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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十五話 金魚屋の八重子

 店内は大正時代を思わせる、レトロなデザインだった。
 入り口をくぐると、まず目に飛び込んできたのはアンティーク風のインテリアだ。柔らかな橙色の照明と、艶やかに輝く木製の家具。テーブルと椅子には、繊細な花の彫刻が施されている。インテリアにこだわりのない俺でも、見事であることはわかり、壊したらいけないので距離を取った。
 カウンターには椅子が五つ並んでいた。アンティーク風の家具に馴染むクラシックなデザインのコーヒーミルや、陶器のコーヒーカップが並ぶ棚は美術館のように思える。
 奥には大小さまざまなサイズの本が並ぶ読書スペースが見える。植物のようなデザインの、低い照明が置いてあり、傍のソファで本を読めるようになっていた。文学サロンでも開けそうだ。
「八重子さんも喫茶店をやってるんですね。一般客も入れるんですか?」
「は~あ⁉ 金魚屋だっつってんだあよ! 勝手な職業おしつけないでくれぇ!」
「え、あ、は、はい……」
 八重子さんはダンダンッと足を踏み鳴らし、足をソファの上に放り出す。着物を着ているが、履いているのはショートブーツだった。土足のまま乗せたので、豪華な刺繍が施されたクッションは真っ黒になる。
 俺は心の中で、下品な人だな、と吐き捨てた。
 店長が忘れないために真似た相手は八重子さんだろう。それにしてはあまりにも下品だ。店長は奇異だが行儀の悪いことはしないし口汚くない。
 がっかりして気が抜けた。姿勢を正すのももったいなくて、遠慮なくソファにもたれる。呆れていると、宮村さんがとんっと八重子さんの背を軽く叩いた。八重子さんはぷうっと頬を膨らませて足を降ろす。部下ではなく教育係なのだろうか。
「さ、八重子さん。話を進めてください」
「なっちゃんが進めたまえよ。アキちゃん呼んだのはなっちゃんだろうが」
「別の店が処置してくれたそうですよ。なんと、あの棗累さん直々に」
「累⁉ えぇ~⁉ なんて面倒な奴が出てきたんだ!」
「もうバレちゃいますね。絶対怒られます」
 八重子さんはバタバタと足を振り回し、駄々をこねる子どものようにソファで暴れた。宮村さんは、あはは、と軽く笑っている。二人の口ぶりからするに、累さんは偉い人のようだ。累さんの部下なら、八重子さんも同じくらい長く生きているのだろうか。
「もしかしてこの店って、大正風じゃなくて大正のままですか?」
「だったらなんだッてんだ! どうせ僕ァ大正生まれの老人だ! 嫌なら出てけッ!」
「そんなこと言ってないじゃないですか。宮村さんは大学生で止まってるんですよね。微妙に幼いからてっきり高校生かと思ってたました」
「は⁉」
「ひゃははは! なっちゃんは子どもみたいな顔をしてるけど成人さ! あーははは!」
「そんなに笑うことじゃないでしょう! 童顔なだけですよ!」
 宮村さんは顔を真っ赤にして怒り、八重子さんは手足をバタつかせて笑い転げた。
 累さんといいこの二人といい、人間っぽいので金魚なんて夢のように感じてしまう。この店に店長の過去が隠されているなんて思えない。八重子さんと宮村さんの態度が不愉快なのか、店長はぎりぎりと拳を握り怒りを堪えている。
 店長の苛立ちを感じ取ったのか、宮村さんは小さく咳払いをして気を取り直した。
「ごめんごめん。累さんからはどの程度聞いてる?」
「金魚が未練を持った魂で、出目金は恨みに支配された状態っていうのは聞きました。地区によって担当が違うから、管轄外の店長を助けられないそうです」
「そうだね。累さんは関東だから。けど、まさか現場仕事に降りてきてるとは思わなかったよ。せっかく穏便に終わらせようと秋葉くんに近づいたのに、水の泡だ」
「やっぱりアキちゃんを利用しようとしてたのか!」
「人聞き悪いこというんじゃないッ! アキちゃんとハルちゃんは僕の客だったんだ! 勝手にいなくなりやがってぇ! しかも累まで出してきやがってぇ!」
 それこそ八重子さんの勝手な言い分だ、と言おうと思ったが、言っても無駄だろう。八重子さんは人の話を聞き己を顧みるタイプにはみえない。店長もわかっているのか、見ている相手は宮村さんだ。
「さっさと話せ。お前たちはなにを隠してる。僕になにをしたんだ!」
「助けてあげたのさァ。かなちゃんが生きてるのは、僕とお母上のおかげじゃあないか」
「……なにを言ってる。母は心臓麻痺で死んだと聞いている」
「そうだよ。だから君は生きてるんだってば。え? そこ忘れてるのかい? ッカ~! どうでもいいいことばっかり覚えていやがるようだぁね! 無駄ばっかだ!」
 なぜこんなに口が悪いのか。ただ「大切なことを忘れているね」と言えばいいだけだ。
この不愉快な言い回しをミュージカルと形容するのは、エンターテインメントへの冒涜だ。
 八重子さんはバンバンッとクッションでソファを殴りながら立ちあがる。
「説明は面倒だから思い出しておしまい。かなちゃんの欲しいあれ(・・)がある」
 八重子さんは店長の眼前に手を伸ばす。掌を広げたが、広げただけだった。目的もわからず、なんですか、と言おうとした瞬間に店長が俺のほうに倒れてきた。
「店長! 店長! どうしたんですか! なにしたんだ、あんた!」
「記憶を戻してあげたのさァ。さあさあ、かなちゃん。説明しておあげ」
 店長は額を抑えてゆっくりと体を起こした。汗が噴き出していて、指先がカタカタと震えている。これ以上なにもされないよう隠したくて、店長の頭を左手で包み、右手で肩を抱きしめた。
「店長、横になってください。言いたくないなら無理に言わなくていいですよ」
「……有難う。大丈夫だよ。少し驚いただけだ」
「そりゃあそうだろうよ。記憶は人生。人生は命。かなちゃんの命は二つの命を犠牲にして成り立っている。それを驚くだけで済むなんて図太い子だよ。出目金よりたちが悪い」
 過去の真実は知らないが、馬鹿にされる覚えはない。
 俺はカッとなって八重子さんの着物の襟を掴んだ。殴ろうなんて思ってないけれど、体が反射的に動いていた。
 だがなにもできなかった。腕が千切れそうな強さで宮村さんにつかまれている。割れそうな痛みに、俺は慌てて八重子さんから手を放した。
「ごめんね。少し配慮が足りない人なんだ。深い意味はないから気にしないで」
 謝罪してくれているが目は笑っていない。キャリアセンターで八重子さんに感謝している熱い想いを語っていたことを思い出した。きっと、相当怒っている。そろそろとソファに座ると店長が頭を撫でてくれた。
「有難う、アキちゃん。でも本当だよ。は一度死んで金魚になって、彼女に助けてもらったんだ」
「違うね。うっかり金魚になった生者がいたから、マニュアル通りに業務を遂行したのさ」
 八重子さんに説明されたくなくて、俺は店長の声だけを聴いた。事情はわからないが、店長の一人称が『僕』から『俺』に変わったことが気になる。些細なことだが、自分自身の認識が変わるほどのことがあったのだろうか。
 店長は羽織っていた着物を脱ぐと、震える手で強く握りしめた。
「俺が死にかけた前後の話をしよう。少し長くなるけど」
 すう、はあ、と店長は大きく深呼吸をした。なにかを確かめるように呼吸をし、ゆっくり、ゆっくりと過去を語り始めた。


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