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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第三十一話 真野雪人との再会

「弔って目を覚ましたあとの選択肢は二つ。雪人くんはうちが引き取り、叶冬くんはすべて忘れて日常に戻る。もう一つは、叶冬くんも金魚屋になってしまう選択だ。そうすればすべて覚えていられる。ただし、金魚屋として働いてもらう」
「つーわけだ! さあ、かなちゃんどうする! 金魚屋になり生者としての己を殺すか、己の中のゆきちゃんを殺すか!」
 関与を放棄したくせに、八重子さんはドンっと足を踏み鳴らして一歩前に出た。
「殺すかい? それとも殺すかい?」
 八重子さんは、流れるような美しい所作で店長に手を差し伸べた。こんな自分勝手な人なのに、仕草一つまで見惚れる美しさに腹が立つ。
 店長は雪人さんをそっと湯に横たわらせ、立ち上がると八重子さんの手を取――取らず、パンッと叩いた。
「金魚屋をやる。けどゆきは俺の店にもらうぞ」
「それはぜひそうして欲しいけど、それはともかく今僕の手叩く必要あったかい?」
「行いが悪いんですよ、八重子さんは」
「んなぁぁにぃぃ⁉ なっちゃんはいつもそうだ! 僕に助けてもらったくせにぃ!」
「はいはい。それじゃあ八重子さん、お願いします」
 宮村さんは面白そうに笑うと、床に整列してあった金魚鉢を一つ手に取り八重子さんへ渡した。
「水槽まで動かせないからここで弔うよ! 小さいけど金魚の弔いができる金魚鉢だ! この貸しは高くつくからね!」
「金魚屋の通常業務に、貸しもなにもないですよ。ほらほら早く」
「んむむむぅ~! んむむむぅ~!」
 すっかり宮村さんに動かされ、不満げな八重子さんは金魚鉢を雪人さんの頭上に置いた。コンセントもパソコンもなにもないが、動くのだろうか。心配で見つめていると、宮村さんが金魚鉢を指さした。
「緑のランプ見える? 充電完了してるって印ね」
「充電ですか。魂が電気で操作できちゃうんですね……」
「俺も最初は驚いた。でも魂の理のすべては汎用化され自動化してある。業務に落とし込んだのが累さんの双子の弟の結さん」
「ちょこちょこ名前出てきてますよね。凄い人なんですか?」
「金魚屋の総元締めみたいな人だよ。なんでもできて、人の話をまったく聞かない。聞くのは累さんの言葉だけ。だから金魚屋は累さんが怖いんだ。生きるも死ぬも累さん次第」
 なんだかブラック企業の社長と会長のようだ。そのブラック企業が俺たちの日常を守っている。ファンタジーのような非日常が日常を支えている。
「さあ、金魚の弔いだ」
 不思議な気分だった。魂が電気で操作されるのも、八重子さんが両手を広げる所作が美しいのも、八重子さんを美しいと思ってしまうことも、すべてが不思議に思える。
 金魚鉢の中で渦が起きた。中に金魚は入っていない。ただ回っているだけだ。無駄にくるくると空気が回り、フィィィっと機械音がする。音が止まって渦も止まると、辺りは静まり返った。
「終わったよ。この場の弔われるべき魂は弔われ、あるべき体へ戻った」
「え、もう、ですか? 俺はなんともないですけど」
「アキちゃんは関係ないんだからそりゃそーだ。でもかなちゃんゆきちゃんは~っと」
 店長はそっと雪人さんの頬を撫でた。八重子さんはシレッとしているが、宮村さんはなぜか嬉しそうに店長と雪人さんを見つめている。
 ――ぴちょんと水音がした。八重子さんの袖が濡れていて滴っている。
 水音が響き始めると、すうっと雪人さんの目が開いた。
「……かな?」
「ゆき! ゆき!」
 雪人さんの声はかすれていた。声を絞り出した雪人さんを、店長は湯に飛び込んで抱きしめた。
「かな、ごめんね……僕のせいで巻き込んじゃったね……」
「いやぁ、巻き込まれたのはゆきちゃんだよ。かなちゃんが金魚にならなけりゃ、魂が交ざったりしなかったんだ」
「違います。八重子さんが叶冬くんを追い出さなければ、魂は交ざらなかったんです」
「うぐぅ」
 宮村さんは八重子さんを支えながら、八重子さんを諫める厳しい言葉を言い放つ。それでも八重子さんの手を握ったまま、宮村さんは店長と雪人さんに微笑んで返した。
「混乱したのは八重子さんのせいだけど、だから今生きているということでもある。雪人くんは本来の寿命が尽きてるからね。でももう大丈夫。それより秋葉くんだよ」
