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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十五話 金魚屋の棗累

 向き合って視線を交わす限りでは、累さんは普通の人にみえた。店長のように着物を羽織るわけでも、ミュージカルじみた喋り方をするわけでもない。だが金魚だらけの異様な光景を、累さんは違和感なく笑顔で背負っていた。
「金魚、屋、って……なんでこんな、いきなり……」
「金魚屋はいきなりやってくるものなんだよ。順番だからね。関係性なんて築かない」
「自分の店を開きたいっていうのは嘘だったのか」
「それは本当。金魚屋の『入り口』にする場所が欲しかったんだ。喫茶店なら家賃なしの、売上マージンだけでいいって言うから喫茶店にしただけ。コストカット。金魚屋も予算にはシビアなんだよ」
 体をすり抜ける金魚とじゃれながら、現実的な費用感を語った。一体どちらが非現実なのか分からなくなってくる。
「金魚屋に気付く生者は稀にいるけど、君たちほど正確に分析した人は初めてだ。新しい情報はないと思うけど、説明はしよう。どうぞ座って。新作ケーキの感想欲しいんだ」
 累さんはカウンターに入り、冷蔵庫からお皿を取り出した。ラップがかけられているのは、黒猫が乗っているフルーツタルトだ。売るのだろう、無数の金魚が集まる黒猫喫茶で。
 俺と店長は、累さんの奇妙な行動から目が離せず立ち尽くした。戻ってきた累さんの座るほうが早く、後を追うように椅子へ座った。目の前に置いてある黒猫のタルトは、金魚の中にあっても愛らしい。
「新作はタルト。ダイカットはクッキーがあるからマジパンで立体にしたんだ。どう?」
 メニューなんて今話す内容なのか。かけ離れた話だと思うが、累さんには並列の日常なのか。
 累さんはフォークで割ってタルトを食べ始めたけれど、俺と店長は手を付けられずにいる。手を動かさない俺たちに、累さんは肩をすくめるとフォークを置いた。
「先に説明しようか。金魚は未練を持って死んだ者の魂。未練が積もると恨みになり、恨みは出目金に姿を変える。魂には輪廻転生の理があるけど、金魚と出目金は理を外れた存在。いわばバグだ。金魚屋はデバッグプログラムのエンターキーを押す店なんだよ」
 すらすらと流れるように解説された内容は、気が動転するほどのことではなかった。店長の表情も変わっていない。累さんはまた一口タルトを食べ、フォークでつんつんとマジパンの黒猫を突いて遊んでいる。
「秋葉くんは金魚になる夢を見るでしょ。時期からして、今は足首くらいが金魚かな」
「はい。どうして知ってるんですか」
「パターンだから。金魚に魂を食われると、金魚になる夢を見る。魂残量のバロメーターだね。んで、もう解ってると思うけど、魂が食われる原因はその二匹」
 累さんはようやくフォークを置いて、後ろポケットに差しこんでいた赤い手帳を引き抜き開いた。真っ赤な起毛生地の表紙に、『金魚帖』と金の箔押しがされている。金魚帖を二、三ページ捲ると指先でなぞる。
「出目金は水瀬渚沙。二十年前に死んだ女の子の赤ちゃんだね」
「へ? 誰ですか。まったく知らないんですけど」
「そりゃ無関係な赤の他人だからね。同じ日に同じ病院で生まれ、感染症で大勢が命を落とす中、生き延びた秋葉くんが羨ましくて憑りついたんだよ。よくあるパターン。子どもは大人のように諦めることを知らないから、金魚になりやすい」
 やはり店長が考えたとおりで、店長も表情を変えていない。累さんは金魚と戯れながら、金魚帖で金魚を突くようにした。金魚に触れることはできずすり抜けたけれど、金魚は累さんの傍を離れようとしない。仲睦まじいようにみえ、なんだか話を進めにくい。
「俺みたく金魚と育った人はいっぱいいるんですか?」
「いない。生まれたてで金魚に魂を食われたら、生きられても一年くらいだ。生まれてすぐ憑かれるのも稀だしね」
「なら俺は特殊な人間なんですか? 金魚になる夢を見始めたのは大学からです」
