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「金魚屋の徒然なる日常 御縁叶冬の邂逅」 第二十八話 御縁叶冬の回想・真野雪人との再出発

 車で十分ほど走ると、一軒の日本家屋の前で停車した。卓也さんとゆきは車を降りる、インターフォンを押すと数秒で玄関は開かれる。
「いらっしゃい。待ってたよ、卓也くん、雪人くん。大変だったね」
 中から出てきたのは、御縁神社の神主で、紫音ちゃんの父親である聖人まさとさんだった。
「有難う、聖人くん。迷惑をかけてすまない」
「かまわないよ。さあ、上がって。マスコミに見つかると厄介だ」
 ゆきはぺこりと一礼すると、聖人さんと卓也さんについて御縁家の玄関をくぐった。居間に案内されると、聖人さんは座りながら話を始める。
「叶冬くんの件はもちろんできる限りの協力をする。紫音も心配してるしね」
(え? 俺?)
 予想外に名前を呼ばれ、聖人さんを振り返った。表情は真剣そのものだ。
 久美子さんのことを相談するのかと思ったが、死んだ俺についてする協力といえば葬儀だろうか。それなら母さんがする話だ。なにが進行しているのかがわからないが、ゆきは嬉しそうにしている。悪い話ではないのだろう。
「図々しい頼みだとわかってるんだ。でも他に頼れる人が思いつかなくて」
「気にするな。お前たちじゃなくて叶冬くんのためだ。だから久美子さんの擁護はできない。報道が全面的に正しいとすら思ってる。それでもいいね」
「はい! いいです!」
 聖人さんの言葉に卓也さんは一瞬眉をひそめたが、笑顔で即答したのはゆきだ。卓也さんも聖人さんも目を丸くしたが、顔を見合わせて頷いた。
「よし。では決めよう。卓也くんは具体的に計画があるのか?」
「今後の人生すべてを援助するつもりだが、彼は聡明だ。家庭を支えるだけの力もある。金銭に価値を感じると思えないんだ。なら、彼では叶えられないことを助けたい」
「でも、かなは与えられるのは好きじゃないんです。一方的に援助するのは違うと思う」
「そうだな。それに、マスコミは無駄に騒ぐだろう。だから、人生の選択肢を増やす援助の方法を考えたい。社会で活用できる人脈を紹介したり、彼の知らない社会を見せたり。だが俺からの提案なんて、きっと受けない。だから聖人くんが考えた体で、聖人くんから提案して欲しいんだ。必要なお金は俺から聖人くんへ送金する」
「それがいいだろうな。そっちで費用を持ってくれるなら、うちは一人増えるくらい大丈夫だ。上の息子は自立したから部屋も余ってる。一人暮らしがいいなら僕が保護者になる」
 話はとんとん拍子にまとまったようだったが、俺は内容がまだ理解できていなかった。
 階段から落ちたことが事件になったのだろうか。なら久美子さんは関係ない。俺が自分で落ちたんだし、誰かのせいにするならゆきだろう。ゆきのせいになるのを恐れて、久美子さんが俺に危害を加えたことにしたのだろうか。いや、久美子さんの言い方は不本意に加害者にされたふうだ。しかも援助なんて、俺が生きてる前提の話になる。俺が死んだことを知らないのだろうか。
 ゆきも卓也さんも聖人さんも、全員が納得した表情をしている。聖人さんはゆきの背をぽんっと軽く叩いた。
