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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第三十話 魂の片割れ、真野雪人との再会

 宮村さんに手を引かれて歩く八重子さんを先頭に、喫茶店の奥にあった扉をくぐった。扉を出た先は薄暗い廊下で、一本道を進むと『立入禁止』の札が掛けられた扉が見えてくる。
 宮村さんは立ち入り禁止の扉を開けて中へ入ると、唐突に風呂場が現れた。首を左右に回しきらないと端が見えない広さで、一流旅館の大浴場と言って良いだろう。檜の良い香りがしていて、入浴すればとても気持ちが良いだろう。
 宮村さんは靴と靴下を脱ぎ、八重子さんをお姫様抱っこして歩き始めた。見かけによらずすさまじい腕力だ。
 水で濡れた石床を歩いてガラス戸を開けると、外からは夏とは思えない涼しい空気が流れ込んでくる。八重子さんは旅館の女将のような美しい所作で、一つの湯舟を指さした。
「さあさあごらんあれ。あれがかなちゃんの魂の片割れさ」
 ひたりと店長が一歩前に出た。八重子さんの示した先――店長の背中越しに見えたのは風呂だ。とくに変わった所はないようにみえたが、店長は勢いよく走り出す。
「店長⁉」
 店長は八重子さんと宮村さんを押しのけ風呂に飛び込んだ。飛び込むと、誰かを抱き上げるような動きをした。湯気に隠れてよくみえない。ぼんやりと見えるのは黒髪だ。
「ゆき、ゆき! ゆき! 見つけた、ようやく……!」
 近づいてみると、店長の腕の中にはくたりと力なく横たわる若い少年の姿があった。色は白く、身体はすっかりやつれ切っている。これが真野雪人か。
 店長はとても声を掛けられる雰囲気ではなく、俺は宮村さんに訊ねた。
「彼、十八歳くらいですよね。やっぱり年をとらないんですか?」
「うん。金魚屋の敷地内に入れば誰でもそう。叶冬くんと雪人くんのイレギュラーは、叶冬くんが金魚のときに雪人くんの魂を食ってたことなんだ。魂を食ったまま肉体に戻ったことで、二人は魂が混ざってしまったんだ。で、さらにもう一つ問題が起きた」
 八重子さんは宮村さんの腕から降りると、袖の中から金魚帖を取り出した。ぱらりと表紙を開き、一枚目を捲ると真野雪人の文字があった。
「ゆきちゃんの寿命は十九歳七か月十三日。本来ならとっくに死んでるのさ」
「寿命って、どういうことだ」
 俺が反応する前に、雪人さんを抱いた店長が声を上げた。立ち上がろうとしたようだったが、八重子さんがぐっと湯に押し戻す。
「落ち着きたまえ。湯から出すんじゃないよ。出したら死ぬぜぇ」
「な、んだと」
「その湯が金魚湯だあよ。金魚湯は魂を癒す湯。ゆきちゃんは魂足りないから、補填してあげてるのさぁ。かなちゃんが金魚湯を知ってるのは、ゆきちゃんが知ってるからだ」
「補填してあげてるって、あんたが閉じ込めたんじゃないのか」
「は~ア⁉ ふっざけるんじゃないよ! ゆきちゃんは、ある日ふらっと勝手に来たんだ! そんでいきなり倒れて、ワケワカランから金魚湯に放り込んだんだよ!」
 八重子さんは金魚帖をぶんぶん振り回した。金魚帖に名前があったなら、回収され弔われる予定だったはずだ。店長が生き返った後なら、やはり雪人さんと店長は別のできごとだ。
「雪人さんの死は店長とは関係ないんですよね。死因はなんですか?」
「金魚の個人情報は秘密だ! 普通なら、金魚になって彷徨ってるところを回収するんだけど、なんでか人間のまま来たんだよ。とりあえず弔ったんだけど、やっぱりこのまま」
「八重子さんも俺も初めてのケースなんだ。調べたら叶冬くんの幼馴染だったことがわかったんだね。どうりで弔っても弔えないはずだ」
「弔えないのはどうしてですか? 店長と魂が繋がってるからですか?」
「そそ! ゆきちゃんの魂の一部はかなちゃんの中にある。かなちゃんごと弔わないと、すべての魂は弔えないのさァ。困ったちゃんだね」
「でも店長は一度弔われてますよ。魂を食うって、消化されて血肉になるんですか?」
「さあね。そんなことは金魚に聞いておくれ。僕にわかるのは、二人とも死亡して同時に弔わなきゃ、金魚帖の名前は消えないってことだけだ」
