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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第四話 御縁叶冬の真談

 蔵の中は、たしかに上着が必要なくらい冷えている。玄関のある小部屋は薄暗いが、抜けて奥へ入ると思わず後ずさった。
「うわっ……!」
 室内にあったのは水槽だった。お祭りに出ている水槽と似ていて、びっしりと並ぶ水槽が水壁を作っている。水は窓から差し込む光を拡散し、床に水面が写って。水中にいる錯覚を覚え歩みが遅くなってしまったが、御縁さんはずんずん進む。慌てて追いかけると、足元に『順路』と書いた小さな看板が立っている。
「観賞用に公開してるんですか? あ、収入源?」
「アキちゃんはなんだって僕の収入を気にしてるんだい。お金が好きなのかい?」
「だって大きすぎますよ。演出なら、金魚の形した提灯ぶら下げるとかキーホルダー売るとか、楽なのもある。水槽はコストかかるでしょう」
 御縁さんの突拍子もない行動と発言に慣れてきたのか、俺は落ち着いて話ができるようになってきていた。原因はわからないが常に存在する金魚より、水槽と金魚の維持費や管理費のほうがよっぽど不思議に感じる。
 御縁さんはぺたりと水槽に手を張り付けた。
「こいつは演出じゃない。記憶なんだ。忘れないために置いてるのだよ」
「はあ。なんの記憶を忘れたくないんですか?」
「記憶そのものをだよ」
 謎めいた言葉を言うと、御縁さんはぴたりと脚を止めて一際大きな水槽を見上げた。赤、白、金、橙――様々な色をした大小様々な金魚が泳いでいる。向こう側は窓になっているようで日が差し込んでいる。日の光を跳ね返す金魚は、宝石にも見劣りしないほど美しく輝いている。だが、記憶というのは違うように感じた。
「ずいぶんとカラフルですね。大きさも、抱えるサイズはリアルじゃ無理ですけど、これじゃ小さいでしょう」
「記憶だからさ。個性があったら困ることでもあるのかい?」
「いえ、別に。ただ飛んでるのって殆ど赤で、もう少し大きいじゃないですか。御縁さんは俺と違う金魚を視てるのかな」
「ほっほう⁉」
「うわっ」
 御縁さんは飛んで俺との距離を詰め、骨が悲鳴をあげそうな強さで抱きしめられる。
「痛い痛い! 逃げないから、少し距離を取ってもらえませんか!」
「素晴らしい! 素晴らしいよアキちゃん! ぜひともじっくりまったりしっかりと聞かせておくれ! 記憶にもう用はない! いざ行かん黒猫喫茶!」
「はい⁉ じゃあなんで見せたんですか! 黒猫喫茶ってなんですか!」
 いくら問いかけてもまともな返答はなかった。恐ろしく速いスキップで連れて行かれたのは、本殿の傍にひっそりと佇む喫茶店だった。壁はクリーム色で、壁の足元はベージュ系のタイルが施してある。看板は黒いカルプで『黒猫喫茶』と書いてあった。『黒』の部分に黒猫が乗っていて、『茶』は少しだけ傾き、傾いた隙間に潜り込むように黒猫が寝そべっている。ドアノブにも黒猫の人形がぶら下がっている。
「女の子向けってかんじですね。御縁さんならロココ調とかが合いそうですけど」
「ここは僕の建物だけど、人に貸してるのさ。店長は別にいるよ」
「あ、不動産収入ですか。でもそれだけじゃ生活できないですよね。水槽運ぶ業者だって人件費かかるし。あれはいくらくらいかかるんですか?」
「んあ~! アキちゃんは金カネうるさあい! つまらん話はいい! 入りたまえ!」
 俺はポイッと黒猫喫茶の中へ放り込まれる。店内は、ごく普通の内装だった。四人掛けのテーブルが四席とカウンター席が六席。どの机にも黒猫の置物が並んでいて、店名を見事に表している。レジ台の横には透明なビニール袋で小分けにされたクッキーが置いてあり、やはり黒猫の形をしていた。
「可愛いですね。女の子が好きそう。あ、扉の取っ手も黒猫だ」
 カウンター横にある扉はアンティークのような艶やかな木製をしている。取っ手を握って引いてみたが、鍵の音もせずびくともしない。
「それは飾り扉だから開かないんだ。なんだか知らんが、店長くんのこだわりで付けたんだよ。お客さんはご近所のおじいちゃんおばあちゃんが多いそうだ。お散歩コースの中間地点になっているらしいよ。ハイ、お飲物どうぞ!」
 御縁さんが出してくれたのは常温のペットボトルだ。中身は透明な水に見えるが、飲むのは躊躇われた。遠慮などではなく名称のせいだ。シュリンクには金魚のイラストと、ロゴで『金魚湯』と描いてある。
