見出し画像

「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十六話 金魚の弔い

 店長の後について、俺と春陽も扉をくぐった。一歩踏み込むと、だだっ広いホールだった。冬が訪れたかのように寒く、間接照明しかなくて薄暗い。間接照明という言葉は適切じゃないかもしれない。
 光っているのは、真夏の空のように青い水壁と、水中でルビーのように赤く金魚たちだった。世にあるどのエンターテインメントよりも美しく、初めて店長に会ったときと同じくらい胸が高鳴った。
「水槽! 壁も床も、全部水槽だ……!」
 おびただしい数の水槽と金魚という光景は見覚えがあり、同時に違和感を覚える。
 店長が最初に見せてくれた水槽は『記憶だ』と言っていた。店長自身の記憶という意味なら、過去金魚屋へ行ったことがあるはずだ。
 そろりと店長を見ると、飛び出そうなほど目を見開いている。なつかしい場所へきたという様子ではない。初めて見た――という台詞が合う表情をしている。どういうことですか、と質問できる雰囲気ではない。戸惑っていると、パンパンっと累さんが手を叩く。
「三人ともおいで。処置は専用の弔いプログラムでやるんだ」
「弔い、プログラム……ですか? 弔うってどういう……?」
「昇天させる作業のことだよ。生者も金魚も、最期は葬儀で締めくくるものだ」
 累さんは壁際に置いてあるテーブルの前に立った。ノートパソコンが一台と、ケーブルが何種類か絡み合っている。CDドライブやプリンターもあり、スマートフォンが充電中だ。コンセントには充電式モバイルバッテリーが繋がっている。魂である金魚を管理する金魚屋とは思えないガジェットの充実ぶりだ。ブラインドタッチでキーボードを叩き、ノートパソコンから伸びている二本のケーブルを水槽の足元に差しこんでいく。カードスロットへ金魚のように真っ赤なカードを挿入すると俺たちを振り返った。
「よし、じゃあ始めよう。春陽くん。うっかり弔われたら危ないからこれに入って」
 戸棚から金魚鉢を取り出し春陽に向けると、春陽はぴょんっと飛び込んだ。水は入っていないが、ただの金魚鉢だ。しかし側面に『ON/OFF』の切り替えスイッチがついている。春陽が入ったのを見届けると、累さんはスイッチをONにした。
「なにをしたんですか。春陽は大丈夫なんですよね」
「大丈夫だよ。これは金魚を守る金魚鉢。他にも、一匹単位で弔える鉢もあるよ。金魚鉢はインストールするプログラムごとに効果が変わる、金魚屋七つ道具の一つだよ」
「インストールですか……もうなにが不思議なのか、わからなくなってきました」
 玩具みたいな金魚鉢に不安を感じたが、春陽は気にならないのか、ふよふよと漂っている。俺は春陽の入った金魚鉢を累さんから奪い、鉢ごと強く抱きしめた。累さんは微笑ましいもので見るかのように笑い、ぽんっと俺の頭を軽く叩く。ノートパソコンに右手を伸ばすと人差し指をエンターキーに乗せ、カチャ、とささやかにタイピングの音を立てる。ノートパソコンの薄いキーは静音だった。
「さあ、金魚の弔いだ」
 水壁のごとき水槽の前に水瀬渚沙の入った金魚鉢を置くと、累さんは両手を広げて天を仰いだ。すると、ごおお、と地響きがし始める。
「……揺れてる。地震、じゃないですよね」
 累さんはなにも答えてはくれず、少しだけ振り返りに妖艶な笑みを見せる。ゆらりと水槽を指差した。
 ――見ておいで。
 言葉にはしなかったけれど、そう言っているのが分かった。じっと巨大な水槽を見つめていると、次第に水が渦を巻き始めた。

ぐるぐる

ぐるぐる

ぐるぐる

ぐるぐる

ぐるぐる

ぐるぐる

 渦に巻き込まれ、金魚もぐるぐると回っている。きらきらと星屑のように赤い粒子を飛ばしながら、ぐるぐると回り続けた。回るうちに赤い煌めきは減っていき、数秒して渦が収まると、金魚はすべて消えていた。
「消えた……!」
「ついでに水瀬渚沙も終わったよ」
 累さんは爪先で水瀬渚沙の金魚鉢を突いたが、なぜか金魚鉢は空っぽだった。
「弔いプログラムで金魚は一斉に弔われる。回避するには、防御プログラムが起動してる金魚鉢に入るしかない」
 金魚鉢の中では春陽がふよふよと浮いている。累さんが電源をOFFにすると、春陽はぴょんっと飛び上がり俺の右肩あたりに着地した。
「春陽、大丈夫? どっか変なとこない?」
 くるんと春陽は回転した。元気だよ、と言っているのがわかる。
 累さんは水槽からケーブルを抜くと、雑にぽいっと放り投げた。魂を軽んじているようの思えて嫌な気分になったが、それくらい、金魚屋には日常なのかもしれない。
「はい、終わり。秋葉くんはもう大丈夫だよ。残るは最大の問題」
「まだなにかあるんですか? 春陽は大丈夫なんですよね」
「君らはまったく問題ないよ。問題あるのは叶冬さん」
「店長? 店長がなにか」
 なにが問題なのか分からず店長を振り向くと、いつもの視線の位置に店長の顔がない。店長はぐらりと大きく揺れて倒れた。
「店長! そうだ! 渦は駄目なんだ! 店長! しっかりしてください! 店長!」
「大丈夫だよ。こうなると思ってたし」
「なにがですか! 大丈夫なわけないじゃないですか! 倒れたんですよ!」
 店長はぴくりとも動かない。まるで魂を抜かれたように青い顔をしていて、思わず胸に耳を当てた。どんどんと心臓は動いていて、ほっと息を吐く。
「秋葉くんは、なぜ叶冬さんが金魚を追ってるか知ってる?」
 言われて、はっと気が付いた。そういえば、店長の事情はまだなにも聞いていない。一気にいろいろあったので問うのを忘れていた。
 けれど、それを累さんに問われる理由もわからない。累さんが店長の傍にいるのは、都合が良すぎるのではないだろうか。
 なんだか急に怖くなり、そろりと累さんを見上げた。累さんは真面目な顔をしていて、また少し、俺は怖くなり目をそらした。
「……いえ。気になってましたけど、聞けてません」
「実はね、俺がここを店舗に選んだのは叶冬さんが理由なんだ。秋葉くんはたまたま俺の金魚帖に入っただけで、特別に取り立てたわけじゃない」
「どういう意味ですか。店長がなにかしてるっていうんですか」
「違うよ。そうじゃなくて」
 累さんは立ち上がると、気を失っている店長の腕を肩に回した。
「とりあえず、黒猫喫茶のほうで寝かせよう。話は叶冬さんの目が覚めてからだ」
 二人でなんとか店長を店のソファに寝かせた。累さんは大丈夫だというが、三十分経っても店長は目を覚まさない。俺はなぜか、体の中に金魚の弔いの渦が残っているように感じていた。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?