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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第十三話 もう一人の死者

 母が出産したのは《榊友愛総合病院》という創立五十年を超えた大病院だ。歴史の長さに反して建物は綺麗で、近代的な美術館のような外観をしている。つややかな壁面は真っ白で、赤い金魚は映えるだろう。
「金魚ほとんどいません。今視える限りで一匹だけ」
「ぱっと見じゃ分からないよねえ。よし、誰かに話を聞いてみよう。十九年も前のことだし、できるだけ歳が上の人がいいね」
 店長はさすがに着物を脱いで、鞄にぎゅっと詰め込んだ。
 入ってすぐは会計所が広がっていた。大勢が会計待ちをしているが、病院関係者は会計担当の女性しかいないので雑談する雰囲気ではない。二階へあがると、各科の診察室や検査室が並んでいた。
「赤ん坊のことだから、産婦人科の看護師さんでしょうか」
「男二人で産婦人科は怪しさ百倍だからやめておこう。それより、質問に答えることが仕事の受付担当者がいいよ。どんどん患者がくる診察室より、予約制の検査室だとなおよし。絶対空いてる。暇を持て余した人は口が軽くなるものだしね」
「店長って、ほんと色々考えてますよね……」
 シビアな企業と社員事情を簡単に語りつつ、該当しそうな人を優雅な歩行で探した。三階まで階段であがると、フロアの角に配置されていた神経内科の手前にある総合受付に目をつけた。三十代後半から四十代前半くらいの女性が、肩が凝ったのか、首をぐるぐる回している。いかにも暇そうで、忙しなく動く看護師よりは話を聞きやすそうだ。
「あの人に聞いてみよう。待ってる患者さん一人もいないし、女性なら都合がいい」
「出産に関することなら、担当してたのは女性ですもんね」
「ううん。僕が聞きだす相手は、女性だと都合いいんだ。ところでアキちゃん、誕生日いつだい?」
「なんですか急に。七月九日です。なんで女性がいいんですか?」
「それは見てのお楽しみだね。さあ行こう」
 なぜ女性がいいのかわからないまま、ひよこのように店長について行った。店長は受付の前で小さく頭を下げると、胸に手を当て、少しだけ前かがみになった。
「お忙しいところ申し訳ありません。少々うかがっても、よろしいでしょうか」
「え、あ、は、はい、もちろん……」
 さきほどまで首を回していた女性は、急に背筋を伸ばして頬を赤くした。ここで俺は、店長が「女性なら都合がいい」と言った理由がわかった。
 すっかり忘れていたが、店長は顔が良い。とにかく良い。同性の俺でさえ、最初は見惚れた。耳元で囁かれたら、女性なら間違いなくときめく。己の顔が良いと認識して色仕掛けをすることには驚いたが、邪魔しないようそっと店長の後ろに隠れた。
「院内で感染症にかかることはありますか。知人の見舞いに行きたいんですが、万が一があってはいけないなと思って」
「そうですねえ。ないとは言いません。けど、すぐに治療できる体制は整っているので」
「赤ん坊でもですか? 免疫が弱いでしょう、小さい子は。たしかに昔に、感染症で赤ん坊が亡くなったことがありましたよね。二十年前の七月初旬あたりに」
「ええ。あれは世界的にも大変でしたからね。ここはよくやっていたほうですよ」
「亡くなった赤ん坊のことはご記憶にありますか? 七月九日生まれの双子の男の子です」
「ああ、珍しかったんでよく覚えます。同じ部屋の子もお兄ちゃんも、皆亡くなったんですけど、弟くんだけは大丈夫だったんです。すごい幸運ですよ。でも、ご両親にはそういうことじゃないでしょう? 何度も先生に、まあ、色々言いにいらしてたんです。でも、突然お見えにならなくなっちゃって。引っ越した、とかならいいんですけど、ことがことでしょう? どうなさってるか心配で。お元気だといいんですけど……」
 女性はため込んでいた想いが爆発したかのように話すと、俯いてがくりと肩を落とした。まるで昨日のことのように気落ちする姿は、ほんの少しだけ心が癒えた。
「良いお話をうかがえてよかったです。これからも患者を守ってください」
「ええ、もちろんですわ」
 店長は去り際に握手までして、女性はきらきらと輝く店長の残滓に酔いしれていた。質問された内容より、店長の顔面しか記憶に残らないのではなかろうか。
 角を曲がって女性が視えなくなると、店長は足を止めて壁に背を持たれた。
「アキちゃんが生まれた年に二、三人は亡くなってるね。一人は春陽くんとしても、最低でももう一人は」
「でも、それがわかったとしても何にもなりませんよ。親御さんに『あなたの亡くなった子が金魚になって憑りついてます』って言います?」
「僕が知りたかったのは『アキちゃんと同時期に死んだ子がいた』という事実だけだよ。もし僕が死んだ子なら『アキちゃんだけ生き残ってずるい』と逆恨みするかもね」
 逆恨みと言われて、出目金を思いだした。どこからどう見ても、化け物としか言いようのない姿で金魚を貪っていた。
「……出目金はなにかを恨んでるみたいでした。金魚が死んだ人間の霊魂なら、強い恨みをもって死んだ人だけ出目金になるのかもしれない。金魚は、また別の感情で」
「ありそうだ。それなら金魚は人間の死亡者数より少ないはずだ。しかも食う――」
 店長は言葉を途中でとめて、じっと俺の顔を見た。
「なんですか? なんか付いてます?」
「憑いてるね。アキちゃんに憑いてる二匹は赤い? 黒い? 小さくなるのはどっち?」
