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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十四話 黒猫喫茶の店長、棗累

 月曜日になり、俺は四限が終わるのを待っていた。梓川はコンピューター系の授業が充実していて、四限はコンピュータリテラシという、コンピュータの基礎知識を学ぶ必修科目だ。授業用ノートバソコンにテキストを表示させているが、読めば解る程度の内容でつまらない。教師の退屈な解説を聞き流し、右肩で泳いでいる二匹の金魚を観察する。
 金魚になる夢は二匹が魂を食っているせいだと店長は言う。正直にいえば、そうだろうなとは思っていた。だが十九年以上の共生者には少なからず情があり、苦しむ原因だと判断するのは悲しくもある。
 信じがたい複雑な心持ちになっていると、ふと気が付いた。
「……最後に金魚になる夢見たのって、いつだっけ?」
 金魚になる夢はおよそ三日に一度だ。多少は前後するが忘れるほど間が空くことはない。
「近ごろは魂食べられてないってことかな。それとも魂増えたのか……や、どうやって増えるんだ魂って。テンション上がると増えるとかかな」
 ぽんぽんと疑問は浮かぶが、店長のように説得力のある仮説を即時に立てることはできなかった。早く黒猫喫茶へ行って相談をしたい。授業が終わるベルが鳴るのを、不必要にエンターキーを叩いて待った。
 ようやく終業すると、俺はノートパソコンを鞄に放り込んで席を立つ。急ぐ必要はないが、気が急いて早足になってしまう。
 校舎を出ると小走りに門へ向かった。無駄にゆったり歩く生徒を追い越そうと軽く走ると、突然、ぐいっと後ろから二の腕を引っぱられた。
「うわっ!」
 あまりにもいきなりだったので、後ろに転びそうになった。
「あ! ちょっ、わー!」
 驚いたふうに叫びながら、腕を引っぱってきた人物が支えてくれる。なら初めからやらないでほしい。俺は犯人を睨みつけた。
「なにするんですか! 危ないでしょう!」
「ごめんごめん。まさかスルーされると思ってなくて、つい」
 ぱたぱたと手を振ったのは赤毛の青年だった。笑顔は爽やかで、店長とはタイプの違うイケメンだ。全身から愛嬌を感じ、子犬を思わせる雰囲気に毒気を抜かれる。
 突然の行動にはびっくりしたが、赤毛の青年には見覚えがあった。大学の中でつい最近にだ。
「あれ? 浴衣レンタルのチラシに載ってた人ですよね」
「どうも。二度目ましてだね」
「二度目? すみません。覚えてないんですけど、どこかでお会いしましたっけ」
「やっぱり覚えてないか。御縁神社のお祭りで、叶冬さん倒れたでしょ? あの時に犯人扱いされたんだよ、俺」
 赤毛の青年は頭にタオルでも巻くような仕草をした。
 店長が倒れたというのは、綿あめ機の話だろうか。逃げたかった俺は、咄嗟にその場にいた青年を盾にした。
「あっ! あれ、あなただったんですか! すみませんでした、迷惑かけて」
「いいよ、別に。って、もしや叶冬さんから俺のこと聞いてない?」
「え? 店長のお知り合いなんですか?」
「店長は俺だよ。黒猫喫茶をやってるのは俺で、叶冬さんはオーナー」
「ああ、そうでしたっけ。えっ、あの可愛いお店の店長なんですか?」
「そうだよ。俺は棗累(なつめるい)。自分の店を持ちたくて、安い物件を探してたんだ。そしたら御縁神社のあそこがすっごい安くてさ。叶冬さんも喫茶店やりたかったらしいから、ちょうどいいって」
「そうだったんですね。けど、今って営業してないんですよね。多忙って、他にもお仕事されてるんですか?」
「うん。ちょっとね。で、実は君に相談があって迎えにきたんだ。授業は全部終わった?」
「はい。店長――叶冬さんと約束してて、黒猫喫茶に行くところです。棗さんがきてくださったのは、黒猫喫茶のことで?」
「累でいいよ。弟がいるから混同するんだ。ともかく黒猫喫茶へ行こう。叶冬さんは仕事で遅くなるって言ってたから、俺が鍵開けてあげる」
 累さんに連れられて黒猫喫茶へ着くと、累さんはポケットからキーケースを取り出し鍵を開けてくれる。キーケースも黒猫の形をしていた。赤毛という派手な容姿に反して、可愛い物を好むらしい。笑顔の無邪気さといい、全く知らない人なのに『らしいな』と思ったりした。
「さあ、どうぞ。叶冬さんが来るまでスイーツでもどう? 新作の黒猫タルトが」
「どぅわああああああああああ!」
「ぎゃー!」
 黒猫タルトなんて可愛い名前がでてきたところで、横から熊の手が飛びでてきた。叫びながらで俺を壁に押しつぶしたのは、やはり店長だった。
「やあやあアキちゃん! 待っていたよ!」
「普通に出てきてくださいよ! なんなんですか、その熊の手! せめて黒猫でしょう!」
「あははっ。猫じゃ可愛くてつまらないじゃないかぁ」
 店長は熊の手で俺の頭をもふっと撫でた。怒る気も失せ肩を落とすと、累さんが熊の手を取り上げてくれる。
「叶冬さん、そのへんにして。てか早かったね。仕事は? 役員会の日でしょ?」