「叶冬くんがまだ友達でいたいと思っていたら、お母さんがなんと言おうと傍にいなさい。私は新しく与えることはできるが、過去は作れない。君までいなくなったら、彼はすべて失ってしまう。彼が望んで君を手放すまで、君は彼の手を離してはいけない」
「はい! かなは友達です! ずっとずっと友達です!」
 ゆきは一大決心でもしたかのように、当たり前のことを叫んだ。聖人さんも卓也さんもゆきの宣言が嬉しかったのか、ほっとしたように微笑んだ。
(なんかよくわからないけど、援助は有難い。多少広さのある場所を使わせてもらえれば、レンタルワークスペースにして稼げる。御縁の個人事業にして収益は渡して、俺はコンサル料として売り上げの一部を貰えれば定収入になる。母さんが遊ぶ金も作ってやれる)
 それも生きていればの話だ。きっと三人は、俺が死んでいることを知らないのだろう。せっかくの決意を無駄にするのは申し訳ない。とくにゆきは、今までで一番輝いている。
(ごめんな迷惑かけて。俺も友達だと思ってるよ。ずっと、自我がある限り)
 ゆきに会えてよかった。できれば、死ぬ前に仲直りをしておきたかった。
 その日、卓也さんとゆきは御縁家に泊まることになった。明日病院へ行こうと言っていたので、三人は明日俺の死を知るだろう。三人は泣いてくれるだろうか。その姿を見たら、俺は昇天でもするのだろうか。
 急に苦しくなった。金魚でもいいから、ゆきが日常を取り戻すまで傍にいてやりたい。金魚にできることはないけど、ゆきが金魚の俺を見つける奇跡があるかもしれない。
 ――死にたくなかったなと、ようやく思った。

 そして翌日、朝になると奇跡が起きていた。
「わあああああ!」
 目を覚ましたゆきが大声をあげて叫んだ。布団から飛び出て壁に背を付き、呼吸を荒くして俺を見ている。誰も気付かなかった俺を、ゆきが視ている。
「な、なん、なに、金魚が、飛んで……え? なんなの?」
 ゆきと視線が交差し、俺はびょんっと飛び上がった。
(視えてるのか! 俺だよ! 叶冬だ! ああ、なんかないかな。俺だってわかるもの)
 俺はきょろきょろと室内を見回した。御縁家の客間に俺の持ち物などあるわけがない。うろうろしていると、ゆきのスマートフォンがなにかの通知を受けてモニターが光った。ロック画面には、先月の夏祭りで撮った俺とゆきのツーショット写真が表示されている。
(これだ! これこれ! 俺だよ! 叶冬!)
 俺はモニターの上をくるくる旋回し、つんつんと画像の自分を突く。ゆきはじっと俺を見て動こうとしない。
(ゆき! 俺だって! ほら!)
 俺は何度も繰り返し自分の写真を突いた。でもモニターはすぐに画面が消えてしまい、物をすり抜ける俺では立ちあげることもできない。
(あー! 他なんかないかな! 俺っぽい物! 俺っぽい物!)
 部屋をうろうろ泳ぎ回ると、見覚えのある物が一つだけあった。久美子さんに買わされた一個五千円のブーケだ。
(これだ! えいっ!)
 俺は尾ひれでブーケをぺんぺんっと叩いた。久美子さんの直近の悪事――問題行動だ。
 実際はすりぬけているが、何度も尾ひれで叩き、ブーケを不愉快に思っていることを行動で示す。俺の写真が表示されていたスマートフォンのモニターも突きに行って……繰り返していると、ぽつりとゆきが呟いた。
「……かな? かな、なの?」
 ゆきに名前を呼ばれ、俺は飛びあがってゆきの周りをぐるぐる泳いだ。
(そうだよ! 大丈夫か、ゆき! 俺は大丈夫だ!)
