見出し画像

「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十七話 御縁叶冬の見えない記憶

「店長!」
 黒猫喫茶のソファで目を閉じていた店長が、うっすらと瞼を持ち上げた。まだぼんやりとしていて顔色は悪い。
「……アキちゃん? なにをあわててるんだい……」
「倒れたんだから慌てますよ! 頭打ってませんか。怪我は? 膝からいったでしょう」
 店長は右手でゆっくり額を擦り、次はのそのそと膝を撫でた。数秒虚ろにしていると、突然目を見開き上半身を起こした。
「金魚屋! 金魚屋は、累くんは!」
「ここにいるよ。てか、いきなり起きないほうがいいよ。まずは金魚湯で体力回復して」
 累さんがいることに安心したのか、ほっと小さく息を吐いた。ペットボトルの金魚湯を受け取ると、一気に飲み干す。呼吸が整うと顔色も良くなり、俺もふう、と大きく息を吐いた。
「叶冬さん、ちゃんと覚えてる? 水瀬渚沙の弔いは終わったよ。春陽くんは俺が引き受ける」
「覚えてるよ。アキちゃんは金魚を視れなくなったのかい?」
「いいえ、視えてます。春陽も。累さん、俺ずっと視ていられますか?」
「うん。春陽くんと魂が繋がってるから、秋葉くんは半分金魚みたいなものなんだよ。だから金魚になる夢は見るかもしれないけど、春陽くんが元気な証拠だよ。本当に金魚になるなんてことはないから安心してね」
「はい。よかった、春陽を視られなくなったら嫌だなと思ってたんです」
 右肩あたりに漂う春陽と目を合わせたら、くるんと宙で旋回した。金魚は表情がわからないと思っていたけれど、一人の人間として向き合えば存外わかりやすい。会話はできないし触れないけど、一緒にいられるのは嬉しかった。
 春陽を撫でるふうに手を動かしていると、店長が眉間に皺をよせているのが見えた。春陽が平穏な日常に戻れたことを祝ってくれる雰囲気ではない。
 厳しい目つきをされる意味がわからず目を泳がせていると、累さんが店長の手から空になった金魚湯のペットボトルを取り上げる。
「生者と金魚の共生に思うことがあるのかな、叶冬さんは」
 累さんは、すっと手を店長の目の前に伸ばして掌を広げた。なにをするわけでもなかったが、途端に店長は上半身を震わせソファに倒れこむ。
「店長⁉」
 突然のことにぎょっとして、傍に駆け寄り身体を支えた。目は開いているが、青白い顔で汗が吹き出している。明らかに苦しんでいて、ちゃんと横になるよう店長の体を抑えた。腹が立ち累さんを睨みつけたが、けろりとなんでもない顔をしている。
「どういうつもりですか。店長になにをしたんです!」
「記憶を戻そうと思ったんだよ。もし俺のミスなら俺が記憶を戻せる。でも駄目みたいだ。できないってことは、別の金魚屋が犯人だね」
「犯人って、なんのですか。他にも金魚屋がいるんですか?」
「いるよ。金魚屋は地区ごとに店舗がある。別の土地に行けば別の金魚屋がいるよ」
 金魚屋は複数あり担当者が変わる、というのは店長の推理したとおりだ。今更驚くことはない。驚くとしたら店長の推理力だ。しかし疑問を感じるところもある。
 ――推理ではなく記憶を辿っていたんじゃないのか。
 おそらく累さんも思っているのだろう。
「叶冬さんも夢を見るんじゃないかな。金魚になる夢を」
 累さんは新しい金魚湯のペットボトルを店長に渡して椅子に座った。店長は累さんからも俺からも目をそらし、悔しそうに唇を噛んで声をこぼす。
「……今でも見るよ。でも大学を卒業するころには右半分が金魚になって止まった。もう慣れたから、アキちゃんのように辛いとは思わない」
 店長は目線だけで俺を見た。少しだけ困ったように、苦しそうに笑う。
「ごめんね、秘密にしていて」
 さして衝撃はなかった。今までの言動からして、金魚に関わったことがないほうが驚く。俺は、店長が開封できずにいたペットボトルを開けて握らせた。
「いいですよ。店長が金魚にならなくてよかったです」
「いや、よくないよ。秋葉くんは原因がわかったから『金魚にならない』って断言できるけど、叶冬さんは原因がわかってない。いつかなっちゃうかもしれないよ」
「死ぬってことかいかい? 金魚になる物理的な現象がわからないんだけど」
「俺もわからない。金魚屋だって金魚のすべてを知ってるわけじゃないし、生者のことなんてもっと知らない。人知れず金魚になって死んでる生者がいたかもしれないよ」
「けど店長には金魚が憑いてませんよ。累さんにはなにか視えてるんですか?」
「ううん。視えない。俺の金魚帖にも叶冬さんの名前はないから、正常な人なんだよ。でも絶対におかしい。だって普通考えないでしょ、空飛ぶ金魚なんて。視えてるならともかく、視えてないのに存在を断定して探すなんてありえない。なぜ金魚を知ってるの?」
