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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第三話 御縁叶冬という男

 金魚屋の男から逃げた翌日、一限から授業があるので大学へ向かった。
 晴れやかな空とは裏腹に俺の気持ちはどんよりと曇っている。金魚屋の男と話をしに行かなくてはいけないだろうが、話の進め方がわからない。
「仲間かも、なんて思ったけど、そうとは限らないんだよね。あの人は金魚の味方で、金魚を視る人間抹殺するのが目的かもしれない……」
 どうしたものかと悩みながら歩いていると、門をくぐったあたりでどんっと軽く体当たりをされる。やって来たのは隆志だ。
「よーっす! どうしたどうした! なに悩んでんの!」
「おはよう。大したことじゃないよ。ちょっと考えごと」
 挨拶をしながら、隆志はまた手でパタパタと扇いでくれる。余計なことで心配をかけないようにしようと思ったが、そのとき、学び舎には似つかわしくない、女性の歓声が聴こえてきた。歓声の方を向くと、多くの女生徒を引き連れている男がいた。
 男を見て、俺の体は固まった。この男がここにいるはずはない。
「あれ? 御縁神社の金魚のオッサンじゃん。なにしてんだ」
 女性を魅了しているのは、初対面で俺の名前を断定した金魚屋の男だった。
 お祭りの屋台と同じく、女性に囲まれているのは金魚屋の男だった。今日も白いシャツに黒いパンツ、そして黒い着物を羽織っている。汗が流れるほど暑いこの季節には、なんとも不釣り合いだ。
 だが金魚屋の男の右肩には金魚がいなかった。お祭りの日は連れていたが、今日はおいてきたのだろうか。おいてくることなど、できるのだろうか。俺は、俺の右肩を泳いでいる二匹を視た。意思疎通はできない。ついてくるなと言ってもついてくる。
 やはりテレパシーのような能力があるのだろう。会話できるのなら、金魚に指示をして俺の居場所を調べさせることくらいできるかもしれない。
 いずれにせよ、金魚屋の男は特別な存在であることは間違いない。少しでも情報を得たくて、俺は隆志の袖をくんっと引いた。
「ねえ。あの人ってどういう人か知ってる? よくここにくるの?」
「知らん。お祭りの日しか見かけないな。神社の人らしいけど、普段は神社にゃいない」
 隆志は様子を見ようとしてるのか、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。まだ覚悟のできていない俺は、気付いてほしいような気付かないでほしいような、両極端な気持ちが交互に押し寄せる。それとは別に、授業も始まるのでどうしようもない気持ちもあった。
 一人でおろおろしていると、金魚屋の男のほうが俺を見つけてしまった。女性たちに道を開けるよう頼みながら、俺のほうへ歩いてくる。脚が長いからか、歩いているのにやたらと速くて、なんとなく気が急いた。
 金魚屋の男はあっという間に俺の前にやってくると、腕を組んで俺の顔を覗き込んだ。
「やあやあ。学んでいるかい、石動のアキちゃんや」
「え。アキ、名前で呼ぶほど仲良くなったの? なんで?」
「いや……そういうわけじゃないんだけど……」
 なんでかは俺も訊きたい。仲良くどころか、自己紹介だってしていない。
 覚悟はまだないけれど、出会った以上は無視することもできない。俺は金魚については触れず、至極当然の質問をすることにした。
「記憶違いだったらすみません。初対面だと思うんですけど、なぜ俺の名前を知ってるんですか」
「おおっと! こりゃあ失礼した! 僕は御縁みえにし叶冬かなとだ。御縁神社の『御縁』に、叶える冬と書いて『叶冬』だよ」
「……ご丁寧にどうも。それで、どうして俺の大学がここだと?」
「んえっ? そりゃあ、だってだって、アキちゃんこれ落としたからさあ」
「え?」
 金魚屋の男が差し出してきたのは一枚のチラシだった。赤毛の青年が浴衣を着ている、浴衣レンタルのチラシだ。レンタルの控えだったので、名前も大学の名前も書いてある。
「……これを見てきたんですか?」
「そうだあよ。じゃなきゃどうしてわかるってぇんだ」
 ようするに、名前と大学を知ったのは金魚に聞いたわけではないということだ。安心したようながっかりしたような、感情が入り混じって急に頭が重く感じる。
 俺は、個人情報が明記されたチラシを受け取ろうと手を伸ばした。
「すみません。わざわざ有難うございました」
「おっと! あげないあげないあ~げない!」
「え……」
 チラシを掴もうとした瞬間、金魚屋の男はひょいっと取り上げにやにやと笑った。
「欲しいかい? 欲しかろう? 欲しいに違いない!」
「いえ、別に。なければないで」
「ほっほ~う⁉ じゃあ僕がこれを千枚コピーしてご町内に配り歩いてもいいと! 個人情報満載のこのチラシを!」
「……すみません。返して下さい」
「いいよ。ただし僕に付いて来てくれたらね」
 男はにっこりと微笑んだ。
 秋葉は別に話をしたくないわけではなかった。何しろ生まれて初めて出会った金魚を理解する人間だ。怪しげな男ではあるが興味はある。
 しかしこんな脅され方をすると素直にうんと言い難い。余計な演出しないでくれよと思っていると、癖なのだろうか、男はするりと俺の頬を撫でてきた。
「君の金魚鉢は僕のところにあるよ」
「金魚鉢?」
「そうさ。金魚を消す金魚鉢さあ。あれが欲しいんじゃないのかい?」
「金魚を……消す……?」
 十九年間、一度として金魚に触ることはできなかった。世にいる金魚が消えることがあるとも思っていなかった。だが、消したいと思うときはある。
 金魚になる夢は、絶対に金魚のせいだ。金魚が消えれば、金魚になる夢をみなくなるかもしれない。
 ――俺は人間でいられる。
「来るだろう?」
 拒否するという選択肢はなかった。授業があるけれど、引き留めてくれる隆志の手を振り切って御縁さんに付いて行った。

