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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十二話 金魚を食う出目金

 ようやく平日が終わり、土曜日の朝になったら黒猫喫茶へ向かった。
 店長は金魚屋の正装である黒い着物を羽織っていて、新幹線では脱いでくれないかと頼んだが断られた。店長曰く、「金魚屋の活動をするときは正装だ」と言った。この場合の金魚屋は、金魚調査をする集団、という意味だろう。
 すれ違う人は皆驚き、なに食わぬ顔で歩くことはできなかったが、京都に到着すると服装のこだわりなんて吹き飛んだ。病院へ行く途中の商店街に、信じられない光景が広がっていた。
「多い……!」
 現れたのは金魚の塊だった。十匹や二十匹ではなく、数えきれない匹数が集中している。日常的に見る金魚は基本的に一匹で行動しているが、二、三匹が連れ立っていることもたまにある。それでも『塊』と表現できる数量はない。
「店長、あそこはなにがあるんですか。金魚の塊に隠れてわからないんです」
「二階建てのビルだね。テナント募集中で無人だよ。形は普通のビルだけど、壁が上まで焼け焦げてるのが気になるね。すっぽり金魚なのかい?」
「はい。俺は金魚が物体として視えてるんで、金魚の後ろ側は見えないんです。こんなに多いのは初めてだ。なんでここだけ……」
「うーん。アキちゃんが戻ってきたから、とか?」
「違うと思いますよ。きたことないんで『戻った』ではないです」
「でも生まれた瞬間はいたわけだし。だって都合よすぎないかい? 金魚に助けられたお母さんが入院してた土地に、金魚を視るアキちゃんがきた途端に金魚の塊が現れるって」
「なら実家がこうなると思いますよ。それに、前から塊なら俺は関係ありません」
「そりゃそうだ。特別なことのあった場所なのか聞いてみよう。地元に長く住んでる人なら、ちょっとしたことも知ってるかもしれない」
 店長は金魚の塊の、通りを挟んで向かい側の建物を見た。古い日本家屋で、出入り口扉の上部に『煎月堂』と金文字で書かれた古い木製の看板が掲げられている。いかにも長年経営してきたという雰囲気だ。
 躊躇せず入店する店長について行くと、店内は煎餅の香ばしい匂いでいっぱいだった。月の形をした煎餅やカラフルなあられなんかもあり、外観のわりに商品ラインナップには新鮮さを感じる。
 本来の目的を忘れて商品に見入っていると、会計台の奥にあった扉から、背の低い老齢の男性が出てきてくれた。
「いらっしゃいませ。なにかお探しで?」
「あ、ちょっと聞きた――」
 俺が軽率に話し始めると、遮って店長が一歩前に出た。
「入院してる甥のお見舞いに行くんです。十歳なんですけど、お勧めはありますか」
「お子さんなら色の綺麗なあられかな。けど見舞いなら、親御さんにも持ってく方がいいよ。疲れてる人も多いから、甘いものもあるといい。和三盆なんか人気だよ。形がたのしいと親子で食べてもたのしいから。うちは店名にもあるけど、月の形が得意なんだ」
「たしかにそうですね。では大粒あられ十粒入りと、和三盆の十六個入りを一つずつお願いします。ああ、月型のお煎餅も一袋いただきたいな」
「有難うございます。ちょっと待ってね」
 話を聞いて立ち去るつもりだったが、それでは単なる冷やかしになる。喫茶店だったらなにかしらを注文するし、買い物をするのは礼儀だ。自分の問題ばかりで、当然の配慮すらできない自分が恥ずかしい。
 店主はうれしそうに梱包をし始めたが、合間に店長は自然に声をかける。
「こんな良い店を知らなかったなんて、もったいないことをしたなあ。けど、向かいの空きビルが残念ですね。景観を損ねるでしょう。煎月堂さんは立派な店構えなのに」
「まあねえ。でもしょうがないよ。あんなことがあったんだし」
「なにか大変なことでも? 焼け跡がありましたけど」
「知らない? 元は宝石店だったんだけど、強盗が入って火をつけたんだ。たくさん人が亡くなってね。地下は広いホールで、二階は社員さんの仕事場なんだけど、品評会とかいうので大勢人がきてたんだ。すごかったよ」
「そうだったんですか。こちらが無事だったのは幸いでしたね。いつごろですか?」
「去年の始め頃かな。犯人の男はすぐ捕まったけど、若い女の子を大勢、なんていうか、酷い目に遭わせてたらしい。この辺りでもいなくなった子いて、閉店してるのは被害者の家だよ。後追い自殺をしたご家族もいたと聞く。うちは年寄りばっかりだから目をつけられなかったけど……」
