生産性の追求は正しいのか? 「無駄を省く」の見落としがちな視点とは
「最短距離で走ることは、見逃した景色に気づいていないということかも」
仕事の現場では「生産性」という言葉が飛び交います。時間は有限ですので、限られたリソースを何に割くのか。「戦略とは選択」ですので、より効果のあるものに、より効率よく取り組む。理想ですが、なかなか難しいことが多いですよね。
この「生産性」という言葉を考えた時、最近よく目にする「要約」というサービスもこの価値観が下支えしているように思います。先日、下記をnoteで書きました。
これを書いたのは巷にあふれる「要約サービス」に対してちょっと疑問を感じたからです。便利な一方で、なにか大切なことが欠落しているのではないかと。
今回は最短距離で走ることのマイナス面や、しらずしらず失いかけている大切な価値観について考えます。
「わかりやすさ」を追求しすぎる世の中
例えばyou tubeの書籍紹介動画。400ページある本を数分でまとめて紹介。中田敦彦さんのyou tube大学も人気ですよね。私も楽しく拝見しています。今、周りを見渡すとこうした「わかりやすさ」を追求する情報が増えているように思います。
これは「短時間で手際よく理解できる」ことに価値を感じやすい世の中と言えますね。そして、それは日常会話でも。「結論は?」などの言葉は仕事では頻出ワードですね。それをかっこよくコンクルージョンファーストと言ったりもします。
ニュースサイトもまとめ系の情報で埋め尽くされ、「◯分でわかる◇◇」なんてタイトルが乱立しています。
こうした「わかりやすさ」を追求しすぎる流れにはちょっと危険さを感じてしまいます。理由は「わかったつもりの人」を大量に作ってしまうから。
1分でわかる情報 = 1分で忘れてしまう情報
とも考えられますよね。効率よく手に入れたものは、効率よく手元から消えていくとも言えます。
アウトソーシングすることのマイナス面
要約サービス、まとめサービスを利用するということは、「全体像を理解した上で要点を絞る」という中間のプロセスを誰かに委ねているということですよね。
つまり、途中のプロセスをアウトソーシングし、結果だけを受け取っているという状態です。ビジネスでも、時間をお金で買うように、途中のプロセスを外注するケースは多いですよね。
人的リソースや時間のことを考えると非常に有効な選択肢な一方で、このアウトソーシングにはデメリットがあります。それは「委託した業務の経験が自社に貯まらない」ということ。その業務を経験する機会を失っているとも言えます。
何でもかんでもアウトソースしていると、いざその業務の応用をしたいと思った時に経験がないがゆえにうまく横展開できないケースもあります。
アウトソースするということは「経験する機会を失っている」というマイナスの面があることを分かっておきたいですね。これは本要約サービスを利用することにも同じことが言えるように思います。
ファストファッションとストーリー
「1分でわかる情報 = 1分で忘れてしまう情報」は何も情報だけに限った話ではありません。例えば衣服。最近は安価なファストファッションが増え、シーズンごとに買っては飽きたら手放すという消費スタイルが広がっていますね。
「流行っていそうな服」は一見おしゃれに見えるかもしれませんが、「おしゃれに見える」だけかも知れません。そこには造り手のこだわりや、それを自分で選択した理由(ストーリー)などが無いため、他の「おしゃれに見える服」が登場すると目移りして価値を失ってしまいます。
以前、モノを持つ価値について下記の記事を書きました。
この記事の中で「フランス人は10着しか服を持たない」という本を紹介していますが、上質なものを少しだけ持ち、日々を丁寧に暮らす生活が紹介されています。それはとても品があり、豊かな生活に感じられます。
そもそも「服を沢山持たない」という前提でいると、ものを手に入れる時にかなり吟味しますよね。そして、誰かからもらったもの、旅先で買ったもの、探しつづけてようやく手に入れたものなど、そこには他の服にはない独自のストーリーがあったりします。
そのストーリーの深さや重さが「愛着」に変わり、ひいては大切に長い間使い続けるという行為に繋がります。ネットで検索してポチった服は、短時間で愛せなくなる服なのかも知れません。
ストーリーが希薄する社会
「要約する」ということは、「無駄を削除して要点だけに絞る」ということ。一方で、「その無駄って本当に無駄ですか?」という気もします。
映画でも、結論(オチ)を先に言われることほどガッカリすることはないですよね。伏線に気づき、それを回収しながら見て、点と点がつながって壮大な物語に昇華していく。そのプロセスには「なるほど」がたくさんあって、実は無駄なんてないのかも知れません。
少なくとも創り手は「無駄」など無いと思って作っています。カメラが止まったように見える静止したシーンが30秒続いたとしても、主人公の悲しみの心情を描くために「必要な30秒」なのです。無駄じゃない。むしろ意味がある。
こうした「意味」に気づきにくい世の中になってきているのではないかと思います。要約した先に残るのは「わかったつもり」の気分だけ。でも、実際はそんなに簡単じゃないはずです。
たまに番組のインタビューで『あなたにとって、この仕事を一言で言うと?』とか聞いているシーンを見ますが、「オイオイ、そりゃ失礼だぞ」と思うわけです。そんな一言で語れるような仕事や人生じゃないでしょと。
そして、それを観た視聴者が「なるほど~」と関心してたとしたら、それもまた失礼な話なのです。
要約がもてはやされ、ショートカットが普通になった世の中は、その途中の一見無駄とも思える時間や労力を「無価値」と勘違いしやすい世の中と言えます。でも、実はそのプロセスにこそ価値があるというケースは多いです。
「人生」ということを考えると、「結果」には大した意味はありません。日々もがきながら生きるという「毎日というプロセス」そのものが「人生」ですし、そこに「意味」がある。このプロセスを大切にする目は失わずに持っていたいと思います。
まとめ
我々は日々とんでもない量の情報を浴びながら生活しています。小さな判断や意思決定を無数にこなしながら毎日生きています。そして、1日の時間は有限です。
その忙しさの中で、効率よく情報を得る、モノを得るということは避けて通れないことなのかも知れません。ゆえに「わかりやすさ」を追求してしまうのは否めません。
一方で、短時間で得たものは、短時間しか愛せなかったり、わかったつもりでも実はよく理解できていなかったりします。
「無駄を省こう」と考える時に、一度立ち止まって考えたいですね。
「本当にそれは無駄か?」と。
豊かな人生には「無駄」が必要です。というか、見方によっては無駄なことなど何もないのかも知れません。そう考えると、「生産性」を追求した要点集中型の社会は、豊かさから離れていっている社会なのかも知れません。
「わかりやすさ」を優先する超要約社会で、逆に価値があるのが「ストーリー」です。しかし、今はそのストーリーに気づきにくい世の中だったりします。だからこそ、意識的にプロセスに目を向ける、意味を拾う、無駄に価値を見出す。そんな視点を大切にしたいと思います。
結果や結論も大事ですが、プロセスを大切にする視点を忘れずにいたいですね。その意識が、心のゆとりや豊かさにつながっていくのではないかと思います。
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