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子育てからみるあなたの役割。

今日もフランスからボンジューR!
フランス・パリ地方は曇り空と雨が続きながらも暖かい日が続いています。

さて、今日からもう11月!
2022年も終盤?!だと思うと時間の過ぎる早さにはビックリしますね。今日11月1日、フランスはLa Toussaint トゥーサン(父さんではありません)という聖人と殉教者を/記念する祝日です。


今日は自分の役割について、それに関連する子供との関係について書きたいと思います。


もうかなり経ちますが、日本にお住まいで子育てをされているお母さまとお話をする機会がありました。典型的な日本のご家庭で、ご主人は毎日帰りが遅く、休日もほとんど家におらずのワンオペ状態。

日本はまさに今、『孤育て』になっていると思います。

お話を伺うと、一番下の子がまだ小さくて何かと手がかかって大変なのだけど、歳の離れたお姉ちゃんが色々と面倒を見てくれているのでとっても助かっているの、と半ば誇らしげにお話をされていました。

しかし、話を詳しく聞けば聞くほど、わたしには違和感だけが残りました。


子供はなぜ生まれてくるか知っていますか?

子供は親からありったけの愛を受け取るため、無条件に愛されるために生まれてきます。自分が愛で満たされてはじめて自分は愛そのものの存在なんだと知ることができるから。
そして、大抵の子供は親を(特にお母さん)を助けるために生まれてきています。

それはフィジック(肉体的)な助けではなく、魂の成長の助けのために。

親が子供に教えられることが多いのはこのためで、子供の魂の方が親の魂より経験値数が高いことがよくあります。(一概には言えませんが)


このお母さまは、お子さんに魂的な助けだけでなく、肉体的な助けもしてもらっていて、ご本人はというと、見た目には親御さんというお顔をされていて(上の子は)よくできた子でしょう?わたしの育て方がよいので、といった風でありました。

『普通の世界』から見ると、親想いのお子さんですね、何でもお手伝いしてくれるなんて優しいお子さんを育てられましたね、でいいのでしょうが、わたしの視点からは完全に親子の立場が逆転しているとしか見えませんでした。

人にはそれぞれ自分の役割というものがあります。

つまり、その人の本来やるべきこと。

この方でいえば、子供に子供の面倒を見させるのではなく、親である彼女自身が下の子をお世話をするということですよね。


子供は親のことが大好きです。
だから親が喜ぶことはなんでもやってあげようとします。

でも親がそれに甘えてしまい、子供を自分の都合のいいように使ってしまっている親も結構多いように思います。

かく言うわたしも、7歳と4歳の母親ですが、4歳の子のお世話をしているとき、上の子に『ちょっとそこのティッシュ取って~』とか、『これをあっちに持っていってくれる?』なんて使ってしまうことがあります。

でもそんなときに、ハッとします。


子供は使いっぱしりでも、親の便利な道具でも、言うことだけを聞くロボットでもありません。


子供の『しごと』は親からの愛をめいっぱい受け取って遊んでたまには怒られてと色々な経験することが彼らの役割りです。

親は子供にできる限りのことをする。それは甘やかすということではありません。

親がするべき仕事こそが社会の最低限のルールを教えることであったり、家族の在り方、可能性や選択を見出してあげること等の他に実用的なことー 子供の面倒を見る、ご飯を作ったりなどの家事全般の諸々です。

本来親がやるべきことを子供にやらせてしまうと、子供は本当に進むべき道に進めなくなります。

それは親も同じです。

自分のやるべき『しごと』をしておらず、またその認識すらもできていないと、本人が望む現実には到底なりませんし、人生も上手く進みません。

学びが終わっていないので次の新しいステージには行けないからです。


そしたら、私がひとりで料理洗濯掃除などワンオペで全部やらなくちゃいけないのね!!という話ではありません。

まず、助けてもらうべき人・やらせるべき人は子供でないことを認識しましょう。
これがとっても大切です。

では誰に手伝ってもらうのか。

普段いない夫も立派な親であることを忘れていませんか?(場合によってはこのお母さまのように潜在意識下で夫を不在にさせているという状況を作っていることがありますが今回はその詳しいお話は割愛しますね)

もちろん本当に手が足りない状況であれば同じ親の立場である旦那さまに手伝ってというべきです。
それが実際に旦那さまにできるかどうかは別の話で、しかるべき人にまず伝えるということがとても大切なのです。


