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2社目辞めて、フリーターになった話。-退職物語を添えて-

noteはじめて本気で書きました。
お受け取り方は人それぞれにお任せします。

2022年11月3日〜

約1週間前僕はフリーターになった。いや、現在はバイトもしていないから「フリー・アルバイター」を名乗るのもおこがましいと思う。れっきとした「無職」である。今もし犯罪を犯したら「斉藤 裕之亮 (22) 無職」としてニュースで晒されるであろう。しかし、犯罪をしようとする心意気は断じてない。職業名が出てくるのがこのイメージしかないから言ってみた。


僕のフリーター記念日☆

入社して半年間で仕事やめるやついる?→僕です

2022年4月1日からこの間退職した会社に入った。それはそれは大層なモチベと野心を掲げて。「前の会社で出来なかったことをここの会社で学ぶんだ!!!!」「北海道への3年間への武者修行や!!!!」ととても前向きに降り立った。

今思えば、恥ずかしさと悔しい気持ちになりますな。
でも、本当にこういう思いで旭川に降り立ったのは間違いない。情けん…。

退職理由は、簡潔にいうと「継続して働ける状態ではなくなったから」である。
自分としては、「成長するためには辛くて当たり前、しんどいことに弱音を吐くな。」という心意気だったものも、そういった思いが強すぎたのか自分を追い込みすぎてしまった。業務の忙しさの中でうまくセルフコントロールができずにバッドスパイラルに入ってしまい、辛い日々が続いた。

↓自分を奮い立たせていた時期。コメントまじで嬉しかった(TT)

ふと気がついた自分の異常な状態

夏に近づくにつれて気分が上がらない日々が続いたと思うといつしか、「あー、死にたいな」「今日車に轢かれたらラッキーだな…。」と思いながら起きることも多くなった。仕事がうまくいかずに不安な気持ちで、朝4時くらいに起きてしまい寝不足で仕事に取り組んでいた(宿題終わってない夏休み終わりの9/1朝の絶望感の100倍のイメージ)。

そんな時に同僚とオフィスで仕事の話になった。(僕が配属された地域/部署が結構特殊な状態で色々とめちゃくちゃ大変だったということもあり、)日常的にお互いを褒め合いながら頑張っていた。そんな時にふと僕が「いやー、本当に死にたいと思って朝布団の中で叫んでるわ笑」と話した。--------同僚はドン引き。今思えば当たり前である。しかし、この時に僕は「皆んなこのくらいの気持ちでやっているんだろうな、しょうがないな。頑張ってこの気持ちを無くせるように仕事できるようにしないと。クライアントの役に立てるようにしなくちゃ。」くらいにしか思っていなかった。この「地獄感」が当たり前だった。

”鬱病”と検索→チェックリストでヤバめ→病院GO

不安が確証に

そんな発言が同僚との会話の間に飛び出る前から、実は自覚症状はあり、ちょいちょい”鬱病 初期症状” "鬱病 ただのへこみとの違い" "鬱病のような状態"といったような検索をしていた。

検索としていた理由としては、
・自分と似た境遇の人を見つけて安心したい
・この状況での即効性のある対処法を知りたい
・鬱病だと分かったら少しは楽になるかな
・(大変な病気と知っていたので、)鬱病だと信じたくない
と主にこういったものからである。矛盾している部分も見られるが、本当に混濁していた記憶がある。

「自分がいなくなったら今のクライアントはどうなるのかな。」「ここで休むってダサくね、負けた感がある。」「悔しい。」といった感情を利用して勢いで乗り切ろうにも、本当に一瞬だけのターボであり少し経つとすぐに負の感情に支配されてしまっていた。

そこで会話の影響もあり、簡易のチェックリストで試したところ…、

”あなたのうつ病の重症度は27点中「○点(覚えてない)」で「重度」です。6点以上の場合にはうつ病の可能性がありますので、まず医療機関に相談してください。”

