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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十九話 謎の金魚鉢と消えた親友

「紫音が家事と掃除をやってくれてるんだ。もちろんお小遣いをあげている!」
「いらないって言ってるんだけどね。時給千五百円なの」
 紫音ちゃんは笑っていたが、気まずそうにも見えた。
 店長は以前「紫音に手を出したら容赦しない」と、なにもしていない俺をけん制していた。可愛がっているのは明らかで、それだけに、空飛ぶ金魚なんて怪しい話に巻き込むのは不思議な感じがする。
「それじゃあ説明しよう! それでは第一問! どうして僕は長髪だと思う?」
「えっ」
 紫音ちゃんは座ってすらいないのに話が始まった。突然すぎて考える余裕がなかったが、余裕を持つ前に店長がバッと両手を挙げて万歳をした。
「はい不正解! それでは正解です! これを隠してますババーン!」
 考えて当てさせるつもりではなかったようで、店長は自ら髪をかき上げ首の後ろを俺に見せた。首筋には、大きな傷跡がある。頸椎からは外れているが、よくテレビドラマで『切ったら死ぬ場所』あたりだ。こんな怪我をして生きているのは奇跡なのではないか。
「すごいだろう! 高校のとき死にかけたのさ! 事故だよ! 覚えてないけど!」
「えっ」
「母親もその頃に死んだよ! 天涯孤独になった僕を、御縁が養子にしてくれたんだ!」
「えっ」
「で、その金魚鉢は急に現れた謎物体! 以上だ!」
「……え?」
 店長は、ふんっと、なにかを成し遂げた顔で胸を張っている。紫音ちゃんは苦笑いだったが、否定する様子もない。
 ふざけた人だが、真面目な人だ。からかってるわけではないはずだ。どんな意図なのか、数秒考えた。この話がなんであれ、話の目的は一つだけだ。
「今のは『そういう事実があった』という話ですよね。それで、どうして店長は金魚を探してるんですか? 金魚鉢の持ち主はどこの誰なんですか?」
「んっ! アキちゃんは理解が早い! それを知ってるのが紫音さ。失われた記憶の当時、紫音は僕の傍にいた。でも紫音は金魚に関わってないから記憶を消されてないんだ」
「あ、母さんにとっての父さんみたいなことですね」
「そうそう。さあ、紫音。お前の知ってることを、た~んと話しておあげ!」
 店長に言われて、紫音ちゃんはこくんと頷いた。紫音ちゃんはゆっくりと俺を見ると、大きく深呼吸をしてから口を開いた。
「私も金魚については知らないの。知ってるのはゆきちゃん――真野雪人くんについて。雪人くんは私の親戚で、かなちゃんの幼馴染。かなちゃんが怪我して記憶喪失になった一年後、ゆきちゃんは失踪したわ。今も見つかってない」
 紫音ちゃんの声は尻すぼみで、話し終わると俯いた。漫画やドラマでしか聞かない非現実的なストーリーだが、店長はなにも不思議そうな顔はしていない。店長にとって現実的な話なら、俺も現実的に考える。
「店長の事故と雪人さんの失踪は関係あるんですか? 一年って相当空いてますよね」
「真相はわからない。でも僕らはあると思ってる。実は、警察にゆきを隠した犯人は僕じゃないのかと疑われたんだ」
「犯行を疑われるくらい仲が悪かったんですか?」
「良かったわよ! 親友っていってもいいくらい! かなちゃんと私が仲良くなったのも、ゆきちゃんを通じてなの。ゆきちゃんの家と御縁の家は仲良かったからね!」
 身を乗り出して答えたのは紫音ちゃんだ。俺はなにを否定したわけじゃないのに、ぷうっと頬を膨らませて不満そうな顔を向けられた。なんとなく頭を下げて、店長に視線を向ける。
「どうして疑われたんですか? 警察が来たってことは事件性があるんですよね」
「ゆきの両親と僕の両親が揉めてたんだよ。まず、藤堂の父は僕が小学生の頃に死んでるから事件には関係ない。でも藤堂の母が死んだのは、僕が事故に遭った前後数時間の間らしい。警察はゆきの両親が母を死に追いやり、恨んだ僕がゆきを隠したと思ったんだね」
「雪人さんのご家族が、店長のお母さんへなにかした物証でもあったんですか?」
「いいや。病死だよ。でも僕の親がゆきの親に借金をしてて、返済でごたごたがあったらしいんだよ。ゆきの母親は日常的に僕の母をいじめてた証言もある。けど、僕は母同士の諍いも自分が事故に遭った原因も記憶にないから、逆恨みしてたかどうかもわからない」
「ゆきちゃんのお母さんは、かなちゃんがなにかしたんだって大騒ぎよ。でも結局、ゆきちゃんは自分でどこかへ行ったんだろうってなったの。それで終わり」
「急に一転しましたね。警察ってそんな簡単に方針転換するものですか?」