 それは俺も思ったことだ。自己顕示欲なら、霊能者を称するほうが世に受け入れられやすい。店長ほどの容姿と人気なら、メディアにも取り上げられるに違いない。さらには神社という場所。集客にはもってこいだ。経営者の店長なら、もっと良い手も考え付くはずだ。
「言いたくないだけ? それとも、覚えてないから答えられない?」
「覚えてない。僕はある期間の記憶が曖昧なんだ。アキちゃんたちのお母さんよりは、たくさん覚えているけどね」
 春陽がくるんと旋回した。母は春陽を忘れてしまった。生まれたことすら、完全に。
 俺はそっと春陽を抱きしめた――抱きしめるように手を添えた。触れないけれど、一緒に生きていける家族もいることを、忘れないでほしい。
 累さんは怪我をしている足をぷらぷらさせ、ううん、と唸りながら首を傾げる。
「きっと叶冬さんは金魚屋の客だったんだ。なんらかの理由で処置が正常に行われず、記憶が残った。問題は金魚になる夢が止まってるとこだね。普通なら金魚屋が処置にきて、夢はみなくなる。来てないってことは、意図的に魂を閉じ込め隠してる可能性が高い」
「そんなことあるんですか? できるんですか?」
「金魚になってしまえばね。けど、普通はスポットで金魚になって昇天する。これが『嫌なことは時とともに忘れる』ってやつだよ」
「それで金魚っていっぱいいるんですか。死者の人数じゃないんだ」
「そ。でも今も金魚になる夢を見るなら、金魚の昇天を妨げてるってことだ。金魚屋はたくさん捕まえて一斉に弔う。短期間は水槽に入れておくけど、一定の期間内に弔うのが義務。昇天と輪廻転生は魂の理だ。理を破るのは許されない行為だ。悪事を隠ぺいしてる金魚屋がいるんだよ」
「それが『犯人』ですか。隠ぺいするメリットってあるんですか? やっちゃ駄目なことなんですよね」
「絶対駄目。金魚に関わるすべての記憶を消すのは金魚屋の絶対的な規則。情報を残せば厳罰だ。魂の隠匿なんて言語道断。俺は犯人に罰を与えなきゃいけない」
 罰することを喜ぶかのように妖しく微笑んだ。無邪気だったり軽い調子だったかと思えば、ふいに恐怖を感じる顔をする。意図が掴めない、底の見えない人だ。
「それで、どうしたらいいんですか。店長の魂は元に戻さなきゃいけないですよね」
「うん。ということで、叶冬さんには犯人を思い出してもらいたい。どの程度を覚えてるの?」
 店長は目を泳がせた。いつもミュージカルをやっている元気さはみられない。床ばかりみて、話をしようとはしてくれなかった。どうしようかと思っていると、累さんは明るくぱんっと手を叩いた。
「と、いうわけで! 二人で犯人を探してくださーい!」
「はい? それは累さんの仕事ですよね」
「俺の仕事は管轄内の金魚を回収することだよ。金魚屋の客は金魚で、生者を救うのは結果論だ。俺の店的に正常な生者である叶冬さんには、関わりたくても関われない。たとえ死ぬとわかっててもね」
「……え? 死ぬ、ん、ですか? 店長が?」
「当然。魂が足りなければ、いずれ精神を保てなくなり肉体も活動を停止する」
 ぞっとした。俺は倒れることが多くて、打ちどころが悪ければ死ぬ可能性もある。高い場所へは行かない、階段を使わない、ホームの端に立たない――物理的な行動を注意して生きてきた。
 そのまま生きていたら、店長と同じ年齢になることもなく死んでいたのかもしれない。
 累さんは舌なめずりして俺を見据えると、金魚湯のペットボトルを持って立ち上がった。怪我をした足を引きずりながら俺の前にくると、金魚湯のペットボトルを俺に持たせる。
「叶冬さんを死なせたくなければ君が犯人を探せ。君は俺の客だ。君が金魚屋に接触すれば俺が助けてあげられる」
 ――助けられる。
 俺はもう助かった。水瀬渚沙はいなくなり、春陽は新たな人生を歩む。母さんと歩み寄っていけるかは、正直なところ自信はない。でも春陽がいるなら頑張れるかもしれない。
 春陽と生きていけるのは店長が導いてくれたおかげだ。今度は俺が助ける番だ。
「やります。俺が店長の魂を取り戻します!」
「よく言った。タイムリミットは一か月。俺が叶冬さんの魂を補填できる限界値だ」
 ふいに、すいっと窓をすり抜けて金魚が入ってきた。累さんが手を伸ばせば、金魚は累さんにじゃれつく。金魚は金魚屋に懐くものなのか。
「俺がいるうちに犯人を捕まえろ。あとはない」
「……ああ」
 累さんがふいっと手を振ると、金魚は開かない扉の中に姿を消した。それとも外に出ただけか。金魚の生態はまだわからない。
 俺は金魚が視えるだけの凡人だ。累さんのように金魚を扱えるわけじゃないし、詳しくもない。それでも、俺を必要としてくれた店長のためになにかしたい。生きてほしいと願った。


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?