「優秀な秘書がいるので問題なあい! そんなことよりアキちゃんと話すほうがずうっと有意義だ! アキちゃん紹介しよう! この子が黒猫喫茶の黒にゃんこだ!」
「猫じゃないって何度言ったら分かるの。もう挨拶したよ」
「だって黒猫喫茶の店長が赤猫じゃおかしいじゃないか。黒猫喫茶いにいるのは黒猫さ。悔しければ髪を黒く染めておいで!」
「猫の色の話じゃないよ。ほんとに会話のできない人だね」
 累さんは呆れながらも、取り上げた熊の手で店長を突いている。話すことはまともっぽいが、行動は店長に通ずるものを感じる。
「あの、累さんは俺に話があるんですよね。犯人扱いしちゃったし、お詫びにできることならなんでもしますよ」
「お、言ったね。叶冬さんも聞いたよね。言質と~った」
 ぽいっと熊の手を店長へ投げると、怪我をしていない左足でぴょんぴょんと跳ねてカウンターへ入る。ごそごそと棚を漁ると、一枚の紙を持って戻ってきた。
「じゃじゃーん! 秋葉くんどう⁉ やらない⁉」
 面前に突き出されたのはチラシだった。『スタッフ募集』と大きく書いてある。チラシの中を黒猫が飛び回っていて、手がこんでいる。
「客が増えたからスタッフを入れたいんだ。俺の足もこれだし、早めに一人入れようと思ってね。でも俺狙いの女ばっかでまっとうな人がこないんだ。客寄せに顔は使ってるけど、スタッフはちょっとね~」
 自分狙いなんて、さらりと凄いことを言う。店長といい、真に顔の良い男は自覚して活用するらしい。それとも二人が特殊なのか。
「だから募集は男に限ろうかと思ったんだけど、叶冬さんは」
「男は紫音狙いがきそうで僕が嫌だァ!」
「紫音って誰ですか?」
「叶冬さんの妹ちゃんだよ。御縁神社の美少女巫女さん」
「あ、あの時の」
 御縁神社の巫女さんといえば、倒れた店長の介抱をしてくれた巫女さんだ。『かなちゃん』と呼んでいたのは、妹だからか。
「たしかに男が寄ってきそうですね。すごい綺麗な子でしたもん」
「こらぁ! 紫音に手を出せば、アキちゃんといえども容赦しないよ!」
「出しませんよ。異性にかまけてる余裕なんてありません」
 今は金魚のことで手一杯だ。仮に恋人ができたとしても、デートだのなんだのと時間を割くことなんてできやしない。本気でそう考えているけれど、累さんにぺんぺんと頭を叩かれる。
「それはどうかと思うな~。隆志くんの半分はやる気出していきなよ、若者」
「隆志のこと知ってるんですか? あ、サクラ頼まれたって、もしかして累さんが?」
「そうそう。ちょっと事情があってね。そんなわけで、叶冬さんは害虫駆除に東奔西走だよ。なら無害な男を探すしかない――ってときに秋葉くんの話を聞いてね!」
 累さんは、改めてチラシを俺の眼前に突き出した。距離が近い。行動の端々に店長を感じる。
「仕事は接客。時給千二百円で交通費支給。定休日は木曜日。シフトは週三から。できるだけ長く勤めてくれれば嬉しいけど、とりあえず俺が治るまででいいよ。どうかな」
「俺でいいなら、ぜひ。カフェは前にもバイトしてたんですよ」
「やった! じゃあ契約書に名前書いて。契約書は社会人の基本だよ」
 累さんはまたぴょんぴょんと左足で跳ねて、カウンターの中にある棚から書類とボールペンを取って戻ってきた。三枚組の紙には小さな文字がずらずら並んでいる。おそらく雇用条件が書いてあるのだろう。目を通すのが面倒で、最後のページへ飛ぶと名前を書く場所があった。借りたボールペンで名前を書いて累さんへ渡す。
「これでいいですか?」
「うん。契約成立。これで君は俺の『客』だ」
「え?」
 客、と聞こえた。俺がサインしたのはアルバイトの雇用契約だったはずだ。ならば客ではなく部下になる。不思議に思い累さんを見ると、さきほどまでの無邪気な笑顔とは異なる、あでやかな笑みを浮かべていた。
 累さんはカウンターの中へ戻り契約書をしまうと、以前金魚が消えた飾り扉の前に立った。飾り扉の黒猫の形をした取っ手に手を掛けるが、その扉は開かない。実際に試したから覚えている。家主である店長もそう言っていた。
「契約書は中身を読んでからサインするように。これも社会人の基本だから覚えておいて」
 累さんは黒猫の形をした取っ手をつかんで引いた。するとなぜか、キィっと扉の開く音がした。それだけじゃない。開いたと同時に、中から大量の金魚が溢れ出る。
「うわあああ!」
「アキちゃん⁉」
 店長に支えられ、転んだことに気が付いた。視界が赤い。大量の金魚が、俺を囲むように泳いでいる。数秒すると視界が開けたが、金魚たちの泳いで行った先は累さんの指先だった。累さんが指をくるくる動かせば、あたかもじゃれるように泳いで回る。腕をくるりと回せば金魚も旋回し、彼らはまるで等しい生き物のようだった。
「……累さん、あなた、まさか」
「ようこそ金魚屋へ。君が来るのを待っていたよ、石動秋葉くん」
 突然現れた赤毛の青年は、俺の金魚屋だった。金魚屋は金魚と戯れ、ただ微笑んでいた。


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