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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十九話 真野雪人の行方

 語り終えると、店長はふうと息を吐いた。
「これが僕の忘れていたすべてだよ。アキちゃんから金魚の話を聞くたびに、点と点がつながる気がしていたんだ」
 寂しげに微笑んだけれど、俺が真っ先に考えてしまったのは紫音ちゃんの年齢だ。同じくらいかと思っていたが、今の話からするに、店長と同じくらいの年齢だろう。まったくどうでもいいことだが、なかなかの衝撃だった。
 店長も印象が違う。若い頃は鋭い棘があったとは衝撃だ。記憶喪失で性格が変わったのか、それとも歳を重ねて落ち着いたのか。どちらにしても、人間とは謎多き生き物だ。
 それはともかく。石動家以上に壮絶な話だ。店長にとって大切なできごとだったのもわかる。でも、今の俺たちの目的には重要じゃないように感じた。店長が知りたいのは消えた記憶そのものじゃない。雪人さんの行方だ。
「雪人さんが失踪したのは一年後ですよね。理由か、なにか思い出しました?」
「なにも。僕はまったく知らないんだ。やっぱり僕とゆきは独立してるんだよ」
「じゃあ謎を一つずつ解明しましょうか。今の話にも不明なことがあります。店長はどうして生者のまま金魚になったんでしょう。八重子さん、金魚にはよくあるんですか?」
「あるかァ! こいつぁ、かなちゃんのお母上の意地だよ。生きるには魂と肉体の、どちらが欠けても駄目だ。けどかなちゃんは肉体より先に、魂が尽きそうだったんだよ。そこで、お母上は自分の魂でかなちゃんの魂を補填したのさ。そんで亡くなっちまったけどね」
 店長は目玉を八重子さんに向け、後を追うようにして顔ごと八重子さんへ向けた。
「……母さんは心臓麻痺だ。診断書も見てる」
「そう! ただし、死んだ理由は魂不足! 人間は原因不明の死を心臓麻痺にするのさ! かなちゃんのお母上も魂よわよわだったんだよ。ゆきちゃんのお母上はいじめてくるし、一人息子もだ~~~いぶキツかったようでねえ。それを人に分けるなんて自殺行為さ。だから死んでしまったんだぁね」
「じゃあ……母さんの心臓麻痺は、偶然でも病気でもなくて……」
「かなちゃんが殺したのさ! 君はお母上の魂を食って金魚になり! 金魚屋に保護され一人生き延びたのさァ!」
「八重子さん、やめてください。さすがに怒りますよ」
 厳しい表情で八重子さんを制したのは宮村さんだ。一人生き延びた、というのは鹿目さんから聞いた宮村さんの過去に重なる。思うことがあるのかもしれない。
 金魚は未練を持った魂だと金魚屋は言う。未練は一人のものじゃないのかもしれない。
 店長はぼうっとどこかを見ていた。店長が最後に母親と交わした会話は、叱責し馬鹿にするような言葉の投げつけだ。それまでも、一人で家計を支える苦悩があったのだろう。喧嘩も多かったのかもしれない。
 それでも、店長を守ってくれた。
「母さんが死んだのは俺のせいか……」
「違います。店長のためです」
 春陽は俺を守ってくれていた。金魚になってまで傍にいてくれたのは、俺と両親を想っていてくれたからだ。
「金魚に生かされた生者は、生きて幸せにならなきゃいけない。店長は雪人さんを見つけなくちゃ駄目です」
「……そうだね。うん、そうだ」
 店長はぐっと拳を握りしめ、固く眼を閉じる。大きく深呼吸をすると、凛とした表情で八重子さんと宮村さんに向き合った。
「僕からも訊きたい。どうして最初に僕を追い出したんだい? 最初に弔っておけばよかったじゃないか」
「あ~そりゃ~まぁ~……」
「八重子さんのミスだよ。半生者の金魚はその場で弔うのが正しいフロー。でも八重子さん、イレギュラーケースを把握してなかったんだ」
「うっかり追い出しちゃったんだよねえ! あっはっは!」
「……それだけかい?」
「だけだよ。でも本社に怒られるんだ。生者の魂をあるべき場所へ導くのも金魚屋の仕事なのに、殺すところだったんだから」
「だまらっしゃ~い! 無事だったんだからいいんだよ!」
 八重子さんは下品な笑い方をして、足をバタつかせた。店長が遠回りをしたのは、八重子さんが不真面目だったせいなのか。必死になっていたことが馬鹿らしくなってくる。
 俺は文句を言ってやりたい気になったが、店長は追及せず話を進めた。