 インパクトある商品名を凝視していると、羽織っていた着物を回収された。御縁さんは正装だという着物を羽織り直し、ずいっとペットボトルを取るよう求めてくる。
「……中身なんですか?」
「ただのお湯だよ。金魚で出汁取ったりしてないから安心おし。お土産品なんだけど、まったく売れない」
「でしょうね。けど水は廃棄費用が高いですし、災害時の非常用にでもしたらいいんじゃないですか? シュリンク剥がしてラベルレス商品って言えば」
「おお。頭いいね。そうしよう。でも今はこれしかないから、これを飲みなさい! 僕も飲も~っと!」
 御縁さんはごくごくと金魚湯を飲み干した。見ている限りではただの水だし、出してもらった以上は礼儀として飲まないわけにもいかない。おそるおそるペットボトルに口を付けたが、やはり飲むことは躊躇われ、飲むフリだけしてテーブルに戻した。
「さてさて! では教えてもらおうか! 空飛ぶ金魚ってぇのは本当にいるのかい!」
「……なんですかその質問。視えてるんですよね? 俺の二匹とか」
「ふむ⁉ アキちゃんは金魚を飼えるのかい⁉」
 目をらんらんと輝かせた御縁さんは、ずいっと顔を近づけてきて、二匹を探しているのかきょろきょろと部屋中に視線を飛ばした。身振り手振りが大きいので、御縁さんの手が二匹を通過してしまう。だが、御縁さんは気付いていないようだ。
 おかしい。まるで金魚など視えていない人の言葉と行動だ。
「つかぬことをうかがいますが、金魚が視えてるわけじゃないんですか?」
「視えないね。視えないから調べてるのさ。んで! 空飛ぶ金魚とはなんぞや!」
「待ってください! 金魚を消せる金魚鉢があるとか言ってましたよね。知ってるから、視えてるから消せるんじゃないんですか⁉」
「そうそう。そうだよ。たしかそうだったんだ確か違うかもしれないけどたしかそう」
 御縁さんは、あははっと軽く笑った。
 ――からかわれたのか。
 祭りで初めて会ったとき、『君はこの金魚が見えるかい?』と右肩を指差した。カマをかけただけか、それともまだ試されているのか。もしくは全く違う目的があるのか。
「さあさあさあさあさ! お話をどうぞ! 金魚とはなんぞや!」
「なんなのかは俺も知りたいですよ。視えるだけで、触れるわけでも喋れるわけでもない」
「え~! なんだいなんだい! 期待外れだ! 君は金魚の少年ではないのか!」
 期待外れはこっちだ、と言いかけて止めた。
 視えるわけじゃないとしても、空飛ぶ金魚がいることを知っている。偶然とは思えない。演出をしていただけなら、わざわざ俺を迎えに来る必要などないはずだ。
 俺とすべてが同じじゃなかったとしても、切り捨てることはできない。
「御縁さんは、なぜ空を飛ぶ金魚がいると思ったんですか? 発想が突飛ですよね」
「むむっ! 店長と呼びたまえ! 偉そうで好きなんだあよ」
「……店長はなぜ金魚のことを知ってるんですか?」
「知らないよ。視えないのだから知りようもないじゃないか。だから君に聞いてるのさァ」
「だから、どうして金魚の存在を知ったのかを聞いてるんですけど」
「覚えてるからだぁよ。でもそれだけさ。覚えてるだけで知らない」
 会話がかみ合わない。かみ合わせるつもりがないのか、店長としてはかみ合っているのか。
 しかし試すような話し方ばかりされると混乱してくる。見透かされたのか、御縁さんは玩具を見つけた子どものように、にやりと笑った。
「なあに! がっかりすることはない! 知らないなら調べればいいだけだ! 僕の記憶とアキちゃんの視る世界を照らし合わせればきっとたどり着く!」
「たどり着くって、どこにですか。御縁さんはなにを求めてるんです」
「もちろん金魚さ。金魚屋とは金魚と共に生きる存在なのだからね」
 それでいけば、俺のほうがよっぽど金魚屋だ。金魚を視られない店長は金魚と共生してるわけではない。認識していなければ『共に』という協力体制は存在しない。ならば店長は、金魚と共生できるようになりたいのだろうか。たとえば、自分が金魚になってしまったとしても、共に生きたいと思うのだろうか。
「……答えられることは答えます。なので、試すような言い方はやめてください。こんがらがるんで」
 わからない。店長は俺とは真逆だ。でも、この世界で唯一の理解者のようにも感じられる。恐ろしくも感じるけれど、店長の期待に満ちた瞳に、なにかを期待していた。


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