「アリバイがあったからね。ゆきの失踪場所は入院先の病院で、失踪時刻に僕はこの部屋にいた。防犯カメラにも入退出管理システムにも僕が部屋を出たログはなかった」
「入院? 雪人さんはどこか悪かったんですか?」
 ぴくっ、と店長の指先がわずかに揺れた。表情は変わっていないが、空気が重い。なにか声をかけなくてはいけないのだろうが、空気を打ち破ったのは紫音ちゃんだ。
「最初はノイローゼみたいだった。体調も悪くなっていったけど、原因不明で治療もできなかったわ。だから病状を苦にして失踪したんじゃないかってなったの……」
 紫音ちゃんは気丈なんだと思う。でも最後まで貫けるほど強くはないのだろう、声はまた尻すぼみになっている。大丈夫か気になったが、それ以上に雪人さんの病状が引っかかる。
 精神の乱れに、原因不明の体調不良――累さんが教えてくれた、金魚憑きの死にゆく状況とよく似ている。
「事件はこれで終わりだ。僕の事故とゆきの失踪。独立してるが、つながっていると思ってる。その理由が金魚鉢だ」
 店長は金魚鉢をコンッと叩いて紫音ちゃんを見た。
「これはゆきちゃんの部屋にあったの。ゆきちゃんのお母さんが捨てようとしたことがあるんだけど、すごく怒ってた。あんなに怒るゆきちゃん初めてだったからよく覚えてる」
「はあ。どうして店長が持ってるんですか?」
「ゆきが失踪した翌日、僕の部屋にあったんだよ。突然。一体なんだと思ってたら、紫音がゆきの物だと教えてくれたんだ」
「それで二人は店長と雪人さんの事件がつながってると思ったんですか」
「そうよ。でも私が確信した理由は金魚鉢だけじゃないわ」
 紫音ちゃんは顔を動かさず、目だけで店長を盗み見る。
「金魚鉢を手にした直後だった。かなちゃんは着物を羽織って、ミュージカルみたいな喋り方をするようになったの」
 俺は思わず、勢いよく店長を見た。奇妙な服装にミュージカルのような立ち居振る舞い。元よりの性格かと思ったが、あえてやっているのなら目的ある演出だ。
 店長は着物を撫でた。大切ななにかを慈しむように、そっと、そっと撫でた。
「これは記憶なんだ。神社の水槽も黒い着物も喋り方も。形にすれば、僕が忘れても誰かが覚えてる」
「……そっか。店長が探してるのは、金魚屋じゃなくて雪人さんなんですね」
「うん。僕は死にかけた前後で金魚に関わり、金魚屋に記憶を消されたんだろう。ゆきはきっと、僕に巻き込まれたんだ」
「そうとは限りませんよ。店長の記憶喪失は事故のせいで、店長と雪人さんの事件はまったく関係ないかもしれません」
 はっと店長は息をのみ、紫音ちゃんと目を見合わせて二人一緒に俺を見た。
「そういう可能性もあるね。うっかりしていたよ」
「けど俺と春陽と母さんの状況に似てますよね。『別件にみえてつながっている』のなら、金魚屋が『処置して金魚帖から名前の消えた店長』に接触する必要がでてきたんじゃないですか? 雪人さんは店長とは関係なく金魚憑きになってて、金魚屋は雪人さんを利用して店長に近づこうとした、とか」
 累さんは俺を『よくあるイレギュラー』と言っていた。同じ状況が存在していたとしても不思議じゃない。そう思えば現実的な事件に思えてきたが、今度は紫音ちゃんがぽつりとこぼした。
「……自力で辿りつくのを待ってるんじゃないかしら」
「え? 誰が誰を?」
「金魚屋が、かなちゃんを。この金魚鉢って大切っぽいよね。普通なら取り返しにくると思うの。こないのはかなちゃんに来てほしいからじゃない?」
「ありそう。なら金魚屋の居場所に目星がつきますよ。金魚屋は地区ごとに担当者が違う。店長の記憶を弄った金魚屋は、店長が入院した病院近辺にいる」
 一瞬、しんと部屋が静まった。間違ったことを言ったのかと思ったが、店長は立ち上がり拳を握りしめる。
「そうじゃないか! どうして思いつかなかったんだ。調べるのはまずそこだ!」
 いつもの店長から考えれば、さして秀逸な推理でもない。普通なら真っ先に調べているはずだ。記憶を消されたせいで、金魚屋につながることは思い至らない可能性もある。他にも話せば思い出すことがあるのかもしれない。
「店長の入院してた病院へ行きましょう。場所って近いですか?」
「神戸の芦屋だよ。調べ回ることを考えれば、日帰りは難しい。アキちゃん、土日なら泊りになっても大丈夫かな」
「はい。来週の月曜が休講なんで、多少時間がかかっても大丈夫です」
「じゃあ新幹線のチケットは用意しておく。黒猫喫茶の経費だから気にしなくていいよ」
「有難うございます。今ちょっと厳しいんで、お言葉に甘えます」
 不謹慎かもしれないが、わくわくした。とても説得力のある非現実の真相だ。金魚屋の店長の金魚屋は、きっとそこにいる。



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