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満月の夜、「いま」と「あの頃」の私

今日は満月らしい。

新月と満月のワークを、一昨年からしていた。
月の満ち欠けがわかる手帳を使っていたし、別で月と対話用のノートを作って、そこに新月、満月になるたびに書き込んで、読み上げていた。

書く時は途方もないような願い事を、数か月後に読み返すとその通りの自分になっているので、今は無理だなと思うような願い事も一生懸命に書いて、月に祈った。

これらは魔法なんかではなくて、潜在意識に働きかける作業である。

心身共に体を壊してしまって、月と向き合う時間がなくなった。最後に書いたのは、サロンを辞める直前だっただろうか。

ノートを読み返すと、去年4月の新月のワークでページが終わっていた。
そこにはこう、書いてあった。

「私は自分自身が本当に求めている生き方に気付く私になります。」
「私は迷っている時に、背中を押してくれる人やきっかけを引き寄せる私になります。」
「私は初めて体験することへの挑戦心が沸き上がり勇気をもって行動できる私になります。」
「私は人として成長し、新たな個性を発見します。」

あの頃には、見いだせないような遠い遠い自分の姿だった。自分の個性を否定し、「こんな自分は嫌だ、普通の人間になりたい」と言い、自分の中の持っているものを観ようとしていなかった。

このワークは数か月後にはその通りになっている。
そう、今の私はきっと、この頃に願った私に近くなっていることだろう。

そんな未来を思い描くことが全くできなかった私は痛みと共に深く深く闇に飲み込まれ、随分と薄暗がりを彷徨う地獄のような日々を送ることになった。

全てがうまくいかず、体調は悪く、手の痛みも激しく。恋も、お金も、生活も、いつ死んでもおかしくないような、そんな状況。

それでも文章と絵だけは描き続けた。手の痛みがひどい時にキーボードが打てず、でもペンは持てたからノートを買ってきて、そこに文章を綴った。

あの頃の共感覚アートはとても悲痛なものばかりだ。日記も、とても苦しそうな文章が書かれている。

それでも人の温かさだけはずっと感じていた。人の温かさのおかげで私はなんとか生き続けた。そんなことが身に染みる出来事もあった。

最悪の状況はしばらく続いたが少しずつ目の前のものと、そして自分と向き合い、うなだれては人の優しさに触れまた立ち上がり、感謝する日々だった。しかし、そうしているうちにまた新たな壁が現れる。もうこれ以上無理だ、何度思ったかわからなかった。

それでも進むことを辞めず、描くことも書くことも辞めず、色々な自分を見つけて、一歩一歩進んだ。

今の私は、今までの自分が作り上げたもので、そして周りの人たちのたくさんの優しさや愛に触れ続け、この世界を終わらせたくないと、あがいた結果だ。

まだまだ、ここで終わるわけにはいかない。
ずっとずっと先は、きっともっと幸せだ。あんなにも地獄の日々が、ここまで穏やかになっているのだから。

大阪に3日行って、優しい人たちと話が出来て嬉しかった。
大きなスーツケースを運び駅から駅へと移動する私に、「あの頃はそういえば、コンビニの袋すら持てなかったのに」と実感した。

手はもう痛みはなく、小さくてまるいコンプレックスだった爪には綺麗なネイルが施されている。

見た目もとても、変わった。体調もとても良くなってきた。取り巻く環境も変化を遂げつつ、それでも根っこは変えないでいたい。

久々に見る満月に、私は今何を願うだろう。
まずは感謝を伝えなければ。

私に関わる全ての人やものたちに。


満月ということで、去年の満月の記事を加筆修正しました.。体調不良のため加筆修正記事多くすみません。こちらはスタエフでも朗読してみました。

「あの頃」からも、そしてこの記事の「いま」からも、さらにさらに飛躍している今現在。この現状を受け入れ、感謝を続けよう。

山口葵


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