「これがまた本社に怒られる。やるべき仕事を、二十年もほったらかしてるんだから」
「けど金魚帖って、生者に害を成す金魚が出てくるんですよね? 雪人さんがなにをしたっていうんですか」
「具体的な判定基準は俺たちにもわからないよ。でも生者の魂と同化したっていうのは、生者の魂を食ったとも言い換えられる。それが害と判断されたんじゃないかな」
 なんだか説明がはっきりしない。さっきから『おそらくきっとそうだろう』という話ばかりで、断言しない理由はなんなのか。
「わからないことが多すぎませんか。わざと隠してるんですか?」
「隠してないよ。八重子さんは契約社員で、俺はアルバイトだから知る権利がないんだ。知りたいなら累さんに聞いてごらんよ。社員はいろいろ知ってるから」
 累さんも似たようなことを言っていた。雇用形態によって責任の範疇が違うから、権限が違う。ならば八重子さんと宮村さんが情報不足なのも仕方のない話だ。
「と、いうわけでぇ。選択肢は二つだ。イチかバチか弔うか、弔わず死ぬのを待つか」
「弔えばゆきは生き返るんだな」
「マニュアルにはそう書いてあるね。やらなきゃ一生このままだよ。金魚屋は時が緩やかだから仮死状態を保ってるけど、それでもそのうち死ぬ」
「でも、生き返らせても問題はあるよ。まず、雪人くんは治療方法のない難病だったんだ。金魚屋になれば成長も病気の進行もほぼストップするけど、生者の領域に戻ったら予定通り死ぬ。生きたければ金魚屋になって、病気の治療法ができるのを待つしかない」
「他にも問題ありません? 雪人さんはこの肉体で起きるんですよね。帰ったらご家族驚きますし、年取ってないから、不老不死の怪しい研究とかされそうじゃないです?」
「されるねえ。しかも金魚屋の一切を忘れるから、本人も説明はできないよ」
「それに、金魚屋を出たら店長も忘れますよね。誰もフォローできないじゃないですか」
「アキちゃんも忘れるよ。全員忘れる。だから考える必要はないさ。関係なくなるのだからね! 僕らなんてもっと関係ないさァ!」
 店長は青ざめて、ぎゅっと雪人さんを抱きしめた。
 きっと店長は、雪人さんと一緒に日常に戻りたかったはずだ。でも高校の頃のような日常に戻ることはできない。未来も、ごく普通の日常になりはしない。
 少ない選択肢に震える店長を尻目に、八重子さんはカッカッカッと笑っている。
 不愉快だ。八重子さんにどんな思惑があるのか知らないが、俺には切り札がある。
「累さんに言いますよ」
 八重子さんと宮村さんがピタリと固まった。やはり、累さんは絶対的な存在のようだ。
「関係ないってなんですか? あるでしょう。今やってるのは、あなたのミスの帳尻合わせだ。それでも関係ないと言い切るなら、俺は累さんに助けてもらいます。累さんは厳罰って言ってましたけど、かまいませんね」
「強請ろうってのかい⁉ 金魚屋に助けてもらったくせに生意気だなぁ、アキちゃんは!」
「俺を助けてくれたのは累さんですよ。累さんは店長も助けると言ってくれました。ミスの尻ぬぐいを被害者に押し付けるあなたとは違う!」
「むっむ~う! なんて可愛くないんだ! じゃあどうしろってーんだよ! 金魚屋は魔法使いじゃあないんだよ! できることなんてないんだ!」
「いいえ、あります。金魚の春陽は累さんが生かしてくれた。でも店長と雪人さんは累さんの管轄じゃないから面倒をみれないんだ。店長と雪人さんは八重子さんの管轄ですね」
 俺は宮村さんに視線を移した。八重子さんは話にならない。ならば、話のできるお世話係にやってもらうしかない。宮村さんは、想いを堪えきれなかったのか、ぷっと笑った。
「いいね、秋葉くん。俺気に入った。八重子さん、いいですか?」
「勝手にせぇ! でも僕はこの子が嫌いだ! なっちゃんがやりんしゃい!」
「わかってますよ」
 宮村さんは楽しそうに含み笑いをした。ずっと寄り添っていた八重子さんから手を放し、店長の前に膝をつくと指を二本立てる。にぃっと口角を上げるところは累さんを思い出す。分かりやすく騒ぐ八重子さんより、宮村さんの笑みのほうがずっと恐ろしく感じていた。


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