほど白く、唯一薄桜色の唇が温かみを演出していた。薄墨色の長い髪は滑らかで撫でてみたくなる。
 店長も綺麗な顔をしているが、この女はまるで人ではないような無機質さを感じた。この世のものではない美しさというのはこういうことをいうのだろう。
 店長はぶるぶると震えていた。「この女は」、と、ぼそりと零して目を血走らせている。片や黒い着物の女も夏生も店長のことは気にしていないようで、お喋りをし始めた。
「遅いって、まだ三時間ですよ。今日は方々に散ってて移動が大変なんです」
「一日千秋の想いで君を待っていたのだよ。だって僕の仕事が遅れてしまうのだからね」
「はいはい。それより連れてきましたよ、八重子さんの被害者」
 宮村さんは、ん、と店長の存在を八重子さんに知らせた。この状況で俺たちに気付いていなかったのか。八重子さんは目をぐりんとひん剥いて店長に飛びついてくる。
「やあやあかなちゃん! 久しぶりだあね!」
「お前は……!」
「まったく。君は最初から最後までイレギュラーだ。なっちゃんの上を行くイレギュラーだ」
「俺はともかく、彼がイレギュラーになったのは八重子さんのせいですよ」
 店長は八重子さんを敵だと判断したのか、「下がって」、と二人へ聞こえないくらいの小声で言うと、俺を背に隠した。警戒する店長を見て、宮村さんは「まあわかる」、と大きく頷き、八重子さんは「あっはっは」と普段の店長と同じような笑い方をした。
「ふふ。存分に警戒するといい。どうせ忘れてしまうのだから」
 八重子さんは美しい顔を歪ませて、狂気を感じる気味の悪い笑みを浮かべた。一歩店内に入ると、すうっと手を伸ばしてくる。
「ようこそ金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ、藤堂叶冬くん」


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