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社会

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2021年9月の記事一覧

なんだか気が緩んでます

なんだか気が緩んでます

デルタ株が感染終息に近づくにつれてぼく自身「ちょっと気が緩んでるな~」と思う。

今日は50日ぶりくらいに飛行機にのったんだけど、前回このルートをたどったときはデルタ株がまだ蔓延に向かっている時期だった。当時のnoteにも書いたが、そこそこの覚悟で乗り込んだ。不織布マスクとN95をダブルで装着し、ポケットには消毒スプレーを持ち、緑茶をのみながら移動した。

それでも感染は覚悟の上だった。

しかし

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小室さんのロン毛をギャーギャー言っている場合ではない

小室さんのロン毛をギャーギャー言っている場合ではない

今日の話は「男性・女性」というところに特化している。LGBTなどは一切度外視しているけど、考え方は同じだ。

男性であろうと女性であろうとそれ以外であろうと、ぼくは自分が尊敬できると感じる人を尊敬するのにやぶさかではなく、そこに性別も人種も関係ない。しかし逆にいえば、中身のない男性/女性が、単に「男性だから」、「女性だから」という理由だけで優遇されるのもおかしいと思っている。

つまりネットポルノ

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この程度のことで分断が生じているのがバカバカしい

この程度のことで分断が生じているのがバカバカしい

オリンピックでメダルを取るのは周りから見てもすごいことだが、本人にとってもすごいことである。おそらく周りが思っている以上に本人にとっては大変なことだったはずである。

まわりが「金メダルすごいな~」といっているのに、当人が「じつはたいしたことじゃないんだけど・・」などと思っていることはありえない。

外国語だってそうであり、「いいなあ」などと言っている周囲の想像を通り越して本人はずいぶんな道のりを

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田舎でどうしても耐えられないこと

田舎でどうしても耐えられないこと

今日のテーマはすばり「ボットントイレ」である。日本語で書くと「ぼっとん便所」だ。お食事中の人に迷惑なのでタイトルからは自主規制した。本日のおもな内容は

・もはやボットントイレには耐えられない
・日本にはまだまだボットンな場所が多い
・ボットンから名作映画を再解釈する

以上である。これで大丈夫な人は読み進めていただければ幸いだ。ボットントイレについて目の覚めるような情報をお届けする。

さて、ク

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「自分軸」とは風の時代が来たくらいで揺れたりしないもののこと

「自分軸」とは風の時代が来たくらいで揺れたりしないもののこと

第71代内閣総理大臣をつとめた中曽根康弘氏はかつて「政界の風見鶏」とやゆされていた。党内の風向きにあわせてあっちについたりこっちについたり、ぱたぱたと変節していくすがたが風見鶏のようだとあざけられた。

しかしトップの画像を見てもらえばわかるけど、風見鶏はたんに風にゆれているのではない。不動の軸を中心に回転している。中曽根さんにもおそらく憲法改正という軸があり、そこへ達するための手段としてあっちに

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幽霊に国境はない・・はず

幽霊に国境はない・・はず

だれでもわかることだが、気候変動には「国内変動」も「国際変動」もない。あるのは地球規模の変動だけだ。

経済の世界にもいまや国内経済と国際経済の厳密な区分はない。ぼくがいちばんお金を落とすのはアマゾンだがあれが国内経済なのか国際経済なのかわからない。

不思議現象にも国境はないはずだ。未確認飛行物体がEEZ(排他的経済水域)にそって飛ぶという話は聞いたことがない。しかし、それを追いかける人間の頭の

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「ひたすら逃げ続ける」というのはなかなかしんどいこと

「ひたすら逃げ続ける」というのはなかなかしんどいこと

ぼくはじぶんの冷たい手でじぶんの温かい太ももを触ったりするのが好きだ。手は温かい「もの」に触った感じがし、ふとももは冷たい「もの」に触られた感じがする。2つの矛盾した感覚を同時にあじわえるのがおもしろい。じぶんというものがけっして統一体ではなく矛盾の合成物なのだということが感じられる。まあ、ひまな話ですけど。

注射をするときにも針が皮膚に入っていく瞬間をじっと見つめるタイプだ。あまりガン見すると

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発信力がなければやることがなくなる時代が来るだろう

発信力がなければやることがなくなる時代が来るだろう

ぼくが子供のころによく通っていた児童公園があり、当時はそこにうるさいおじいさんがいた。まいにち公園を掃除をしており、子どもたちが汚さないか監視していた。かれが平らにならしたグランドにぼくらがラインを引いてドッジボールなどをやると「汚れる」と文句を言ってきた。

当時はぼくも素直だったから「はいはい」と聞いていたけど、今にして思えばおかしい。公園はこどもが遊ぶための場所であり、おじいさんがきれいして

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いま、ぼくにようなタイプはずいぶんと生きやすくなった

いま、ぼくにようなタイプはずいぶんと生きやすくなった

このnoteでもくりかえし書いているんだけど、ぼくはコロナ渦であまり生活に影響を受けていない。しかし、これは厳密にはウソではないが正確でもない。正確にはコロナ渦で生活に影響がないというよりもむしろラクになっている。

これはぼくにかぎらないだろう。人と集まってワイワイやらなくても平気なひとたちはこれまで「変わり者」とされていたが、それがいまではふつうの生活スタイルになりつつあり、がぜん生きていきや

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この国は戦時に対応できない

この国は戦時に対応できない

この1か月テレビを全くみていない。テレビが手元にないからだが、あったとしても東京2020はまったく見なかっただろう。もちろん、パラに関するニュース記事も一切読んでいないし、選手の顔はひとつもわからない。

SNSでネガティブな意見を書くのは戦う前の選手へのいやがらせになりそうなので控えていたが、いいかげんもういいだろう。まさか「戦い終えた後の選手の気分を害する」などというバカはいないはずだ。戦前、

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空気は読めるけど無視する

空気は読めるけど無視する

空気を読むことと全体のしあわせを考えることは同じではない。一番わかりやすい例は、「日本の首脳部がお互いに空気を読みあった結果としてが太平洋戦争が引き起こされた」というのがあげられる。

空気を読むというのは他者の気持ちを忖度するということだから、ぱっと見は他者ファーストの姿勢のようにみえる。しかしけっして全体の空気を読んで、全体のしあわせために黙っているのではなく、自己保身のために隣の人の気持ちを

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あげることが多いともらうことも多い

あげることが多いともらうことも多い

最近、実家の修理にいろいろとお金がかかっている。個人事業主との不定期なお金のやり取りが多く、スーパーのレジのようなさっぱりした感じにはならない。気持ちよく仕事をしてほしいから値切ったりはしないが、向こうも吹っ掛けてきたりもしない。そのあたりは信用を構築しているような面もあり、探り合っているような面もある。そういうお金のやり取りをややきゅうくつに感じることもある

佐藤勝氏の『いま生きる「資本論」』

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