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【自己紹介3】ティーンを深掘る

こんにちは!
アロマで起業を目指す yuAReT(ユアレット) です。

最近メンタルもフィジカルも夫婦関係(!)も
一気にメンテナンスしているとお伝えしましたが
先日家計のメンテナンスもいたしました。

我が家はファイナンシャルプランナーさんと契約していて
投資や収支バランスを見てもらっています。

と言っても、この半年ろくに家計も見ず
日々を過ごすのに精一杯!だったのと
息子の入学・娘の転園、
フルタイムに伴う平日外食@はなまるうどんが
週1発生しがち、、など

変化も多かったので、更新することが多かったです。
日々覗いている星占いでも
メンテナンスや清算・整理、次への準備などと
書かれている時期ですが、正にそうだなと感じます。

お星さま すごいなー

今回は自己紹介シリーズ、
ティーンの頃を深掘りしたいと思います。

香りの文脈はありませんが、
それぞれの年代での経験が
誰かの支えになれたり、
分かち合えたりする土台になると思うと
どの葛藤も無駄じゃないと思えます。


小学生時代の習い事事情

姉がジャズダンスにタップダンス、
ピアノにフルートなど、多様な習い事を
短期間で変遷していくタイプで
私が何か興味を示しても
母からは渋られていました。

兄姉とは異なる方向性でやらせたいという
思いがあったようで、母からは
日本舞踊を勧められたこともありました。
しかし「ニチブ」というものを
全く見たこともなく、聞いたこともない中で
「ほら、ちんとんしゃんよ」と
リズムだけ口頭で言われ、
さっぱり分からずポカンとして興味も湧かない、という
やりとりがあったのを覚えています。笑

ちんとんしゃん で伝わったら 前世は舞妓だったんじゃないか

お絵描きや文章を書いたり、
本を読んだり物語を想像したり、
ペットの犬や猫たちと一緒に過ごしたり、
ゲームをしたり。
要するに家の中で完結することで
満足していたので、
習い事はピアノと習字、
あと苦手な算数を補う個人塾といったところでした。

ピアノは興味のある曲やメロディを
弾かせてくれるタイプの教室ではなく、
教本とソルフェージュを淡々と進めていくタイプでした。
ピアノを習っている友達に憧れて入りましたが、
その形式に飽きて数年で行かなくなってしまいました。

大学生になってもピアノを続けている友人は
「好きな曲、弾きたい曲を
 弾かせてもらっていた」という子達で
自分もその方が楽しかっただろうなと思ったので、
子供達は、本人が今弾きたいものを弾かせてくれる
ピアノ教室に通っています。

何事も 好き!の感覚は大事にしたい

親にとっては
送迎が楽か、月謝は安いかなども気になりますが
子供の適正や求めているレベルと内容、
先生との相性、そもそもの目的を
見誤らないようにしたいですよね。

高校受験を決める:中学生初期

小学6年の頃、
仲良くしていた子が最難関の私立中学へ
進学することになりました。
しばらく文通していたのですが、
「とても楽しいので、ぜひyuAReTもおいで」
と書かれているのに心が湧き立ち、
高校受験を早々に決めました。

首都圏最難関でしたが、
私を勉学の方向へ進めるのは
母の意向とも合致したので、色々と調べてくれ
今はその名も轟くSAPIXに通うことになりました。
当時は両手ほども展開されていなかったため
本校であった人形町校に週2〜3通うようになりました。

イジメと転校:私立中時代

中1でイジメを経験しました。
きっかけは、
その時イジメられている子に
「普通に」話しかけたことでした。

イジメっ子たちの方針に従っていない、
強者の空気を読まなかったため、
スケープゴートは私に回ってきました。

成績上位者表の中で
私の名前に画鋲で無数の穴を開けられていたり、
聞こえよがしにチラチラ見ながら
悪口を言われたり、
くすくす笑われたり。
小学校の頃は親しくしていたような子にも
無視され、
初めは気にもせず、味方もいましたが
日を追うごとにだんだん辛くなりました。

帰宅後は母と話す習慣があったのと
母は味方である、という信頼のもと
隠さずにそのことを告げると、
母はあっさり「学校やめよっか」と言いました。

丁度中学1年の1・2月、3学期の頃
高校受験を決めていたので、
辞めて公立中学に転校しようとなりました。

無視とか笑うとか 未だに理解できない

イジメは回避できたのか?