 想像を絶する重いエピソードに息を呑んだ。それほどの事件なら、霊魂である金魚が集まる理由には十分だ。
「けど、立て直してるんだよ。宝石店やってたオーナーさん、友達なんだけどね。店舗は作らないでインターネットだけにしたんだよ。心機一転、とかって。あそこも早く借り手が見つかるといいんですけどね」
「前を向く強さをお持ちなのは素晴らしいことです。実は私、不動産業を営んでいるんです。お困りのことがあればご連絡ください。お力になります」
「本当ですか。ああ、こりゃあうれしいね。ええ、伝えておきますよ」
「貴重なお話を有難うございました。またうかがいます」
 金を払い商品を受け取ると、店長は店から出た途端にあられの袋を開けて、ぽいぽいと口へ放り込んだ。俺にも袋を差し出し、桃色のあられを一粒口に入れる。ほんのりとした甘みで、軽やかな触感が食べやすい。優しい印象を受けるのは、殺戮を見届けた店の想いがこめられているからかもしれない。
「なかなか衝撃だったねえ。でも被害者は、ゆうても数十人だろう。被害者遺族を含めたとしても、ビルを覆うほど集まるかねえ」
「引き寄せられるのかもしれないですね。見たことないですけど」
「となると、意図的に集められたのかもしれないね。どっかの店の社員さんに」
「意図的に……」
 金魚に意思はないと思い込んでいたが、目の前の塊を見ていると、意思がないほうが奇妙に思えてくる。
 塊を見つめて様子を探っていると、地面すれすれの辺りで激しく動き回っている金魚が視えた。金魚が活発に動く姿は記憶にない。不思議に感じて二、三歩近づくと、際立って異様な光景に後ずさった。
「うわあ!」
 あまりにも気味が悪くて、腰が抜けて尻もちをついた。がくがくと足が震え、上半身を支える腕には力が入らない。俺は肩を抱いてくれた店長にしがみついた。
「どうしたんだい。僕の目には異変がない。金魚が妙なことをしてるのかい?」
 妙なんて可愛い言葉では許されない。そこでおきているのは、殺戮だった。恐ろしくて全身が震える。
「……金魚が食われてます。出目金が金魚を食ってる」
「ああ、空飛ぶ出目金もいるんだっけね。共食いかな。よくあるのかい?」
「出目金はたまに見ます。けど食べるなんて、初めてです。なんのために――……っ!」
 まるまる一匹食べ終わったのか、出目金は新たな獲物に食いついた。こちらを向いたので出目金の顔が良く見える。金魚を狙う顔は、たまにみかける出目金とはまったく違っていた。
「人間……⁉」
 正面から見た出目金は、まるで人間の頭部だった。目玉は出目金のように飛び出ているが、鼻と口はある。人面魚だ。
 赤い金魚は無表情なのに、恨んでいるような顔をしていた。感情が表に出るなんて人間みたいだ。
 全身から血の気が引いて、貧血を起こしそうな気持ち悪さに襲われた。それ以上は見るに堪えなくて、店長にしがみつき顔を隠した。
「先に病院へ行ってしまおう。タクシーを捕まえるから、ベンチまで頑張っておくれ。出目金と目を合わせちゃいけないよ。気づいてると知られては駄目だ」
「……追って、襲ってきたら、どう、すれば……」
「それはないよ。人間を殺したくて、殺す力があるなら、最初から人間を襲うはずだ。金魚に狙いを定めてるなら、金魚じゃなきゃいけない理由があるんだよ」
「金魚を視れる俺も、金魚みたいなものと思われるかもしれない……」
「襲いたいならアキちゃんが気づく前にやったよ。それに今までの人生で、襲われたことないんだろう? 他の人が襲われてたりは?」
「……ない、です……ただ、黒いのもいるな、ってくらいで……」
「なら人間を襲うつもりはないんだよ。もし『金魚を視れる人間』を食べたいなら、過去にアキちゃんは襲われてるはずだ。つまり、奴らに『ただの人間』と『金魚を視れる人間』を判別する能力はない。気づかれるとすれば、目が合った時だね」
 店長は、とんとん、と、子供をあやすように俺の肩を優しく叩いた。振動はほどよくて心地良い。なによりも、論理的な出目金分析は恐怖を拭い去ってくれた。
 ようやく店長に縋りついていた身体を離し、タクシー乗り場の前にあるベンチを見据えた。手足も体も震えていない。
「もう大丈夫です。病院に行きましょう」
「うん。でも、無理はしなくていいからね」
 大丈夫だと言ったのに、店長は俺の手を握ってくれた。成人したのに手を引いて歩いてもらうのは恥ずかしいが、病院につくまでは手を離せなかった。


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