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空気は読めるけど無視する

空気を読むことと全体のしあわせを考えることは同じではない。一番わかりやすい例は、「日本の首脳部がお互いに空気を読みあった結果としてが太平洋戦争が引き起こされた」というのがあげられる。

空気を読むというのは他者の気持ちを忖度するということだから、ぱっと見は他者ファーストの姿勢のようにみえる。しかしけっして全体の空気を読んで、全体のしあわせために黙っているのではなく、自己保身のために隣の人の気持ちを読んでいるだけだ。「右隣の人と左隣の人ファースト」でしかない。

なんだか当たり前のことを書いているようだが、ぼく自身は「空気は読めるけれどもあえて無視する」タイプである。自分ではそう思っている。周囲の人にどう思われているかまではわからないが、すくなくとも、読めている多くの情報をあえて無視しているというのは個人的な事実だ。

そこで言いたいのは世の中には

・空気を読めない人 = 同調圧力を無視する人

・空気を読める人 = 同調圧力に屈する人

がいるという二項対立はちょっと違うのではないかと思うのだ。

もうひとつ

・空気は読めるけど同調圧力に屈しない人

がいるはずなのである。自分がそうだからそう思う。

しかし、ネット記事をいくつか読んでみたところでは「空気は読めるけど同調圧力には屈しない」タイプについて書かれた記事は見当たらない。

むしろ逆に、「人間というものは長年染み付いた習慣をそう簡単に変えることができない」ので、「ある日を境に(中略)パタンと「空気を読まない人」に変われるわけがない」と書かれていた。

つまり、「空気を読む/読まない」は習慣であって、スイッチで切り替えるように変えることはできないということだ。なるほど。そういわれればそのとおりである。急にはムリで、練習が必要だ。ぼく自身、振り返ってみると、読めてしまった空気をあえて無視するトレーニングを長年やってきたような気がする。

別の記事には、「今の若者が最も大事にしている価値観は「仲間」であり、仲間から外されないように必死」に空気を読むのだと書かれていた。

以前から日本では「村八分」と言われるように、同調圧力の高い社会でした。しかし、若い世代はさらに強固に「同調圧力」に支配されて逃れられない人が多くなっています。(教師が子供どうしの「同調圧力」を解消できない、たったひとつの理由

この記事のサブタイトルには「空気を読まない勇気を持て」とあるが、もし勇気で解決できるなら、スイッチを切り替えるように「ある日を境にパタンと変われる」ということである。そうではなくて、適切なトレーニングが必要なのではないか。

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