同調主義に馴染めず、
馴染まないことを行使した結果、
私はイジメられました。
そして
それに傷ついてしまう繊細さがありました。

馴染まないことを主張・行使するなら、
もっと図太く楽観的でいられる性質の方が
適しています。
ただそういう気質でない人に対して
「図太くあれ」「楽観的であれ」と言われて
そうあり続けるのは、正直難しいですよね。
努力して一時的に努めて、だんだん慣らしていく
ということはできそうですが。
イジメなどの人格否定・攻撃を受けている時、
「楽観しろ」と言われても実現性が低いと思います。

それでは、
我慢してでも同調すべきでしょうか?
正義感が強いと、
それも葛藤とストレスが生まれるでしょう。

イジメられているターゲットと関わらない。
もしくは
いじめっ子の前ではターゲットと関わらない。
これも正義感強めだと、心にきますね。

今なにか意見を出すとすれば、
学校では真に仲良くできる友人との交流に留め、
クラス・学校にこだわらず、
学外の習い事やコミュニティ、
外側の世界を見るきっかけ・選択肢
見られたら、または周りの人間が見せられたら
と思います。

イジメの後遺症:転校後の公立中時代

学区外の少し離れた公立中学校へ転校しました。
その地区は転入・転出のよくあるエリアで
転校生が珍しくなかったのです。
私の他にも、同時期に入ってくる子供たちは
横並びに何人かいました。

私にとっては幼稚園ぶりの共学で
男子がいることに緊張しましたが、
振り返ると穏やかで協調性のあるクラスだったと思います。

とはいえ当時の私は
イジメの直後であり、また
親の離婚をめぐる家庭不和もあり
あまり情緒が安定していたとは言えません。

イジメの後遺症でしょうか、
周りの視線やざわめきが全て
自分への罵倒、侮辱に感じられて
怯えていました。

それに対して、
クラスメイトや友人たちは
「そんなことない」
と優しく寄り添ってくれたなと
今思えば心が温かくなります。

高校受験を決意し
中1冒頭からSAPIXに通っていましたが
中3でやや目的を見失っていました。
というのも、
イジメ、家庭のごたつきの他に
受験のきっかけとなった友人の文通が
借金返済のための持ち家売却による引越しが
きっかけで途切れてしまったからです。
それに
塾の宿題をこなすために明け方まで起きて、
学校の授業が始まる度に意識が飛んでいました。
ただお行儀がよくお利口で、
先生の話もよく聞き忠実、
宿題や教科書、ドリルなども全て
先にこなしていたので
白目を剥きながら舟を漕ぐ私を
先生は「疲れてるんだよな」と苦笑して
見逃してくださっていました。

私の中学校生活は塾が最優先され
合唱コンクールなどのイベントは
塾の始まる時間には早退し、
部活には参加せず、
放課後は家路を急いでカロリーメイトを食べて
電車に乗り、塾へと通いました。

時折胃痛に耐えかねて
教室の机にぶつかりながら倒れたり、
下校中なら途中にある図書館の
階段やベンチで蹲ったりして、
友人に付き添ってもらっていました。

早退はしたけれど
合唱コンクールはとても楽しかったし、
一体感に心が震えたし、
みんなで頑張る気持ちよさを知りました。

今思えば、
その感動や正の感覚を
しっかりと自覚してとらえ
自分の心が望む体験ができるところ、
 大切にしている学校へ
」と
アンテナを張れたら良かったと思います。

忙しさや情緒不安定さに流されると
現状維持に思考を止めがちですし
塾や親などの大人は基本相性や特性より
偏差値で受験校を測ります。
結果的に、それは私にとって
「あんなに頑張ったのに」を引き起こすのでした。

さて、父親の浮気や借金が重なり、
両親は離婚しました。
そして経済的にも人間関係的にも
母は追い詰められました。

過去には私を連れて毎月「銀ブラ」して
百貨店に赴き
ファミリアや海外ブランドの服を着せ
毎年ハワイ旅行に連れて行き
比較的裕福だった母、家庭が
一気に貧困へ落ちていきました。

私は母が笑顔でさえいてくれれば良かったので、
母を苦しめる父親を毛嫌いしていました。
母を深追いするなら
刺し違えてやると思っていました。
そして離婚が成立すると、
私は母方の姓に変えました。

後で聞くと、母は心中も考えていたそうで
家族ドライブの体で車に子供3人を乗せ、
ある程度進んだところで
ガッとハンドルを切ろうと思っていたそうです。

兄は事情を知りながら助手席に座っていて、
後部座席に乗る何も知らない姉と私は
ぺちゃくちゃとおしゃべりをして
大笑いをしていたとか。
ただその笑い声を聞いて、
母は涙が止まらず
死ぬのを思いとどまったのだと聞きました。

思いとどまってくれたことに
心から感謝しています。
今生きているからこそ、歩めた未来があります。

学力至上主義に疑問を感じる:高校時代

親しくしていた子との文通も途絶え
家庭問題にもまれ
SAPIXの宿題をこなすために
昼夜逆転生活を過ごしていた結果、
すっかり闘志は迷子になり
結果的に御三家と並べて語られるような
進学女子校に通いました。

第一志望に落ちた子、
知識量や思考力に自負がある子、
リベンジに燃える子が多かった印象です。

知識マウント合戦が生まれがちで
それが息苦しく、
「あえて阿呆に振る舞い、マウント合戦を逃れ
 可愛がられるポジションに落ち着く」という
生存戦略を取り、日々の快適さを保ちました。

学力至上主義の学校だったので、
合唱コンクールやスポーツ大会のような
イベントはほぼなく、
美術や音楽などの受験科目でないものは
最低限に削られ、
個人的には面白みに欠けました。