 ゆきは泳ぐ俺を必死に目で追いつつも、まだ信じられないという顔をしている。
「ちょっと落ち着いて。本当に? 本当にかな?」
「そうさ! 本当にかなちゃんの魂さ!」
「わあああ!」
 俺が「そうだよ」と心の中で答える前に、どこから現れたのか、金魚屋の女がゆきの目の前にいた。ゆきは腰を抜かして布団に転がってしまう。
「はーっはっはっは! ゆきちゃんに用はないが用があるんで失礼するよ!」
「誰ですか、あなた! 警察を呼びますよ!」
「呼ぶがいいさ。そしたら僕は帰るけども、僕がいなくちゃ君も金魚の仲間入りをしてしまうよ。僕は別にかまわんけど、これでも金魚屋なもんでね。生者の魂を害する元凶は取り除かねばならんのだよぉ」
「金魚? 金魚って、これ、この子、ですよね。金魚がなんだか知ってるんですか」
「知ってるもなにも、僕ら金魚屋は金魚を管理するのが仕事さ。死者の魂ってぇのは、生者と同じくらい好き勝手するもんなのさ」
「死者の魂……?」
「そうさ。さあ、かなちゃん、おいで。もう十分、金魚生活を楽しんだろう」
 金魚屋の女が俺に手招きをした。俺はなにも感じなかったが、体が勝手に金魚屋の女へ近づいていく。
(なんだ!? 体が、体が勝手に……!)
 止まろうと思っても、俺の体はふよふよと金魚屋の女へ向かっていく。抗うことができないが、ゆきが俺と金魚屋の女の間に入ってきた。
「待ってください! 連れて行かないで! かなは、かなはまだ生きてるんです!」
(……生きてる?)
 ぴょんっとゆきの右肩あたりへ跳んだ。じっと見つめていると、視線に気づいたのか、ゆきが俺を振り返り微笑んでくれる。
「かなは病院にいるよ。意識が戻らないだけで生きてる。君が本当にかななら、体のところに連れて行けば起きるかもしれない」
「おっ、話が早い! わかってるじゃあないか。そうそう。そういうことさァ。僕は金魚かなちゃんを人間の身体に戻しにきたんだ。君らにしてみりゃ救世主みたいなもんだろう?」
「戻る? 生き返るんですか? かなは生き返るんですか?」
「は~あ!? 死んでないのに生き返るわけないだろう! 死んでないんだから! そもそも死んでないのに金魚になる方がおかしい! そんなイレギュラー知るわけないだろう!」
 金魚屋の女は突然憤慨し、両手を振り回しながら、ばんばんっと床を踏み鳴らす。
「いいかい! 金魚は弔うと輪廻転生する。輪廻転生は『適合する肉体に魂を届ける』って作業なんだよ。死者には肉体がないから新しい身体に入る。来世ってやつさ。けど、かなちゃんはまだ体がある。なら魂が入るのは今の体――って、マニュアルに書いてあるよ」
 金魚屋の女は懐からサッと冊子を取り出した。和綴じの赤い表紙で、相当読み込んだのかボロボロだ。タイトルは『金魚屋マニュアル』となっていて、英語が全体の雰囲気を台無しにしている。
 マニュアルなら作業が書いてあるはずだ。俺が元に戻れる作業が、そこにあるのか。
「さて、では選択だ。肉体の死を待って次の生へいくか、金魚として死に藤堂叶冬へ戻るか」
 金魚屋の女は、すいっと手を伸ばしてきた。
「死ぬかい? それとも死ぬかい?」

 ――金魚のときの記憶はここまでだ。次に目が覚めたら病院にいて、金魚だったことも、金魚だった間にした話も、俺はすべて忘れていた。

「かな! かな! 聞こえる!? 見えてる!?」
「……ゆき……」
 目の前にゆきの顔があり、ぼろぼろと泣いている。卓也さんは廊下にいた看護師へ声を掛け、すぐに医者がやってきて診察をされた。俺はまだぼんやりしていて、なんの診察をされているのかわからない。でも医者は嬉しそうに大きく頷いた。
「意識はある。大丈夫そうだね。けど念のため、脳波の検査をしよう」
「お金ないんで検査はいいです。入院費も無理なんで、もう退院したいです。母さんが来月に仕事の面接行くから、美容室とか服のお金とっておきたいし」
