見出し画像

「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十八話 あらたな日常

 金魚屋探しの決意を新たにした翌朝、俺の日常にささやかだけど、大きな変化があった。起きてすぐ右肩辺りを見ると、そこに金魚はもういない。
 水瀬渚沙は昇天した。なにか感じたのか自我はなかったのか、俺にはなにもわからない。累さんに聞いてみたけれど、「知らないし興味ないし」と言われて終わった。
 金魚屋は金魚と関係を築かない。弔うだけの存在で、生者の俺が十九年連れ添ったことのほうが珍しい。
「水瀬渚沙は来世に期待、か。会ってもわからないよな」
 殺されたくはないが、俺を食わなかったら昇天まで共生できたかもしれない。
 なにが最善かわからない。たしかなのは、十九年の奇跡を乗り越えた春陽は、累さんの元にいるということだ。金魚屋になる手続きと、俺の魂を使わずに生きる方法を身につけるらしい。慣れたら金魚屋の外に出ることもできて、本格的に金魚屋の仕事をするそうだ。一人前になるまで、俺の部屋では会えない。
「……あ、初めての一人暮らしだ」
 静かに泳いでいただけだったが、金魚のいない部屋は物悲しい。
 現金なものだ。俺の人生を狂わせていたというのに、いなくなったら恋しく思うなんて。
 カーテンを開けて窓の外を見ると、雲一つない夏空が広がっている。心機一転の再出発にはふさわしい、爽やかな景色だ。だが時間割は相応しくない。今日は三限だけという、やる気の起きない時間割をしている。それでも『一人だけで外を歩く』というのをやってみたくて、まだ八時前だがノートパソコンを持って部屋を出た。