「特殊じゃないけど、レアケースかな。双子って、たまーに一つの魂を二人で使う子がいるんだ。秋葉くんはこれだね」
 累さんは金魚帖をぺらりと捲り、つつっと指でなぞった。名前が書いてあるのだろう。生まれながら俺の傍にいる金魚の名前が。累さんの唇が開く。呼ばれる名前を想像して鼓動が跳ねた。俺の金魚の名前は――
「君の金魚は石動春陽。水瀬渚沙から守ってくれてる。生まれてから今もずっと」
 ――ああ、やっぱり。
 春陽はずっと傍にいた。実家で両親の傍を泳ぎ回ったのは、会えて嬉しかったからか。ならば、俺の母への暴言をどんな気持ちで聞いていたのだろう。
 ぽとりと涙が落ちた。
 一人で生き延びたこと、親に庇護されていたこと、庇護してくれていた親と離別を望んだこと、母を疎んだこと――春陽はどんな想いで俺を守ってくれたのか。
 するりと店長が頭を抱き寄せ、撫でてくれた。金魚を視られない店長はなにを感じたのか。都合よく泣いた俺をどう思ったのか。
 それでも店長は、俺の頭をとんとんと指先で優しく叩いてくれた。涙はぽとぽと落ち続ける。泣いていいのは俺じゃないのに、止まらなかった。累さんはマジパンの黒猫を食べながら、つんっと俺の頬を突く。
「気持ちは分かるけど、涙は最後にしなよ。悲しむだけ無駄かもだから」
「……どういう意味ですか」
「まず前提。金魚屋が回収するのは、生者に害を成す金魚と出目金。今回の回収対象は水瀬渚沙だ。俺は秋葉くんを助にきたわけじゃないんだよ」
「ああ、そっか。俺の救済は結果論なんだっけ」
「春陽くんが放置されたのは、アキちゃんが引っ越したからかい?」
「放置もなにも、現時点の春陽くんはそもそも回収対象じゃないよ。加害者は水瀬渚沙。春陽くん自身は生者を害してないから、金魚屋の『客』じゃないんだ。けど不当に消えると分かってる以上は、放っておけない。だからついでにどうにかしようってだけで、どうするかの選択権は君らにある」
 立ち上がってカウンターの中に戻ると、累さんがしゃがんで取り出したのは片手で持てるくらいの金魚鉢だ。掌を天井に向け、こちらにこい、というように水瀬渚沙を手招きする。ふらふらと泳ぎ始めた水瀬渚沙は、累さんの目の前に到着すると金魚鉢の中に落ちた。
「……どうしたんですか、それ」
「眠らせた。一先ずは悪さしないよ。さ、次は春陽くんだ」
 累さんは水瀬渚沙の入った金魚鉢をカウンターに置いて戻ってきた。椅子に座ると、すいっと春陽が累さんの周りをくるくる泳ぐ。まるでお礼を言っているようにみえた。
「頑張ったね。けど限界だ。春陽くんは身を保つので精一杯なのに、水瀬渚沙は食った分成長する。守り切れず、水瀬渚沙が秋葉くんの魂を直接食い始めた。これが金魚になる夢。だから金魚帖に載ったんだね。水瀬渚沙を急ぎ回収せよ――ってさ」
「ならどうしてもっと早く助けにこなかったんだ! 秋葉がどれだけ苦しんだと思ってる!」
 勢いよく立ち上がり、叫んだのは店長だった。いつものふざけた口調でも軽い調子でもなく、ひどく怒っている。苦しんでいた俺よりも、ずっとずっと怒っている。
 驚き身がすくんだけれど、累さんは平然としていた。怒りを煽ると分かっているのかいないのか、タルトを一口食べる。のんびり咀嚼して飲み込んで、ようやく店長を見た。
「金魚帖って、残念なことに顔写真ないんだよ。大体の居場所は分かるけど、あとは自力。けど大学生は通学したりしなかったりで見つけにくいんだ。会社員と高校以下は同じ時間に通勤通学するからいいんだけど。だから、サークルの客寄せを手伝うことで秋葉君に近づいたんだけど、微妙だったね」
「そんな物理的な理由なんですか……」
 累さんは淡々と説明したら、残ったタルト生地を口へ放り込む。硬い生地はざくざくと音を立てた。ごくりと飲み込むと、累さんは「よいしょ」と立ち上がる。
「じゃあ処置をしよう。決定事項は水瀬渚沙の昇天。これで秋葉くんは助かる」
「……はい。可哀そうだけど、どうしようもないですよね」
「別に殺すわけじゃないよ。もう死んでるんだから。次の生で幸せになることを祈ろう。問題は春陽くんだ。水瀬渚沙の食事量はかなり多かったね」
「食われるってなんなんですか? 咀嚼するんじゃなくてドレイン的なことですか?」
