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「ひたすら逃げ続ける」というのはなかなかしんどいこと

ぼくはじぶんの冷たい手でじぶんの温かい太ももを触ったりするのが好きだ。手は温かい「もの」に触った感じがし、ふとももは冷たい「もの」に触られた感じがする。2つの矛盾した感覚を同時にあじわえるのがおもしろい。じぶんというものがけっして統一体ではなく矛盾の合成物なのだということが感じられる。まあ、ひまな話ですけど。

注射をするときにも針が皮膚に入っていく瞬間をじっと見つめるタイプだ。あまりガン見すると看護士さんに不審がられるのでさりげなく見るようにしているが、基本的にはじっと見つめている。針が皮膚に入るビジュアルと、チクっと刺激が走る感覚に誤差があり、視覚と触覚のズレがふしぎに感じられておもしろい。

「怖いから」という理由で目をそらす人が多いときくが、それにケチをつける気はない。ただし、目をそらしても注射を避けられるわけではないし刺されるものは刺されてしまうわけで、せっかくならおもしろく味わいたい。なので、目をそらしてなかったことにするという姿勢がちょっと理解できない。

しかしこの「目をそらすのが理解できない」という考え方がまちがっているというのは自分でもなんとなくわかる。このnoteでは何度も書いてきたけど、ぼくはだいたい悩みをもたずに生きている感じなのだが、これは欠点でもある。

注射といえば、こないだTwitterでアメリカの街角をドラッグ中毒のひとたちがふらふら歩いている映像を見た。

ヘロインを打つというのはなんか悩みがあるから打つのだろう。しかし、見て分かるように「ヘロインを使ってもなにも解決していない。」だってふらふら歩いているだけなのだから。けれど「ふらふら歩いている暇があったら問題に向き合ったら?」というのはまちがった考え方なんだよな~。ヘロインを使ってもなにも解決しないけど、ぼくがそういうことを言ってもなにも解決しないのである。

それにしてもひたすら逃げ続けるというのは、なかなかしんどいことに見える。だって、目をそらすことで悩みを放置しているだけでなく、さらに体まで蝕んでいるのだから、あとで大きなつけがやってくる。しかし、そういうことを言っても始まらないんだよな~。子ども時代にいろいろあったりしてああなっているわけだ。社会に希望がなくてああなっているわけだ。見ていてもどうしたらいいのかさっぱりわからない。

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