 来客対応がある仕事らしいので受かる可能性は低いだろう。それでも準備はしておかなければいけない。これも先行投資だ。
 俺はベッドから降りようとしたが、聖人さんに両肩を抑えられる。
「……落ち着いて聞いてくれよ。一昨日、百合さん――お母さんは亡くなられた」
「は?」
「叶冬くんが意識不明になった少し後、急に意識をなくして、数時間で息を引き取られた。診断は心臓麻痺ということだ」
「え……いや、それは……おかしいでしょう。なんのはなし、ですか……」
「叶冬くんが入院した直後に久美子さんと言い合ってたらしい。借金は帳消しにするから、叶冬くんの怪我に雪人くんは関係ないと証言しろ、とか」
「借金? 借金なんてしてませんよ。母がこっそり借金してたっていうんですか」
「いいや。久美子さんが自発的に奢ってた分らしい。いつもの難癖だよ」
 ――なんだそれは。
 ブーケの一つは久美子さんが買ってくれたと言っていた。なんの役にも立たないうえ、余計な金を使うことになった無駄の塊だ。
「……親切の押し売りで母さんは死んだのか」
「すまない! 謝って済むことじゃないが……すまない……!」
 卓也さんが土下座して、並んでゆきも土下座した。悪いと思っている姿勢だが、俺はなにも感じなかった。
「謝らなくていいですよ。許せないことは、謝られても許さないんで」
「かな……」
「それに、過去を責めても意味がない。大事なのは未来へ進むことだ」
 死んだと言われてもわからない。俺は見ていない。まずは本当に母さんが死んだのかを確かめることからだ。ベッドから起きて飛び出ようとしたが、聖人さんにぐっと抱きしめられた。
「まだ怪我が治ってない。先生が退院して良いというまでは治療に専念して、退院したらうちにおいで。うちで一緒に暮らして、今後どうするのが良いか考えよう」
「身内でもないのに迷惑はかけられません。あとは生活保護とか調べます」
「調べるにしても、一旦はうちにきなさい。お母さんの葬儀もやらなくてはいけないだろう。でも学校だってあるし、卒業したら大学にも行かなくちゃいけない」
「や、でも……只より高い物はないっていうか……」
「しっかりしてるな、君は。なら君の養育にかかった金額は将来返してくれ。奨学金だ」
 聖人さんの後ろで、卓也さんは祈るような眼をしてきつく唇を噛んでいる。ゆきもそわそわしながら俺の答えを待っている。
 俺は十秒ばかり考え、聖人さんに視線を返した。
「一つお願いがあります。俺が生活する部屋と、他にも一か所、場所を貸してもらえませんか。机が数個置ける広さで、俺が内装を弄っていい場所」
「神社に使ってない物置がある。好きに使っていいよ。なにをするんだい?」
「御縁の個人事業として、レンタルワークスペースか、売上を得られる店をやります。利益は御縁家の収入。俺はコンサル料として、売り上げの一部を貰うので生活費にします。でも学費だけは援助いただきたいです。将来に役立つ最高の学歴を得ておたい」
「……本当にしっかりしている。いいよ。ぜひやってみてくれ」
「有難うございます。お世話になります。それと、ゆき」
 ゆきはびくっと全身を震わせた。俺の怪我は自分のせいだと思っているだろう。母さんが死んだのが本当に久美子さんが原因なら、真野一家は藤堂家をどん底に突き落とした悪の一家――とマスコミなら報じるだろう。
 俺は手招きしてゆきを呼んだ。ゆきは重い足取りで俺の傍に来てくれて、俺は痛む腕を持ち上げゆきを抱きしめる。
「お前に怪我がなくてよかった。もう階段で止まるのやめような。御縁神社は階段あるから気を付けないと」
「……うん。そうだね。神社でお店やるなら、毎日通るもんね」
 しばらく周りはうるさいだろう。母さんが死んだなら、生活の有り様は変わっていく。大変なことも辛いこともあるだろう。それでもゆきがいるなら、頑張れるだろう。


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