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【2500字無料】 オースティンの言語行為論(ビジネス×哲学 試論 #2)

*注意:この内容はすでに販売されている、「哲学者には世界がこう見えている! ビジネスで使える究極の哲学ツール【1】次元のちがい」の動画内容を一部変更したものです。

*動画でご覧になりたい方は以下のリンクから。

*Youtubeでも冒頭5分程度をご視聴いただけます。


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はじめに

このシリーズで紹介するのは、「次元の違い」についてです。次元の違いについて全4回で紹介していきます。

第2回となる、この記事では、「オースティンの言語行為論」という考え方について紹介します。

前もってこの話のポイントを先取りしておきます。

・1つのものに3つの次元があることもある。

・次元のちがうものは比べられない。

・それぞれの次元に対して、正しい、間違っているということができない。

・そのため、3つの次元は分けて考えたほうが良い。

「オースティンの言語行為論」のポイント

「オースティンの言語行為論」における、3つの次元とは

1、何が言われたか(その発話がどのような「発話行為」であるかを考える場合に注目する次元)
2、それが言われたこと自体を通じて何が行われていたか(その発話がどのような「発話内行為」であるかを考える場合に注目する次元)
3、それが言われたことで相手にどのような結果がもたらされたか(その発話がどのような「発話媒介行為」であるかを考える場合に注目する次元)

「オースティンの言語行為論」の3つの次元

言い換えると、言語行為に対して3つの捉え方の違いがあるということです。

オースティンとは誰か?

さて、オースティンの説明をしましょう。

ジョン・ラングショー・オースティン(1911〜1960)はイギリスで活躍した哲学者です。

1911年生まれというと、「太陽の塔」を作った岡本太郎さんと同い年です。

オースティンは1960年に40代で亡くなっているので、けっこう昔の人という感じがありますが、もし生きていたら岡本太郎さんと同い年だと思うと少し前まで生きていてもおかしくないくらいの世代感ですね。

さて、そのオースティンは、日常言語学派というグループの中心にいました。

日常言語学派

イギリスのオックスフォード大学を中心に、「オックスフォード日常言語学派」と呼ばれる哲学の一派がありました。

この日常言語学派は、第二次世界大戦の直後、1950年代あたりにすごく盛り上がっていました。

その日常言語学派の中心にいた人が、オースティンです。

オースティンが活躍する直前の時代というのは、「論理実証主義」というものが流行っていました。

論理実証主義の哲学者たちは、

「人間の使う言葉っていうのは不完全だ! だから、コンピュータみたいに完璧な人工言語を作れば哲学の問題も答えが出る! それが科学的な方法なんだ!」

論理実証主義の哲学者

みたいなことを主張していました。

今ふうに言えば、論理実証主義はとても「理系的」な哲学でした

それに対して、このオースティンを中心とした日常言語学派は、いわば「文系的」な哲学でした

日常言語学派の哲学者たちは、

「いやいや待て、そんなコンピュータみたいな謎の言語をつくっても仕方がない。普段われわれが使っている言葉(つまり日常言語)を分析することでしか哲学の問題は解けないでしょう」

日常言語学派の哲学者

と言い始めました。

日常言語学派における「哲学」と「オースティンの言語行為論」

よく哲学好きな人に、哲学って何をするんですか?と聞くと、

「哲学が何をするか。それ自体が哲学的な問題だ」と言って、煙に巻かれてしまうことがありますが、

オースティンたち日常言語学派の答えはシンプルです。

哲学は何をするものか?

哲学は、概念を探究する

そして、ここでいう「概念」とは、ふだん我々が会話とかで使っているような、その言語であって、学者が険しい顔で勝手に作った難しい言語ではないのです、と答えます。

オースティンからすると、論理実証主義は言葉の正しい意味ばかりにこだわってるように見えました。

けれど、実際に私たちの普段の会話を考えると、「正しい意味」ということ以外にもたくさん様々な次元があるわけですね。

例えば、消しゴムを貸して欲しいときに、

「消しゴム持ってる?」

と聞いたとします。これは質問の形をとっていますが、単なる質問ではありません。

もし、「消しゴム持ってる?」と聞いて、「うん、持ってるよ!」と答えられてやりとりが終わったら困りますね。

この「消しゴム持ってる?」は、質問の形式をしていながらも、消しゴムを貸して欲しいというお願いです。

「お願いである」ということを抜きにして、この場面を説明することはできません。

「消しゴム持ってる?」という疑問文を、論理的に分析して……なんてことをどれだけ進めても、この場面を理解できないわけです。

ここで、「疑問文である」ということと「お願いである」ということは、それぞれに正しいのですが、2つのことを簡単に1つの絵に収めるのが難しい。

これは1つの発話の2つの捉え方だとしか言いようがないものです。

オースティンはこのような「言語の様々な捉え方」「言語の様々な側面」を適切に扱いたいと考え、「言語行為論」というものを作りました。

ここで今回の私たちの問題意識につながります。

つまり、ふだんの私たちの会話のやりとりにはロジカルな意味の次元のほかにも様々な意味の次元がある

しかも、その別の次元も1つではなくて、2つとか3つとか、もっとたくさんの次元がある、ということです。

「発話の3分類」

オースティンの言語行為論は色々面白い話が詰まってるんですが、ここでは『言語と行為』という本に登場する、「発話の3分類」について紹介します。

発話というのは、声を出すとかして何かを発言する行動のことです。

わざわざ「言葉の」ではなくて「発話の」と書いたのは、言葉を無機質なものとして考えるのではなく、実際に会話などでやりとりされる場面に注目したいためです。

それでは「発話の3分類」とは何か? それは以下のようなものです。

1発話行為(locutionary act)
2発話内行為(illocutionary act)
3発話媒介行為(perlocutionary act)

発話の3分類

発話は、この3つの行為の側面から分析できる、というんですね。

発話の例1 「約束する」という発話

実際の例に即して説明していきます。

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