 どきりとした。出目金の不気味さで忘れていたが、俺にも金魚が憑いている。右肩を浮遊している二匹の色を観察すると、再び心臓がはねた。
「大きさが変わるのは真っ赤で、もう一匹は、多少黒ずんで……ます……」
「それ、黒ずんでるのは出目金で、金魚を食べてるんじゃないかい? だから小さくなる」
「お互いを食い合ってる様子は見たことがないですけど……」
「しゅ~っと生気を吸収するのかもしれないよ。ゲームの魔法なんかであるじゃないか」
「ドレイン的な? こいつらが霊魂の類いなら、金魚自身には生気なんてない気がしますよ。それに、大きくなることもあります。回復魔法でもあるのかな」
 店長は腕を組んで、ううん、と小さく唸った。またじっと見つめられ、いたたまれなくて思わず目をそらした。けれど、許さないとでもいうかのように、店長は俺の左頬に手を添えて顔を自分のほうへ向けさせた。
「魂の成分は生者の感情や精神じゃないかな。アキちゃんの悪夢はきっとそのせいだ」
「……金魚になる夢が、ですか? どうしてですか?」
「赤い子はアキちゃんの魂を食べて身を保ち、黒い子は赤い子を食べる。代償としてアキちゃんは魂――精神力が削られて金魚になる夢を見る。そういう共生をしてるんじゃないかい? 生きてる人間は魂を作り続けることができるのかもしれない。だから赤い金魚は大きくなったり小さくなったりする」
 出目金は金魚を食べていた。金魚もなにかを食べるのなら、憑いている人間のなにかである可能性は高いように思われる。
「関係があるかはわからない。でも『アキちゃんの周囲で二名の死』はたしかに存在した」
「わからなければ意味がないでしょう。わかったとしても、なににもならない」
「調査は真相の仮定を立てて裏付けをとるものさ。そして僕が今ここでとった裏付けは『金魚を管理する金魚屋がいる』という真相のため」
「……というと?」
 一体、どの話がなんの裏付けになったのかわからず、俺は首を傾げた。
「アキちゃんのお母上は救済され、アキちゃんは放置されてる。これが気になってたんだ。なぜ助ける対象を選定する必要があるのか」
「選定なんてできますか? 金魚は見分けがつかないし、考えてることもわからない」
「そう。つまり、見分けてない可能性があるんだ。救済は単なる順番なのかもしれない」
「全人類を年齢順にですか? それは、相当順番が回ってこない気がしますよ。もし母さんが金魚を視てたのが生まれつきだったなら、俺もあと二十年は待たなきゃいけない」
「それはないと思うよ。もしそうなら、お父上は結婚前に気づいていたはずだ。でもお父上は、春陽くんが亡くなった時と断言している」
「じゃあ自動的なシステムではないですね。やっぱり順番かな」
「そう。それで思ったんだ。金魚屋は土地ごとに営業所があるんじゃないかな」
 突然リアルな存在を提示され、俺の思考は一瞬止まった。営業所といえば、宅配便が配達物を一か所にまとめていたりする、現場担当者が駐在する場所だ。金魚とはあまりにもかけ離れた存在のように思える。
「それは、また、どうしてでしょう」
「金魚は減るからだよ。お母上は明確に『金魚が消えた』ね。つまり『日常的に人知れず自動で消える金魚』と『不自然に手動で消される金魚』がいるんだ。ここで気になるのが、お母上とアキちゃんに憑いてる金魚は、どちらも春陽くんと思われる点だ。春陽くんはどうしてお母上の時に消えなかったのか」
「あ、そうですよね。そういえばそうだ」
「おそらく人為的ミスなんだよ。消したと思いきや、アキちゃんへ移動しただけだった。つまり、放置されてるのはアキちゃんじゃなくて、春陽くんなんだよ。金魚屋の『客』は生者じゃなくて金魚なんだ」
「そっか。春陽が消えたら、俺は金魚憑きじゃなくなる。俺の救済は結果論か」
「原因はきっと、アキちゃんが一人暮らしのために引っ越しをしたことだ。『春陽くんを消す』という仕事が東京の金魚屋へ移った。そして、アキちゃんに憑いてるもう一匹はまったくの別問題なんだよ。春陽くんがアキちゃんに移動した理由は、それかもしれない」
「けど『手動で消される金魚』は、他にもいますよね。もしかして、問題の発生順に作業をするのかな。母さんから俺まで、かなり時間が空いてる」
「そう。アキちゃんの順番は、その時点の東京担当者の、一番最後に追加された。待っていればアキちゃんの番がくるよ」
 筋が通っているように感じた。問題の主体が俺ではなく金魚なら話はシンプルだ。
 金魚屋は存在する。俺は遠からず、金魚屋に会うだろう。
 どんどんと心臓が鳴っている。原動力は終わりがみえてきた喜びか、未知の領域へ踏み込む好奇心か。どちらにせよ、俺の全身が音を立てて震えている。そんな俺を見て、店長は、ぽんっと軽く俺の背を叩いた。
「先がみえてきたところで、今日は帰ろう。明日はゆっくり休んで、月曜日は授業が終わったら黒猫喫茶においで。色々精査して、ついでに仕事の話もしたいからね」
「仕事? 金魚屋のですか?」
「僕の会社と黒猫喫茶の経営だよ。アキちゃんにはアキちゃんの人生がある。ご両親との約束もある。黒猫喫茶の営業を教えてあげるから、将来どうしたいか考えていこう」
「はい。そういえば、黒猫喫茶をやってるのは別の人なんでしたっけ」
「そうだよ。今度紹介してあげる。なかなか優秀なにゃんこだよ」
「え、看板猫かなんかですか?」
 変わっていく。俺の人生が、この数日で大きく変わろうとしている。どんな方向にどう変わるのかは、まだわからない。でも店長がいてくれるなら、なにも怖くなんてない。


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