という結果が表示された。ああ、出てしまった。
「でも、簡易的なものだから数字出やすくなってるっしょ。そんなもんだな。」とたかを括っていたが大間違い。そんなこと思っていたら横から一緒のタイミングで入社した同期が「俺、4点。全然大丈夫だわ」という一言。

「これは本当にまずいな…。」僕は翌週にメンタルクリニックに向かった。

診断結果と対応

家の近くにある病院にいき、診断を受けた。
(余談になるが、メンタルクリニックにかかる人の多さにびっくりした。新しくできた病院だからなのかもしれないが予約はギッチギチ。運よく僕も予約取れた方だと思う。来院者も老若男女色んな人が来ていて最初はとても驚いた記憶がある。)

診断結果は、”抑うつ不安状態”

(↑:参考)鬱病とも少し違うらしい。正直なんか難しかったのでお医者さんにも深くは聞かなかった。しかし、明確になったことは「仕事するに当たって正常な状態ではない」ということである。まあ死にたいと日常的に思っているのであれば当たり前かもしれない。

正直、この時に「救われた」と強く感じた。この心の異常さを改めてお医者さんに認められたのは嬉しかったし安心した。

対応策と休職

さて、心の異常さが分かったことは嬉しい。しかし、重要なのはこの後の対応である。

主治医は2種類の提案をしてくれた↓
①服薬のみによる対応(もちろん会社にも相談して)
→仕事を続けながら、改善に向けて取り組む。

②服薬+休職による対応
→仕事から一時的に完全に離れて、服薬しながら徹底的に休養。

僕が最初に選んだのは①だった。会社やチームにも大きな迷惑をかけたくないし、鬱病ではないし(この捉え方が正しいとは今は思えない)、お医者さんという有識者から確証も得れた謎の自信といったことからまだ頑張れるかもと思ったからである。

しかし、翌週には上司にこの報告と共に休職の申し入れを行なった。(本当に報連相できてなくてダメだったなぁと強く反省しております…。)めちゃくちゃ涙出たな。悔しかったなと思い出す。

引き継ぎを行って、有給と欠勤により約1ヶ月の休職期間に入ることに。
親や先輩、同期にも相談して限界も来ていることや、「心の傷をなるべく浅いもので済むように。」という理由から休職という選択にした。

休職期間と復職へ

休職期間に入った。最初の方は引き継ぎの補足部分であったり、担当していたクライアントさんへの連絡などをしていてそこそこ落ち着きはなかった。変な緊張感が懐かしい。
1週間もすれば、引き継ぎ等も完了し完璧な休養期間に入った。

休職期間の過ごし方

専門学生時代も実習・バイト・インターンとバタバタ過ごしていて、前の会社でも割りかし忙しなく働いていたと思うので、こんなにも落ち着いた時間は高校生ぶりかもしれない。

しかし、全然動く気にもならない。
せっかくの北海道なんだから楽しめよ!!!と自分でも思うが、その時は無理だったなと思う。YouTubeで動画を見ても最初はそんなに楽しめなかった記憶がある。

そして、お盆期間でもあった為実家に帰って生活。中・高校時代の友達や、仲良くさせてもらっている先輩や前々職でクソお世話になった方とも話せて結構リラックスさせていただきやした。あの時期あってくださった方まじで感謝です!!

お盆後は、北海道に戻り静養。暑さも比較的に落ち着いてきていて、気持ちも比較的前向きになってきたので散歩をすることが多くなった。

旭川は綺麗な風景めっちゃ多い。散歩するには最高の環境!!!!
休職前に職場の先輩にジムも紹介してもらっていたので、筋トレにもいった。
最初の頃に比べると格段に外出意欲も増していった。

復職 | 肩慣らし期間

9月中旬、主治医とも相談し復職しようということになった。(僕の契約上、休職可能期間が定められていたということもあり。)