「もう一つ、どうして僕の記憶は部分的に残ってるんだい。鹿目浩輔は完全に忘れてたよ」
「それも八重子さんのミスで、金魚鉢のせいなんだ。金魚の弔いをインストールした金魚鉢は、移動型金魚屋だ。金魚鉢を持った叶冬くんは、一時的に金魚屋になった。だから記憶が一部うちと繋がった。そんな大事な物を、八重子さんは御縁家の客間に忘れたんだよ」
「そうそう! かなちゃんの弔いしたときにねえ! あっはっは!」
「……それだけかい?」
「それだけだぁよ。ゆきちゃんは、それをそのまま隠匿したんだ。困った子だよぉ」
「忘れた八重子さんが悪いですよ。ちなみに、これもかなり怒られる。金魚屋の存在を知られる可能性があるからね」
 八重子さんは興味なさそうに、首をごきごきと回していた。宮村さんがいてくれてよかった。八重子さんだけだったら俺は怒鳴り散らしていただろう。
 だがまだ雪人さんへ繋がらない。なにか手掛かりはないのか、店長が金魚だったときの状況を振り返る。振り返っていくと、気になることがあった。
 店長はぼんやり覚えていることがあった。水槽や八重子さんを真似たことなどは『記憶』で、金魚のときの経験だ。
「……変ですよ。店長が憶えてたことに、経験してないものありますよね」
「え? そうかい? なにかあったっけ」
「渦が怖いのは、金魚の弔いが怖いんですよね。でもさっきの話だと、ぐるぐる回された記憶ないじゃないですか。なんで怖いんですか?」
 金魚の店長の記憶は、八重子さんに選択を迫られた時点で終了している。その後に弔われたと思われるが、記憶にないなら恐れるのはおかしい。
「あと、金魚湯。どうして金魚湯って名前にしたんですか?」
「なんとなく覚えてたんだよ。そういう物があったような気がして」
「それ。それ変ですよ。さっきの話に、金魚湯は出てきてない。知らないことを覚えてるなんて、ありえないですよ」
「……そういえばそうだ。どこで聞いたんだ、僕は」
 今の店長は記憶をすべて取り戻した状態だ。それなのにまだ曖昧な記憶があり、視点が店長ではないとなれば――
「店長の記憶、違う人の記憶が混ざってますよね」
 店長は目を見開いて拳を揺らした。きっと同じことを思っている。
「八重子さん、最初に『かなちゃんの命は二つの命を犠牲にして成り立っている』って言いましたよね。一人はお母さんで、もう一人は誰ですか?」
 雪人さんは金魚憑きだ。金魚になった店長が憑いたから、金魚の店長を視ることができた。なら店長は雪人さんを食っていたということになる。
「俺と春陽みたいに、魂は複数名で共有することがある。店長の中にある誰かの記憶は、魂を共有した誰かのものじゃないんですか?」
 魂の共有といえば、店長には未解決のことがある。
 店長は金魚になる夢をみている。右半分だけで侵食は止まっている。
 雪人さんが残した金魚鉢は八重子さんの店の備品だ。なら『店長の記憶が繋がった』先はこの店ということになる。
 そして、金魚屋は時の進みが遅い。生者からみれば時が止まっているようにみえる。
 店長が魂を共有した相手は店長の魂を食っている。つまりは金魚で、店長は金魚憑きといえる。だが視認できる金魚はいない。
「金魚の店長は、雪人さんの魂を食っていた。店長は金魚鉢を通じて、八重子さんの店に繋がった。雪人さんと八重子さんは顔見知り……」
 ――導かれる答えは一つしかない。
「雪人さん、この店にいるんじゃないんですか?」
 びくりと店長の指先が震えた。
「店長の半分を金魚にしたのは雪人さんだ。侵食が右半分で止まったのは、雪人さんの時間が止まったんじゃないですか? 時間が止まるのは、金魚屋の中だけです。雪人さんは八重子さんの管轄なんですよね」
 店長はゆっくりと八重子さんをみた。唇が小刻みに震えている。
「……ゆきがいるのか」
「だから最初に言ったじゃあないか。かなちゃんが欲しいあれがある、って」
 言っていた。記憶を思い出させる前に言っていた。答えは最初から提示されていた。
「さあて、行こうか。ようやくすべてが終わる」
 真っ先に立ち上がったのは宮村さんだった。八重子さんが立ち上がりやすいよう手を差し伸べ、八重子さんは宮村さんの手を握って立った。お嬢様と執事のような立ち居振る舞いは、様になっている。これが八重子さんのあるべき姿なのだろうと、なぜかそう感じた。


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