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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第五話 御縁叶冬の金魚分析

 俺が答える意志を持って向き合うと、店長は笑顔でカウンターの中に飛び込んだ。アンティーク風の棚の引き出しを開け、中からタブレットパソコンを取り出してくる。
「さあ始めます! ではまず生態調査! 金魚は食事をするのかな⁉」
 店長は両手を広げてくるりと回る。回転する物を見るのは苦手でも、自分が回転するのは構わないのか。そういえば回転が苦手というのはなんなのか。
 頭にぽんぽんと疑問符が湧いてくるが、店長はお構いなしに肩を組んでくる。
「どうだい。金魚はもぐもぐするのかい。ぼんやりしてないで教えておくれ」
「ああ、いえ。その前に、いいんですか? 俺がふざけてる異常者かもしれませんよ」
「異常者は自分が異常者だなんて言わない思うよ。それに空飛ぶ金魚はおかしなことじゃない。存在するのだからね。それでも異常だというのなら、視えるようになった異常な原因や経験があるはずだ。アキちゃんは過去に人と違う体験をしたことはあるかい?」
 店長は急に真面目な顔をした。椅子に座って脚を組み、真っ直ぐに俺を見つめてくる。終始、破天荒なノリで会話がまともに進まない。意思疎通ができてるかも怪しい。それでも、人生でかつてない高揚を感じてる。
 ぐっと強く拳を握りしめ、俺も店長に合わせて姿勢を正した。
「俺の右肩辺りに二匹います。物心ついたときから憑いてるんで、金魚に俺の人生は関係ないと思います。食事してる様子は見たことがありません」
「憑いてる? 万人誰でももれなく憑いてるのかい? 僕にもいるかい?」
「人それぞれですね。店長には憑いてないです。お祭りの時は傍にいましたけど、たまたまでしょうね。ふらふらしてる野良金魚は多いですし」
「ふうん。憑いてる人間に共通点はあるかい? 性別か年齢か、なんでもいいよ」
「ないと思います。というか、わからないです。金魚憑きは珍しくありませんから」
「珍しくないとは断言しきれないな。人類総人口に対して何割かによるもの。アキちゃんが気付いてないだけで、共通項があるかもしれない。金魚が自己判断で憑く対象を選んでるとしたら、規則性があると思う?」
「ないと思います。なにも考えてなさそうだし」
「うむぅ? 収入だのコストだの、現実的なことを言うわりに現実的な考え方をしないんだね。お喋りできないなら思考のあるなしは分からないじゃないか。思考するなら思考が規則さ。それとも、規則がないと断定する経験があったのかい?」
「それは、ない、ですけど。ただ考えたことなかったです」
「アキちゃん一人で全てを考えるのは無理だよ。思考の視点を変えるのは難しい。なら僕に話してごらん。僕は僕の視点で考えよう。さあ! 規則があるとしたら⁉」
 演技じみた口調や奇異な服装に惑わされるが、真面目に対話をしてくれている。見た目の印象より、ちゃんとした大人なのかもしれない。
 新たな分析に期待して、俺は右肩で呆けている二匹の金魚をじっと視た。会話はできなくても、今まで感じたことならある。
「規則があるとしたら、憑いた人間ではなく、金魚自身だと思います。俺は霊魂の類いだと思ってるんです。単純に、視えるのに触れないっていうのが幽霊っぽいからですけど。幽霊の場合は、生前、なにかあったはずです」
「死んだ金魚の霊ってことかい? それがなぜ特定の人間に憑くのかね。アキちゃんは金魚に恨まれることをしたのかい?」
「いいえ。でも知らないうちに、なにかしてしまった可能性はあると思います」
「ん~……殺された金魚の幽霊説は違うと思うなあ。幽霊になるのは殺された後だ。物心ついたときから憑いてるなら、アキちゃんに憑いてる二匹は、アキちゃん以外に殺されてるはずだ。無関係の人間より加害者に憑くべきだよ」
 俺の人間性を疑う言葉を覚悟していたが、予想に反して冷静な分析だった。真を突いた言葉に呆けていると、回答を催促するように店長は俺をじっと見ている。
「たしかにそうですね。でも他にも殺された金魚はいますよ、きっと」
「だとしてもおかしいよ。生きた金魚に触れるのは小学校くらいで、社会に出ればまず見ない。それこそお祭りの屋台くらいだけど、回数も場所も限定的だ。ならわざわざ購入して殺してるってことになる。そんな変態が『金魚憑きは珍しくない』と思うほどの人数がいるとは思えないねえ」
「無理がありますね。うっかり殺すにしても、金魚のいる生活をしてなきゃいけないし」
「規則じゃなくて、空飛ぶ金魚になる条件でもあるのかな。普通に死んで空を飛ぶようになるなら、世界は金魚まみれのはずだよ」
 店長は右手で顎を覆い、真剣な表情で考えていた。
 今まで『金魚ってなんだろう』と思うことはあったが、物理的な分析ができるなんて思いもしなかった。だが店長の話を聞いていると、原因も意図もある生き物に思えてくる。
