見出し画像

「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 最終話 金魚と生きる生者の物語

 八重子さんの店から金魚の通り道に入り、一歩出たら黒猫喫茶の中にいた。累さんの金魚屋へ通じる飾り扉から出てきたようだ。店内を泳いでいたのか、春陽がぴゅっと飛んで俺の右肩に落ち着く。
「ただいま、春陽。累さん、新しい金魚屋の店舗に行くんじゃないんですか?」
「まあまあ。とりあえずお茶とお菓子でも食べよう。雪人くんは魂の着床が不安定だから横になって。俺がいいって言うまで安静第一。いいね」
「はい。ありがとうございます」
 店長は雪人さんをソファへ寝かせると、傍に椅子を持って来て座った。二人は自然と手を握り、見つめ合う様子は幸せそのものだ。店長が願った日常ではないかもしれないけれど、マスコミに囲まれる日常よりは良いのじゃないかと、勝手に思った。
 そういえば、真野家はどうなっているんだろう。藤堂家を殺した親子のように報じられ、久美子さんは軽井沢へ引き籠った。卓也さんも一緒か、離別してしまったか。すべてを断ち切ったといえるほど遠い過去ではない。
 考えることも気を付けることも、きっと多い。でも今は無事を喜びたい。累さんはひょいと雪人さんの顔を覗き込み、腰に下げていた物を渡した。なんと竹筒だ。
「急に明治感だしてきましたね。なんですか、それ」
「金魚湯だよ。魂を定着させる薬みたいな物だから、一日三回は必ず飲むこと。葬儀場で作れるから後で教えてあげる。今はこれ一本飲んじゃって」
「はい。竹筒って始めて見ました。わ~……」
 こくりと飲むと雪人さんの頬に赤みがさした。飲食なんて日常的な動作なのに、店長は雪人さんを支えている。ふと宮村さんを思い出した。店長と雪人さんの様子によく似てる。きっと、かけがえのない、大切な存在なのだろう。八重子さんの襟を掴んだことをちゃんと謝りたくなった。
「で、店なんだけど。君らはここを使っていいよ。俺は新店舗を作るから他に行く」
「そんなこと言ってましたね。金魚屋ってどんどん増えるんですか?」
「増えるというか、足りてないから増やしたいんだ。そこで、君たちにも使命を課す!」
 累さんは、ビシッと店長を中心にした俺たち三人を指さした。
「金魚屋志望者が増える活動をすること! 死ぬほどつらい思いをした人をヒーローのように助けると、感謝して金魚屋に立候補してくれるよ。君らみたいに」
「……累さん、けっこう汚い話しますね」
「本人がよければいいんだよ。よくないのは宮村夏生みたいな意味不明のケースだよ。なんで金魚屋の手伝いなんてしてるんだか」
「金魚屋じゃないって言ってましたよね。そんなことあるんですか?」
「珍しくはないよ、各店長が独自にアルバイトを雇うってのは。でもそれは回収の手が足りないからだ。八重子の管轄は金魚が少ない。アルバイトが必要とは思えないな。八重子が無理強いしてるなら問題だけど、そんなふうでもないし」
 金魚の多い少ないはわからないが、宮村さんの考えていることは少しわかる。
 宮村さんは八重子さんの傍にいたいだけろう。たぶん、それだけだ。自分のためでも誰かのためでもなく、八重子さんのために金魚屋を選んだ。
 感情の種類はわからない。でも、店長と雪人さんならわかるのかもしれない。二人の傍で見ていれば、俺もいずれ気づけるかもしれない。
 累さんはカウンター席に座ると、レジ台に置いてあった黒猫クッキーを食べた。
「それはおいておこう。秋葉くんはとりあえず、叶冬さんの店でアルバイトをやる、でいいの?」
「はい。春陽が心配だし。けど、とりあえずっていいんですか? 八重子さんは金魚屋をやるかやらないか二択って言ってましたけど」
「八重子は契約社員だからね。持ってる権限ではそれしかできないんだよ」
「じゃあ、俺が他の人に金魚屋のことを喋ったらどうするんですか?」
「子どもが一人『魂は金魚になる』なんて言っても、騒ぎにすらならないよ。秋葉くんが笑い者になって終わり」
「……そうですよね。小学生のときそうなったし」
「春陽くんのこともあるし、しばらく様子みなよ。春陽くんが人間の姿をとれるようになるまでは、傍にいてあげたほうがいいでしょ」
「え⁉ 人の姿になるんですか⁉」
「金魚屋の金魚は皆なるよ。八重子のとこの稔もそう。春陽くんは金魚のまま十九年生きてるから、秋葉くんと同じくらいになるんじゃない?」
「そっか。人の姿をした春陽に会えるんですね。そっかそっか」
 春陽はくるくると回った。双子だから俺と似てるはずだ。声も似てるに違いない。思わぬ知らせに嬉しくなり、触れられないけれど頬擦りをする。
「累くん。僕とゆきの雇用形態はどうなるんだい? 八重子は、契約社員でアキちゃんはアルバイトだと言っていたよ」