離婚して片親だから誰も頼める人がいない、という場合でも子供に頼ることは極力避けて頂きたいなと思います。

大人同士の助け合いはいいと思いますので、義両親やお隣のママ友など助けてくれそうな人には大いに頼んでみてください。
そんな風に言うと、友人やママ友には体裁があって頼めないとか、義両親にできない嫁と思われるのが嫌。などと変なプライドや見た目や評価が気になったりするのですよね。
でもその捉え方と思考がかなりずれています!ということなのです。


そんな理由で使われる子供はたまったものではないです。
いやいや、頼んでないのに子供が勝手にやってくれるので。というご家庭も要注意。結果それはやってもらっている=やらせているので同じことです。


エネルギー的にはその人が本来やるべきことを、違う人が行うことで自分のエネルギーと責任をその人に委ねてしまっている状態になります。

すると自分のエネルギーもなくなり、自分の軸も弱くなり、だんだんと依存になっていきます。依存になるとやってもらえるのが当たり前という意識に変わり、いつしか自分の役割というものを忘れていきます。


すると、『親離れできない子』、ではなく、『子離れできない親』ができあがります。

他にも友達のような関係で何でも話せるの~と一方的に思っている親御さんもたまにいらっしゃいます。親の立場を忘れて子供に何でも話してしまうことも子供にとってはかなりの負担です。それは子供本人も気付かないレベルでの精神的な負担なのでそれが積もりに積もってくるとお子さんの健康を害することもあるのです。

そして親は子供に色々なことを依存しながらも、親のふりをして子供の心配をするので、自分のエネルギーは減り、心配という重~いエネルギーを子供にのせて、子供も身動きがとれず、依存の関係が完全に成立します。

こうなるともう、抜け出したいけれどどちらも抜け出せなくなるという負の連鎖に陥ります。
そしてお互いにその事実にも気付いていないので抜け出す術もわかりません。

そんな風になる前に・・


いつもいいお母さんを演じる必要はありませんし、子供に嘘をつく必要は全くありませんが、自分の弱い部分は大人間で見せ合う。
子供が自立できるように、まず自分自身(親)が自立する。
→自立するとは自分を整えていくということです。

そうは言っても大人だってひとりの人間ですもの。自分が疲れているとき、やりたくないときはあって必然的に子供に手伝ってもらう状況もあると思います。

その時は、自分がやるべきことをやってもらっているのだというしっかりとした認識と自分の代わりにやってくれたことへの感謝の気持ちを持つことです。

子供は感謝されるともっとやってあげようとなりますから、これに甘えずにこれはお母さんの仕事だからね、と断る勇気を持つこと。

そして、自分の本来の役割に責任を持つこと、

それを子供にはやらせずに自分がやる。と決めること。

決めるというのは『腹を括る』ということです。

これができていないから強制的にやらされる現実へと導かれてしまいます。

ですが、本当にできない人のところへはできない現実はやってきません。

できる(乗り越えられる)からその現実がやってくるのです。

いつもやってくれているからそれが当たり前として任せるのと、自分が本来やるべきことをやってもらっているのだという意識からのお願いは現実の作り方が全く違ってきます。

一見すると同じ状況でも意識が全く違うので現れてくる現実、その先の展開が全く違ってくるのです。

この『意識の持ち方』と『覚悟』が全く違う現実を作ります。

日本での子育てはフランスに比べて大変だと思いますが、これからは実の子そうでない子関係なく子供を協力して育てる社会になっていきます。
各々が責任と精神的な自立をしていくことでこの形が加速していくと思っています。

今日は親の役割ばかりを書いてしまいましたが、
他にも様々な役割があると思います。

ちなみに役割は何かをしないといけないということではありません。
家族の中で引きこもっていて、全く働かずニートになっている人、
病気で一歩も動けない人も、それぞれの役割があり、その役割に沿ってそうなっているのかもしれません。

皆さんも一度、自分の役割って?日常で、家族の中で、会社で、学校で、、自分のやるべきことってなんだろう?と自分に聞いてみてくださいね。
何気なくやっていたこと・やっていなかったことを改めて考えてみることがとっても大切だと思っています。

それでは今日もよい1日を!Bonne journée !(=ボンジョルネ)

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