このとき、びっくりするくらい前向きな気持ちになっていた。不安もあったが、「休んで結構リセットできたな」という気持ちが支配していた。復帰が待ち遠しくもあった。

上司と会社に連絡し、産業医とも面談して翌週には復帰。最初の1ヶ月は就業時間を設けての出勤に。(もとから残業も多い状態だった。)そして、約1ヶ月後の産業医面談日を設け、そこで状況確認をしていこうとなった。比較的大企業ということもあってか、全ての事務作業や働くことに対してもとても慎重になって対応してくださったのが印象的である。

挫折 | フラッシュバッグ

さて、無事に復職した斉藤。しかし、その前向きなやる気は一瞬で挫折に変わる。
復職して1日目、今後の戻り方について上司とオンライン面談の時に事件が起こった。業務の話になると涙が溢れ出すのだ。理由はわからないが、なぜか涙が出てきて止まらない。怒られては一切ないし、詰められてもいない。ただひたすら涙が出てきた。あの感覚は初めてだったと思う。

上司も僕もびっくりである。心は好調です!といって復帰してきてこの有り様なのだから。ここで僕自身も深く自分が何らかの理由で心にショックを負っていたことを再認識した。

働き方と退職へ

復職後の働き方

上記のような挫折(フラッシュバッグ)をしてしまった僕が一番辛かったのは、「会話」をすることであった。長い一人生活が理由なのか、心の影響なのか。または複合的な理由からなのか…。僕の行っていた、”営業”という職にとってめちゃくちゃ致命的なのは言うまでもないだろう。かなりリハビリをさせていただいたが、なかなか調子が良くなることはなかった。

このご時世もあって、リモートワークというものが推奨されているのも厄介であり、ありがたいものだった。人と極力話したくない状態に陥っていた僕にとっては好都合に働いていたが、その分会社やチーム・業務というものへの溶け込み具合が遅くなってしまったと思う。(ここをもっと強く出れなかったのが悔やまれるかもしれないが、たられば言っても仕方ないと信じよう。)

そうして、1週間、2週間、3週間…と過ごしていきながら、段々と次の産業医面談日が迫ってきていた。「よし!フルで業務に戻るぞ!」という気持ちと「もうこれ以上はキツイかな」という気持ちが随時揺らいでいた。

そして、面談日が迫るとある週末に結論がでた出来事があった。

日曜の風呂上がり事件

次の産業医面談日は月曜だった。退職した会社は、土日祝日は完全に休みだった為、金曜日あたりからそわそわしていた。親とも連絡をとり出ていた結論は「このまま仕事を続ける」という判断だった。

しかし、これをひっくり返す出来事が起きた。日曜の夜に風呂から上がった瞬間に、蕁麻疹が過去最高レベルで再発したのだ。
これも実は夏頃からひどい蕁麻疹が出てきていた。最初は、「なんかめちゃくちゃ蚊に刺されるな」「こんなにダニに噛まれるのか?」と悩んでいたが、一向に良くならない為、皮膚科にいったところ一発で「蕁麻疹」と判明。状況からみてストレスが原因なのは間違いないとのことだった。

処方された薬を服用することで落ち着いていたこの蕁麻疹が、次の日の産業医面談のことを考えるだけで、でっかく再発した。この時にこれまでのことや、日々悩んでいたことが綺麗にまとまり「これが答えか。」と思い親にも連絡。退職の決断に変更した。

退職へ

月曜日の朝、上司にその報告をし面談でも産業医に報告。すんなりと受け入れてくださったのは、申し訳ないが本当にありがたかった。
火曜日の朝、チーム全体にオンラインになってしまったが、挨拶をさせていただいた。
そして、残りの有給を消化し退職という流れになった。

決して勘違いしてほしくないのは…。

今回、もしここまで読んでくださった方は「こいつは一人でずっと解決しようとしていたのか?」、「周りは何もしてくれなかったの?」という疑問も生まれてくるかもしれない。