 御縁さんが向かったのは御縁神社だった。だが、敷地に入って向かった先は屋台があった方向ではない。
「どこに行くんですか?」
「まあまあ。そう急がないで。見せたい物があるんだよ」
 逃亡防止のためか、御縁さんは俺の手をがっちりと掴んだ。着物を羽織っている御縁さんだけでも目立つのに、迷子になった子どものような扱いをされてさらに目立っている。恥ずかしくてそろそろと歩くと、中央の参道を通り、本殿の裏手に周ると境内を抜ける。神社の裏通りだが、御縁さんは迷わずに進んでいった。
 ふいに、がやがやと賑わう声が聞こえてきた。お祭りで展示していた大水槽たちを片付けているようで、作業服姿の男性が大勢いる。ここまでして金魚を見せつけるのは、どうしてなのだろうか。金魚の話なんて、わざわざしようと思ったことはない。小学校のころのように、馬鹿にされて笑われて終わりだ。こんなにアピールするなんて、とても理解できなかった。
「水槽の展示って必要ですか? 水槽も金魚も、レンタル料かかりますよね。お祭りの収入じゃ賄えないでしょう。それとも本業の収入がいいんですか?」
「んんん⁉ なにをつまらん話をしてるんだ! どうせならもっと有意義なことを喋りなさい! でももう到着しちゃったよ!」
 御縁さんは勢いよく腕を振り上げると、前方に見えてきた白壁の建物を指さした。飾り気のない直線的な建物は、神社の敷地内では異様に感じられる。どうせなら雰囲気の合う建物にすればいいのに、と勝手なことを考えていると、御縁さんに何かをかぶせられる。
「うわっ。なんですか」
「中は冷えるからこれを羽織りなさい! 喜びたまえ。金魚屋の正装だ!」
 御縁さんがかぶせてくれたのは、今まで御縁さんが羽織っていた黒い着物だ。
 着物の質など分からないが、なめらかで触り心地が良い。御縁さん自身の華やかさにも負けない品の良さは、高級品のように思われた。
 だが、それところとは話が別だ。洋服に着物を羽織るという独特な服装が許されるのは、御縁さんの整った容姿があってこそだ。このキャラクター性もあり、一種エンターテインメントになっている。凡人の俺がやっても滑稽なだけだ。恥ずかしくも恐れ多くもあり、俺は着物を羽織らず手に持った。
「着なきゃ駄目ですか? あまり目立つことは好きじゃなくて」
「だ~め! 着ないと入れてあげないよ! ここには金魚の記憶があるってえのに、見なくていいのかい⁉」
 着物を返そうとしていた手がびたりと止まった。金魚の記憶とはまた、人生で聞いたことのない単語だった。金魚に記憶があるなんて、考えたこともない。
 俺は御縁さんの目を真っ直ぐに見つめ返し、一方的に与えられた着物を羽織った。御縁さんは小さく頷くと、白壁の建物の扉の鍵を開け、古ぼけた木製の扉を開いた。
「さあ、どうぞ。君の求める金魚がいるかもしれないよ」
 なんとなく、嫌だな、と思った。金魚の記憶を見るのは恐ろしい気がする。それでも俺は、御縁さんの続いて一歩踏み込んだ。


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