 外に出てみると、ちらほらと金魚が宙を泳ぐいつもの光景がある。俺の右肩に金魚のいなくなった虚無感が、少しだけ埋まる気がした。
 大学へ行くと、一限のあった隆志が話しかけてくれた。金魚のことに無関係の隆志はなにも変わらない。変わらない存在に、俺はようやく日常を取り戻せた実感が得られる。
 授業もぼんやりと過ごし、三限で今日は終了だ。隆志は選択科目で四限があるので、一人きりでとぼとぼと帰路に付く。大学の門へさしかかると、飛び込んで来た光景に、ぼんやりした気持ちは吹き飛んだ。
「うわ~……」
 門の外から、きゃあきゃあと女性の色めきだった叫び声が聴こえてきた。それも一つや二つではない。発生源は、金魚の塊を彷彿とさせるほどの女性集団。中心にいたのは、近隣では夏祭りにしか出会えないと噂のイケメンだ。
「やあアキちゃん! ここだよ! ここ!」
 女性に囲まれていた店長の一声で、女性全員の視線が俺に突き刺さった。なにもしていないのに敵意を向けられるとは。
 俺と女性たちの気持ちを察しているのかいないのか、店長は女性を完全に無視して俺の元へスキップしてくる。
「今日も元気だね! しっかりまったりお勉強したかい!」
「はい。授業が終わったところです。店長こそ、もう体調は大丈夫ですか?」
「最初ッから平気さあ! そんでもって、今日はアキちゃんを誘拐しにきたのさ!」
 誘拐ってなんですか、と聞こうと思ったが、発声するより前に俺の身体が宙に持ち上がった。店長が俺を肩に担いでいる。
「は⁉ なんですか⁉ どんな力してんですか⁉」
「さあさあ行こう! すぐいこう! 餌だ餌だぁ!」
「餌⁉ なんの⁉ いや、降ろしてください! 普通に行きますから! ちょっと!」
 細い体からは想像できない剛腕に、俺は驚き店長にしがみついた。じたばたしても降ろしてもらえず、門を出て少ししたところでようやく降ろされる。降ろしてくれたのは車の前だった。ライトベージュでシャープな見た目は店長と似ている。
「店長の車ですか? あ、黒猫の人形ぶらさがってる。好きなんですか?」
「いんや。黒猫喫茶って名前つけたら、クライアントが送ってくるようになったんだ。累くんが使わなければ、僕が一か月使って、あとはポイッ! っだ!」
「一応は使うんですね」
 わりとすぐ廃棄するドライな対応に驚いたが、潔さはらしい気もする。ドアを開けてくれて、エスコートされるがままに助手席へ乗り込んだ。
「遠くから来たんですか? 平日だし、仕事中ですよね。大丈夫なんですか?」
「大丈夫さあ。秘書には体調不良でお休みするよ~って言ってあるからね!」
「ズル休みじゃないですか。社長がいい加減なことしていいんですか?」
「仕事が終わればいいんだよ~。さあさあそれでは! いざ行かん我が家!」
「えっ⁉ 家⁉」
 驚いた俺の話など聞かず、店長はなぜか高笑いしながら車を走らせた。
 三十分ほど走ると車はマンションの地下へと入っていった。道路の名称には疎く、都内の地理が頭に入っていないので今どこにいるのかわからない。ずんずんと進む店長の後についていくと、地下から乗り込んだエレベーターで二十七階を指定した。どんな生活をしているか謎だったが、タワーマンション住まいは違和感がない。
 二十七階で降りると、エレベーターホールだけで俺の部屋より広かった。廊下も広く、絨毯はふかふかだ。そこかしこに繊細な装飾が施されていて、高級ホテルといっていい。店長のためにあるといっても過言ではない場所に、使い古したシャツを着ている俺は場違いだった。
 気まずく感じていると店長は一つの扉の前で止まり、顔認証でドアを開ける。
「さあさあどうぞ! 遠慮せずお入り! ただいまあ! 今帰ったぞ~!」
 ただいまという挨拶を聞き、足元に女性物のサンダルが置いてあるのに気が付いた。一人暮らしだと思っていた。いや、一人暮らしだからこそ女性物だ。
「帰ります! すみません! 改めます!」
 俺はドアが締まる前に出ようとした。だが店長が俺の腹に手を回し、ひょいっと抱えて玄関の内側に置いた。
「僕が連れてきたんだからいいんだってぇ。はい、鍵しーめた!」
 あたふたしているうちに、ドアからガチャンガチャンと鍵の二回締まる音がした。セキュリティに関する情報は持っていないが、厳重な雰囲気を感じる。
「さっ! さっ! 中にお入り! アキちゃんお待ちかねの金魚鉢があるよ!」
「は?」
 突如、話が金魚に戻った。転換の速さについていけずにいたが、店長はスキップで中へ入ってしまう。家主は見えなくなってしまったが、俺は一応頭を下げてから店長を追った。
 部屋に入ると、圧倒された俺の足は止まってしまった。
 初見の感想は『やっぱり』だ。内装はシンプルで、パリッとした印象を感じる。俺の部屋が五つは入りそうな広さであることを除けば普通だ。
「凄い広さですね。掃除ってどうしてるんですか?」
「週に二回、家事やら掃除やらをやりに来てくれる子がいるんだよ。ここだけでも広いってえのに二階もあるんだよ。まったくもって無駄だよねえ」
「家事代行サービスですか? そんなにお金かけても、ここがいいんですか?」
「御縁の両親からの条件なんだよ。一人暮らしは御縁が管理する場所でってね。アキちゃんのお母さんほどじゃないけど、過保護なのさ。まったく奇特な人たちだよ。あんなに愛らしい一人娘がいるってぇのに、問題しかない僕を養子にして育てるなんて」
 どきっとした。俺には『御縁叶冬』と名乗っていたが、両親に見せてくれた名刺は『藤堂叶冬』と書いてあった。深い事情があることは察せられ、聞いていいか迷う。
 困惑する俺に背を向けて、店長は黒い高級そうなソファに座った。背もたれには金魚屋の正装である黒い着物が掛けられている。意味はないだろうが、意味ありげに感じてしまう。顔半分だけ振り向き、向かい側に座るように視線で促され座った。
 店長は胸ポケットから名刺ケースを取り出すと一枚取り出し、机の上に置いた。細い指先で、すっと俺に差し出してくれる。
 俺の指先が名刺に触れると、店長はソファの背もたれに掛けてあった着物を羽織った。
「あらためて挨拶をしよう。藤堂叶冬だ。よろしく」
 名刺は以前見た、藤堂不動産ホールディングス株式会社代表取締役社長のものだ。肩書は金魚屋ではない。
「僕は御縁家の養子なんだ。ただ、やらなきゃいけないことがあってね。姓が変わってたら気付いてもらえないから、世間に名を出すときは藤堂にしてる」
「気付いてもらうって、誰にですか? やらなきゃいけないことは、金魚屋探しですよね」
「すべて教えるよ。でもまず見せたい物があるんだ」
 店長はソファの右側に置いてある、白いキャビネットの深い引き出しを開けるとなにかを取り出した。店長はそれを持て俺を振り返り、俺は店長の持っているそれを見た。店長が持っているのは、金魚鉢だった。人の頭部くらいの大きさがあり、口がうねうねした、典型的な『金魚鉢』だ。だがUSBジャックにカードスロットがついていて、普通の金魚鉢ではない。
「累さんのとそっくりですね。それが最初に言ってた『金魚を消す金魚鉢』ですか」
「あれには驚いたよ。でもこれは預かってるだけで、僕の物じゃないんだ。覚えてないから断言はできないけどね」
「覚えてないのに、預かってるってわかるんですか? 店長が金魚屋から持ち出したのかもしれないですよ」
「わかるんだ。でもわかったのは僕じゃない。アキちゃんに会うまで、僕の唯一の理解者だった子だよ。今日は彼女をアキちゃんに紹介しようと思ってね。おおい。アキちゃんがきたよぉ。降りておいでえ~」
 店長はインターフォンモニターの前に行くと、スイッチを入れて『彼女』へ呼びかけた。モニターの向こう側から、若い女性の声で「はあい」という返答が聞こえる。すぐに階段から、パタパタとスリッパで降りてくる足音がした。
「君は」
「かなちゃんの妹の御縁紫音です。よろしくね、アキちゃん」
 降りてきたのは、黒猫喫茶で出会った女の子だった。今日は巫女装束ではなく、スリムなジーンズに白いTシャツのカジュアルな装いをしている。
 落ち着いて顔を見合わせると、改めて『美少女』という称号がいかにふさわしいかが良く分かる。まん丸の大きな瞳と適度に丸い頬は幼さが残り、なめらかな動きは良い家のお嬢様だと思わせる。
 ただ一つ、気になった。店長の本名が『藤堂』なら、紫音ちゃんは血の繋がらない妹ということだ。それなのに店長の理解者ならば、それなりの過去があるのかもしれない。
 今から語られるであろう真実は、どれほどの重さなのだろうか。それを想うと、俺の足は竦んでいた。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?