「勉強しない奴はゴミ」「価値がない」
という先生たちもいましたし、
東大京大、理系、薬学部を目指してこそ
価値がある、という偏差値主義でした。

違和感を感じつつも、
ただ流されるように勉強を続けました。
兄姉からは「高校が一番楽しい」
と聞いていたのに、
拍子はずれで全く楽しくないという
落胆がありました。

ただ、これも他人軸の考え方です。
自分の価値観で学校を選び、足を運び、調べ、
親にプレゼンし、経済的に難があるなら
奨学金も調べるべきでした。

気持ちを伝える 共感を得られるように 訴える

勉強・部活・バイト:バランスが心地よかった大学時代

自己紹介に書いたとおり
母親に従い、政治学科のある
ある程度名の知れた大学を受けました。
受かった大学は
学祭などすら来ていませんでしたが、
受験日に初めて赴いて、
雰囲気が好きだなと思いました。
公立中学の2年間を除いて初めての共学環境。

親の離婚の影響もあるのか、
やや男性に対して不信感があるものの
兄がいるおかげか、
話しかけられて応える程度はできました。
ただ少女漫画禁止、
恋愛ドラマ禁止、
女子校育ちだったためか
あからさまに恋愛対象の視線を向けられると
恐怖を感じ、怒涛の勢いで逃げていました。
講義終了のベルがなった途端、
ピンポンダッシュの勢いで部屋を飛び出す
そんな感じです。

そして三曲研究という
箏、三味線、尺八を奏でる部活に入りました。
中・高と部活動らしきことをせずに来て
味気なかったことと、
最初に学部説明で知り合った友達に
誘われて部室に行ったところ、
穏やかな空気で女子多め、と
居心地が良かったのが入部理由です。

動機は高尚なものではありませんが、
毎日練習したり、部室でまったりしたり、
部員たちと仲良く過ごせる心地よい環境で、
私の居場所になりました。

居心地のいい居場所があることは
とても大事なことです。


専攻した政治学は無難にこなしていました。
心理的アプローチで小論文を書いたら
教授に面白がられたのを思い出します。

講義、部活、カフェでのバイト、
大学生活ではこの3つ巴のバランスが
とても快適でした。

夢中になるというほどではないのですが
どれも面白く、どこにも居場所がありました。

三つ巴の黄金バランス

一方家庭では、
母は途中怪しげな壺を買ったり、
宗教の話をする方が家に入り浸ったりと
危なっかしい過程を経て、
大学3年の就活の頃には
後の再婚相手となる男性との3人生活が
始まりました。

それまでは経済的に苦しく、
電気が切れたりガスが切れたり
お風呂が沸かせないので
ポットのお湯で体を拭く、といったことも
ありましたが
伴侶となる男性が来たことで
母にとっては頼る相手ができました。

一方私は家で居場所がなくなり、
常にイヤフォンをして耳を塞いで過ごし
出来るだけ大学と部活とバイトへ出向きました。

友人の家に泊ってゲームをしたり、
別の友人のご実家に泊まって
過ごしたりしました。
家にいることはとても苦行だったので、
就活のSPIテストなどは家で受けず
ネットカフェなどで受けて
集中できない、といったことがありました。

就活は最初、重工業を見ていました。
理由は子供のように単純で、
飛行機の離着陸の姿がかっこいいからです。笑

自己紹介に書いたとおり、
学びからの気づきと
社会貢献のロジックを立てていったら、
重工業からエンターテインメント業に移りました。

エンターテインメントでも、
特にゲームメーカーに絞っていました。
幼少期からティーン、その後社会人に至るまで
ハマっていたのはJRPGでした。

兄姉と年も離れ、放置され気味だったのと
親から色々規制される中
ゲームは規制がなく、兄とも一緒にできるので
ゲームでずっと遊んでいました。

物心ついた時から、9つ上の兄が
ドラゴンクエストやファイナルファンタジーを
遊ぶ様子を見ていました。
スーパーファミコン、ゲームボーイ、
プレイステーション、ニンテンドーDSと
出る機種出る機種にお年玉をはたきました。

現実が苦々しく自分が無力な中、
ゲームの主人公たちが様々な苦難を乗り換え
心身を鍛え、仲間と絆を深め、
運命に立ち向かい目的を果たしていきます。

物語の追体験が、
どこかで救いになっていたのかもしれません。

ティーンの私を支えてくれたものを
挙げるとすれば、
それは間違いなく 物語 です。

ゲーム、小説、創作、
漫画、ドラマ、音楽、絵画、
歴史、政治学、目の前の人物や風景、
道端に捨て置かれたペットボトルですら
私にとっては
心理描写のある物語を感じます。

そのストーリーラインに思いを馳せ
想像を巡らせ、没入し
暫しゾーンに似た時を過ごす。
無意識のうちにそれをやっていました。

あなたの周りの風景の物語は、
どんなストーリーでしょうか?

香り、つながり、物語。
私の中の、星座のように繋がる要素です。

皆さんの明日がやさしい日でありますように。

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