「そうだね。契約社員でも金魚屋だから、叶冬さんも雪人くんも金魚見えるよ。秋葉くんは今と代わらずだけど、希望するなら契約社員にしてあげる。けど、まだ早いかな」
 累さんはバリンッと黒猫クッキーを食べた。唇の端に付いたクッキーの粉をぺろりと舐めると、もう一袋持って立ちあがる。未開封のクッキーを俺の手にぽんっと置いた。
「人生を決めるのは早い。まずは社会人になって、その先は新卒の冠がとれてからね。成長止まっちゃうから、金魚屋の敷地には入らないこと。黒猫喫茶は大丈夫だよ。扉の奥ね」
「はい。有難うございます」
 累さんはしっかりした、ちゃんとした大人だ。俺の金魚屋が累さんでよかったと、心から思う。子どもへするように俺を撫でると、金魚屋領域へ入る扉のノブを掴んだ。
「細かいことは雪人くんの魂が落ち着いてからにしよう。黒猫喫茶は通常営業だから、秋葉くんは出勤。叶冬さんは金魚屋と生者の仕事の両立方法を考えること」
「わかってるよ。金魚屋のことはまた話をさせておくれ」
「もちろん。俺は黒猫喫茶の店長だから、ここに出勤するしね」
 ひらりと手を振って、累さんは金魚屋の扉へ消えていった。ショートカットで別の場所へ行ったのか。それにしても着物は様になっていた。現代的な容姿だと思っていたけれど、洋服よりもずっと馴染んでいる。威厳を感じて、頼もしくて安心できた。
「不思議な人ですよね累さんって。偉い人っぽいですけど優しいし」
「最初に出会った金魚屋が累くんなのは、幸運だったね。上司ガチャ大当たりだよ」
「あはは。そうですね。宮村さんには申し訳ないですけど、八重子さんは絶対に嫌です」
 黒猫喫茶は良い店だ。上司も同僚も良い人が集まってるし、なにより家族がいる。
 春陽がふよふよっと俺の右肩で上下した。失ったはずの過去を取り戻した――とは言わない。過ぎた時間は戻らない。聖人さんの言葉を借りれば、過去は作れない。できるのは未来を作ることだけだ。
 俺は春陽を連れて、雪人さんの横に椅子を持って座った。
「石動秋葉といいます。ずっと店長――叶冬さんと金魚調査をしてました。この金魚は春陽。俺の双子の兄です。俺も金魚屋を手伝うんで、よろしくお願いします」
「真野雪人です。あの、よろしくおねがいします」
 店長はふんわり微笑むと、俺と雪人さんの肩を抱いた。
 金魚屋として、俺の新しい日常が始まる。大学と就活もある。キャリアセンターには宮村さんがいるかもしれない。なら八重子さんにも会えるはずだ。
「頑張りましょうね。累さんがやってた分やるの、きっと大変ですよ」
「大丈夫だよ。金魚屋の活動とは知られない方法で、うちの社員に手伝ってもらう。営業は歩き回るから、金魚帖に載ってる人を探してもらう」
「それ助かりますね。俺と春陽は必要な時だけ行けば、大丈夫そうだ」
「なんか楽しそうだねぇ、金魚屋。かなと働けるなんて、すっごく嬉しいよ」
 雪人さんは、ぎゅっと拳を握って微笑んだ。一度は死に、生き返っても病気と向き合う必要がある。家族の問題もあるだろう。きっと楽しいだけじゃいられないだろうけれど、この柔らかな微笑みは守ってあげたいと思う。
「ゆきには店内のことをしっかりやってもらうよ。金魚のことも、勉強しなくちゃね」
「うん。ところで、かな、随分まるくなったね。昔はトゲトゲしてたのに」
「そういう話はいいんだよ。アキちゃんにがっかりされちゃうだろう」
「もう昔の話聞いちゃいましたよ。トゲトゲの店長もいいと思いますよ。今とは違う意味で、見た目とのギャップが面白いから」
 店長は気まずそうに口を尖らせ、雪人さんは面白そうに笑っている。俺にとっては店長の新しい一面だけど、これが本来の店長なのかもしれない。
「金魚屋、頑張りましょうね。この中じゃ俺が一番、金魚に詳しいですよ」
 十九年間、金魚と共に生きた。疎ましく思ったこともあったけれど、今では大切な日々だったように思える。
 二十年目からは金魚を弔う日々が始まる。弔いは、魂が未来へ進むための一歩だ。魂は生まれ変わり、次の世を作ってくれる。金魚屋は現在を未来へ繋げる店だ。
 ふいに店長がなにかに気づいて立ちあがる。店の出入り口を開くと、ふよっと金魚が一匹入ってきた。店長はすっと金魚に手を差し伸べた。
「ようこそ、金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ」
 金魚屋としての人生が始まる。どんな日常になるかはまだわからない。なにが非日常になってしまうのかもわからない。でも、店長が率いる金魚屋ならきっと楽しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?