あくまで僕中心で色々と書いてしまったが、同期や先輩方も、僕の不穏な空気を察知し相談に乗ってくださり、めちゃくちゃ寄り添ってくれた。
ある人は新しい趣味を見つけてしっかり切り替えしようと、買い物に付き合ってくれた。そしていつも声を掛けてくれた。辞めた後も、ウチまできて一緒に話してくれた。
ある先輩に対しては、一番喜怒哀楽の感情を見せてしまっていたかもしれない。かなり泣き顔も見せてしまったと思う。そのくらい安心感があった先輩だった。

こういったメンタル系のことを経験してた方々も、めちゃくちゃ為になることを教えてくださった。この会社でというよりは、これから生きていくためにという観点で。もっとたくさん話したかったなと思う。旭川行くしかない。

親も様々な観点から冷静に分析をしてくれたし、サポートもしてくださっておる。
親は偉大とはこのことだろう。最高です。ありがとう。

相談させてもらった先輩や友達、愚痴を聞いてくれた羽黒ファミリーまじ感謝です卍

本当に良い人達に恵まれております。ありがとうございます。

これをnoteにした理由

今回、これをnoteに書いた理由はいくつかある。
決して心配して欲しいや、気にして欲しいなどではない。
主に下記の3つである。

①こんな経験もあるよと知ってもらいたいから

変にマウンティングする訳ではないが、僕と同じ年齢の人達は来春から新社会人として世の中に出る人が多いと思う。期待に胸を膨らませ、知らない土地に向かう人もいるだろう。

そんな中で、こういったことになる可能性は0ではないと感じる。本当に就活を乗り切って入った会社で、色々と悩んだりするときに、「あのようなことにならないようにしよう」と少しでも予防線になれば幸いです。

やっぱり会わない会社ってあるみたいよ。

②しっかりとストレスに対して逃げ道や対処法を作っておくことは重要ということを伝えたい

これも今回の経験から非常に大きく感じた。正直、仕事だけで突っ走っていき、心の健康を保っている人は少ないと思う。退職した会社の社風もあるかもしれないが、ON/OFFのスイッチの入れ替えが上手い人は多かった。それが当たり前であれば問題ないと思うが、無意識の場合は意識的にやってみたほうが絶対良い。

③自らが表現して社会に貢献できるような人間になりたいと思っているから

こんな時代になり、誰でも情報発信できるようになり、こんな若輩者の僕でも出来る。少しでもとっかりやすいようなタイトルにもしてみたつもりである。今後は、自分の思いや伝えたいことを何らかの形で発信できるようなことを職にしたいと思っている。その第一歩にしたいと思っていたから。

これから

絶賛無職なので、時間もあるため怠惰な生活になりすぎない為にもnoteに色々なことを書いて更新できるようにしたいと思う。(もちろん何らかの方法でお金も稼ぎながら)

きちんとメンタルを復調させながら、ケアもしつつ今後の人生頑張っていく。

とりあえずめちゃくちゃラーメン食った。
ダイエットします。

最後に

決して、僕はこの半年を無駄だったと言わないようにしたいし、そんな未来にしようとは一切思っていない。
社風なのか、様々な個性ある方々と一緒に仕事をすることができた。

・徹底的に丁寧なクライアントフォローをするスーパーウーマン
・データ分析の重要性を説いてくださった癒し先輩
・圧倒的な明るい雰囲気作りで進行してくださる神ママ

などなど。本当に素晴らしい方々だった。細かい部分を出すとキリがないので省略。

「この経験を無駄にするかしないかは、未来の自分次第」

ある先輩のお言葉。肝に命じます。

もしここまで読んでくださっている方がいたら嬉しすぎる。(今で約6,000文字)
22歳のペーペーなりの意見でした!!!!!

そして、、、

社会人続けている人まじでスーパーマン!!!!!

えぐいって!!!!!!

カッコ良すぎるって!!!!!

セルフコントロールできる人まじで尊敬!!!かみ!!!

やばすぎる!!!!!!

ということは伝えたいです。
皆さん本当にカッコ良すぎるぜよ。

ありがとうございました。
とりあえず茨城で楽しく過ごします。

みんなの人生に幸あれ!!!

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