「仮に幽霊として、生前も金魚だったとは限らないよね。人間に憑くなら人間な気がするなあ。恨んでる相手に憑りつくってぇのは幽霊によくあるパターンだ」
「でも明確に金魚の形ですよ。人間なら人間の形をしてるんじゃないですか?」
「分からないよ。金魚の形になるのが魂の理なのかもしれない。霊能力者が幽霊と交信するメディアコンテンツがあるけど、あれは嘘だと思ってる。だって『視えない物が視える』というのは異質だ。僕もこんなだからカウンセラーだの精神科だのを紹介されることもあるが、はっきりいって腹が立つ。それを発表したいと思うかねえ」
「ああ、そうですね。言いたくないです。実際、俺は隠してますし」
「だろう? メディアで霊能者が語る情報は想像にすぎない。世に出てこない情報こそ、霊魂の真実だと僕は思う。だからアキちゃんの突拍子もない話はとてもリアルだ」
 ふいに、ふわりと心が軽くなった。俺の話がリアルだなんて考えたことがなかった。
 でも俺には店長の考え方こそリアルだ。店長も話足りないとばかりに、わくわくした表情で身を乗り出してくる。
「おそらく『人間の幽霊は人間の姿』は事実と反するんだよ。幽霊のピークは夏だけど、あれは『涼しくなりそう』というメディアの意図だ。金魚が多い季節なんてあるのかい?」
「印象では冬な気がします。視界が赤くて温かく感じるな、と思ったことがありました。でも数えたわけじゃないので信ぴょう性はないです」
「印象はなによりも大事だよ。無意味で些細なことは、印象になんて残らないものさ。ちなみに、死亡者が最も多いのは感染症が流行しやすい冬だよ。金魚が多い冬」
「そうなんですか⁉ それは、なんか……人間が死んだら金魚になる説が濃厚ですね……」
 とても、リアルだった。議論の対象が金魚だから非現実的に思っていたが、研究をするという目線で見れば、俺たちができる行動は現実的なことだけ。現実的な分析をすれば、俺が求める現実的な結果にたどり着くのかもしれない。
 楽しかった。生まれて初めて、金魚の話が有意義に感じられた。
「人間側じゃなくて金魚側に違いがあるのかもね。人間に憑く金魚と憑かない金魚の違いはなんだろう。見た目で違いはあるかい?」
「赤と黒の二種類で、大きさはいろいろです。行動も特に違いはない――……」
 規則も思考もないと思っていたが、思い込んでただけで、実は規則があるかもしれない。ある前提で考えるのが店長の分析方法だ。
 大切にしたことなどない金魚との日常を思い返す。規則があるとすればなんだろうか。
「参道と本殿の前に何匹か留まってます。『御縁神社内は移動できるが、神社の外には出られない』っていう規則の可能性はあります」
「ふむふむ。ならやっぱり霊魂かな。地縛霊とかいうじゃないか。金魚は未練の対象に執着するなら『憑く』対象は人間と場所、どちらもありえる」
「だとすると、俺に憑いてる二匹はなんなんでしょう。場所じゃなくて俺に執着してるってことになりますよね。一方的に執着されるなんてことあるのかな……」
「特殊に感じるけど、断言はできないね。世の金魚憑き全員に『いつから憑いてますか』と聞かなきゃ分からんから」
「そっか。俺は自分のことだから特別に感じてるけど、よくあるのかもしれな――」
 十九年間で初めて掘り下がっているところだというのに、水を差すようにスマートフォンが着信を告げた。モニターに表示されているのは『母』だ。だが俺は、迷わず拒否マークをタップした。
「おや。いいのかい? 気にせず電話してくれで大丈夫だよ」
「日に十回はかけてくるんです。こうなると今度は……」
 少し待つと、チャットアプリからメッセージの届いた通知が表示された。一秒と挟まずにポンポンと通知が重なる。わずか数秒で、通知が二十五件を超えた。誰からかは見るまでもない。母だ。もうため息も出ない。金魚憑きの俺が異常であるかは別として、二十五件は異常だ。店長もあっけにとられている。
「こりゃすごいね。いつもこんなに連絡くるのかい?」
「そうですよ。母は俺を閉じ込めて、監視しておきたいんですよ」
 俺はスマートフォンの電源を切り、モニターを下にして机に置いた。店長は、驚いたような、ほんの少し困ったような顔をしている。
「……俺ね、別に、金魚は嫌いじゃないんです。ペットみたいな感覚で、どうということはないんです。俺が嫌なのは、金魚じゃないんです」
 俺は右手でスマートフォンを隠すように覆った。店長はまっすぐに俺を見ていた。真剣そのもので、なんでも聞くよ――そう言ってくれているような気がした。店長のまなざしは温かくて、俺は誰にも教えていない話をこぼし始めた。
「母にとって、俺は異常者なんです。小学三年生の、あの時からずっと」
 すべては俺が人前で空飛ぶ金魚を語ったときから始まった。だが始まったのは、俺ではなく母だった。


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