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この国は戦時に対応できない

この1か月テレビを全くみていない。テレビが手元にないからだが、あったとしても東京2020はまったく見なかっただろう。もちろん、パラに関するニュース記事も一切読んでいないし、選手の顔はひとつもわからない。

SNSでネガティブな意見を書くのは戦う前の選手へのいやがらせになりそうなので控えていたが、いいかげんもういいだろう。まさか「戦い終えた後の選手の気分を害する」などというバカはいないはずだ。戦前、戦中だけでなく戦後までお祭りムードをこわさないようにつとめねばならないなら、まるで年中無休で空気を読まなければならない「あの国」みたいじゃないか。

そうこうしているうちに「夏季の選手には夢があったのに冬季の選手にはないのか」といってズルズル引きずられていってはたまらない。

橋本氏の「今回の経験を活かしたい」というのは「今回ズルズルと現状維持できたので、もう一回ズルズルと現状維持できるのじゃないか」といっているだけだ。今にも切れそうななつり橋をこわごわと渡ってみたらなんとか渡り終えることができたので、「もう1回この橋をわたれるんじゃないか」と言っているのと同じである。日中戦争からインドシナへと矛先を向けているようなものだ。冗談じゃない。今回、つり橋が切れなかったのは単なるぐうぜんであり「関係者の尽力で」切れなかったわけではない。今必要なのは、札幌冬季でも自民党総裁選でもなく、野戦病院設立のための法的議論だ。

パラ閉幕からいそいで自民党総裁選挙にむかうムードを見ていても、この国では二度と国際的なスポーツイベントをやってはいけないことがわかる。この国は戦時に対応できないからだ。もちろん、この国というのはぼくも含まれている。だからあえて書いているのだが、これはぜひとも共有しておかなければならない現実だ。

この国は戦時に対応できない。

先の大戦でもわかっていたことだが、この国は戦時に対応できない。開戦間際まで決定をズルズルと先延ばしにしつつ、アメリカに先手を打たれたのちに「こうなったら戦うしかない」と他動的に開戦した。そして、ズルズルと戦い続けて引き際をあやまり、原爆を落とされてからまた他動的に降伏した。そういう社会体質だということが改めて身に染みる。

今の気分としては「スポーツ観戦がこれほど社会のおろかさを露呈するのなら、もう一切見るのはやめよう」というところである。土壇場にくると選手を前面に出して「空気を読め」と言ってくるあたりは戦争よりやっかいだ。

・・とまあ、いちおう怒っている風に書いてみたけど、ここまで遠慮がなければ、こちらも遠慮をせずに口がきけるというものである。「札幌招致を中止せよ」などと本気で言うつもりはない。せいぜいやってみればいいよ。99.99%ムリだから。

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