「食べ方はいろいろだよ。咀嚼する奴もいる。出目金はなんとか生き延びて恨みを晴らそうとするんだけど、出目金も魂だ。活動するためのエネルギーを補填するために、他の金魚を食う。春陽くんと秋葉くんみたいなことだよ。外部から魂を手に入れる」
「じゃあ春陽は、春陽はどうなるんですか。消えるなんて、そんなの駄目だ」
「うん。だから選んで欲しいんだ。春陽くんが憑いていたら、本人の意思に関わらず秋葉くんは十年前後で死ぬ。一人で二人分の魂を作るのは無理なんだ。魂が尽きれば精神疾患で生きる気力を失い、魂が尽きたら原因不明の突然死」
 急にリアルな死亡原因を突き付けられ、自分の葬儀を想像して背筋が震えた。
「秋葉くんが生きるためには春陽くんをどうにかする必要があるんだ。理に則るなら昇天だね。輪廻転生の輪に乗るんだ。これは俺がやってあげられる」
「消える、って、ことですよね……」
「俺の言う『消える』は『消滅』だよ。魂は輪廻して転生する。昇天すれば輪廻転生するから消滅しない。まあ、どちらにせよ、秋葉くんの前からはいなくなる。でも、秋葉くんは死なせず春陽くんを現世に残す方法もあるんだ」
「本当ですか⁉ どうすればいいんですか⁉ 俺にできることなら、なんでもします!」
「秋葉くんがなにをする必要はないよ。必要なのは春陽くんの覚悟だけ」
 累さんは春陽を見て、すっと手を差し伸べる。
「俺のところへおいで。金魚屋になれば、君は本来の寿命を生きれる」
 ガタン、と机にぶつかり音を立てたのは店長だった。大きく眼を見開いて累さんを睨むように見つめている。
「金魚屋はなろうとしてなれるものなのか」
「うん。常に人手不足だから金魚も大歓迎だ。春陽くん、どう?」
「待ってください! なにをさせられるんですか。苦しいことばっかりで、昇天したくてもできなくなる、なんてことはないんですか!」
「しっかりしてるね。ブラック企業を回避できるタイプ。けどうちはホワイトだよ。仕事は金魚の回収。金魚帖の金魚を連れてくるだけね。春陽くんがやってくれれば、俺はイレギュラー対応に集中できて助かる」
「ええと、累さんのアルバイトみたいなことですか?」
「そうそう。秋葉くんも会いたければここにくればいいよ」
「会えるんですか⁉ いつでも、好きなときに⁉」
「だって俺の店舗ここだもん。さあ、どうする? 決めるのは春陽くんだよ」
 春陽はぴたりと動きを止めた。浮いているだけで、俺に背を向けじっとしている。
 俺は春陽のことを、存在すら知らなかった。それでも俺を守っていてくれたのは、現世に心残りがあるからではないのか。
「……春陽。父さんと母さんへ会いに行こう。母さんも、本当は忘れたくなかったはずだ。忘れなければ、つらくて生きていけないほど」
 ぴくりと春陽の体が揺れて、空中でわずかに沈む。しばらく上下していたけれど、春陽は俺に向き直るとくるくると勢いよく回り始めた。大きく動くところは初めて見る。水瀬渚沙から解放され自由になった証拠だ。
 春陽と二人で累さんを見ると、ゆっくりと頷いてくれた。
「決まりだね。金魚屋の仕事を見せてあげよう。あの扉の先が金魚屋の店舗だ」
 累さんはカウンターの中へ入り、水瀬渚沙が入った金魚鉢を持ち、飾り扉の取っ手を引いた。金魚の飛び出してきた扉が大きく開かれると、ひんやりとした空気が流れてくる。
「さあ、どうぞ。二人には珍しくない景色かもしれないけど」
 俺たちを待たずに、累さんは扉の中へ入った。店内にいた金魚も一斉に累さんの後を追い、取り残された俺と店長は顔を見合わせる。
「相当怪しいけど行くしかない。僕の傍を離れてはいけないよ」
「はい。春陽も行こう」
 春陽は俺の頭の周りを一周飛ぶと、いつものように右肩あたりに落ち着いた。
 双子の兄がいるなんて知らなかった。今でも実感はない。それでも、十九年生きて、初めて意思疎通をできて嬉しかった。意思疎通できたのが会うことのない双子の兄であることは、とても、とても嬉しかった。


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