「俺? 俺はもう問題ないですよ」
「あるよッ! 金魚屋を知っておいて、のんびりと生きていけると思ってないだろうね! 選択肢は二つ! 今度こそ金魚屋のことを忘れるか、君も金魚屋になるかだぁ!」
「補足すると、忘れるのは金魚屋のことだけ。でも叶冬くんも金魚屋になるから叶冬くんのことも忘れるよ。もし金魚屋になっても契約社員かアルバイト。叶冬くんの店で働くならアルバイトだね。普通に成長したいなら、金魚屋の敷地で生活しないように」
「分かってます。けど、俺は累さんに相談しますよ。春陽も累さんのところにいるし」
「そうだね。アキちゃんは累くんの管轄だしね」
「……えっ?」
 普通の声で普通に驚いたのは八重子さんだ。数秒は固まっていたが、カッと目を見開いて宮村さんの胸ぐらを掴んだ。
「じゃあなにか!? 芋づる式にぜぇんぶ累にバレるってえことかい⁉」
「そうですよ。最初に言ったじゃないですか。秋葉くんを利用したら、秋葉くんの管轄の金魚屋にバレるんじゃないかって」
「累だなんて思ってなかったんだよ! うわあ、うわあ! どうしよう!」
 八重子さんはじたばた暴れ、おそらく事態を把握できていないであろう雪人さんはきょとんとしている。不思議そうな顔をしている雪人さんに、店長は首を左右に振った。
 この騒ぎこそ、俺たちには関係ない。黒猫喫茶に帰って終わりだ。累さんなら店長と雪人さんも悪いようにはしないだろう。帰ろうか提案しようと思ったが、後ろからぽんっと肩を叩かれた。
「厳罰決定」
 不穏な単語が穏やかな声で囁かれた。振り向くと、温かみのある赤毛が揺れている。
「累さん!」
「うげぇ!」
「よくやったね、秋葉くん。叶冬さんも雪人くんも、無事でなにより」
 累さんはいつものように微笑んで、ぺたりと一歩前に出る。
 今日は着物を着ていた。真っ白な着物は深い赤色の袴に映える。黒い羽織を軽く肩に羽織っていて、背には繊細な鯉の鱗柄が描かれている。袖は通さず肩から掛けているだけだが、佇まいは凛々しくて威厳を感じた。
「探したよ、藤島八重子。副店長は藤島稔で、宮村夏生は名簿に名前がないけど?」
「俺は八重子さんのアルバイトで、金魚屋本体とは契約してません」
「ああ、そういうこと。八重子と同じ時を生きるなら、金魚屋になればいい。金魚屋じゃなければできることはないだろう」
「いいんです。俺の目的は、あなたたちとは違うんで」
「ふうん。それは、八重子の管轄は、金魚の発生が異常に少ないことと関係あるのかな」
 にっこりと累さんは微笑んだ。微笑んではいるが、纏う空気は重い。ひるまず宮村さんも微笑んで返したが、なぜか間に八重子さんが飛び込んできた。宮村さんを守るように両手を広げて通せんぼをしている。
 累さんは驚いたような顔をしたけれど、とんっと宮村さんの肩を叩いた。
「今度ゆっくり聞かせてもらおう。今は秋葉くんたちが先だ。三人は俺が手続きをしよう。叶冬さんは店長で雪人くんは副店長。秋葉くんは、帰ってからゆっくり考えよう」
「はい。有難うございます。けど、帰るといっても、新幹線のチケット、今から取れるかな」
「面倒だから金魚の通り道で帰ろう。八重子は始末書を作っておくように」
「あぁん⁉ アキちゃんはそっちの管轄だろう! 僕は知らん!」
「雪人くんのだよ。二十年近く隠ぺいしてた理由と、経過をすべて報告するように。そうすれば結には黙っててあげよう」
「書きます」
 八重子さんは急にぴしっと姿勢を正し、体を九十度に曲げて頭を下げた。結さんという人が相当怖いようだ。
 累さんは楽しそうに笑い、宮村さんは不服そうな八重子さんをなだめている。店長は雪人さんを抱きしめていて、雪人さんはきょとんとしたままだった。
 累さんは羽織を脱ぐと雪人さんに掛けた。
「金魚湯と同じ効果がある。落ち着くまでは着てること。いいね」
「はい……ありがとうございます……」
「それじゃあ帰ろう。君らの金魚屋店舗を見せてあげる。稔、金魚の通り道開いて」
 どこに隠れていたのか、金魚が一匹飛び出てきた。この金魚は稔という名前なのか。ぐるぐると回ると、以前見たのと同じような通り道ができる。店長は雪人さんに羽織を着せると軽々抱き上げた。雪人さんと目が合うと、ふにゃりと崩れるように微笑んでくれる。店長は嬉しそうで、俺はとても幸せな気持ちになっていた。


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