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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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2022年7月の記事一覧

【270日目】:出雲守護

【270日目】:出雲守護

ご隠居からのメール:【出雲守護】

出雲には一度しか行ったことがないとのことだが、広い意味で高瀬も出雲の一部だと考えれば、何度も行っているよ。

米原正義『出雲尼子一族』によれば、出雲国の初代守護は佐々木義清だが、佐々木高綱とする説もある。いずれにしても、宇多天皇の流れをくむ佐々木源氏である。第五代の佐々木頼泰は現在の出雲市塩冶に大廻(おおさこ)城を築き、塩冶氏を称した。ここに至って、出雲守護は佐

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【269日目】:原点は出雲

【269日目】:原点は出雲

ご隠居からのメール:【原点は出雲】

個人的な都市伝説では大井町が原点だが、ファミリーヒストリーの原点は出雲かな。

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

これはスサノオノミコトが詠んだ和歌といわれている。われわれがスサノオのDNAを受け継いでいるかどうかはわからないが、吉野村や高瀬村で暮らしていたご先祖からのDNAを考えると、スサノオノミコトやオオクニヌシノミコトのDNAを

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【268日目】:原点は大井町

【268日目】:原点は大井町

ご隠居からのメール:【原点は大井町】

「息子へ紡ぐ物語」がはじまるきっかけになったのは、大井町だったが、昭和三十七年に上京し、しばらく入居していた会社の寮も大井町にあった。正確にいえば、JR大井町から徒歩十五本の立会川の社員寮だ。八畳の部屋に台所があって、二人の同僚とともに三人で暮らしていたが、炊事なんかするわけがない。それよりも大井競馬場の近くなので、せっせと競馬場に通った。

わい雑な場末の

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■【より道‐89】戦乱の世に至るまでの日本史_西の京「大内文化」

■【より道‐89】戦乱の世に至るまでの日本史_西の京「大内文化」

前回に続き、大内氏についてです。

■大内文化
1363年(貞治二年)大内弘世(ひろよ)が、二代将軍・足利義詮に謁見するため、上洛すると、京と長門と周防の地形が似ていることから長門と周防を「西の京」とすべく京風の市街整備を行うとともに文化人を招いたそうです。

その財源は、明朝との貿易や交流により、大陸の文化もとりいれながら、倭寇の取り締まりなどで、明や朝から多額の報酬を得ていたそうです。そのよう

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【267日目】:家族無用論

【267日目】:家族無用論

ご隠居からのメール:【家族無用論】

「人間の運の生涯数量」と「痩せ我慢の哲学」で思い出したのは、自分の息子が働いている結婚式場で自分の娘が結婚式をあげることが決まったときだ。

父親にとっては、まことに晴れがましい幸運な祝い事なので、つい口をすべらせてトオルさんに告げたら、「自分にはなんのかかわりのないことだ」と彼はポツリと言った。友人ではあっても、親戚づきあいはしていないから、その通りにはちが

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【266日目】:痩我慢の説

【266日目】:痩我慢の説

ご隠居からのメール:【Re_痩我慢の説】

「痩我慢の説」を書き残したのは福沢諭吉だが、生前は公表されず、死後になって原稿があかるみに出た。

内容は徳川幕府の高官でありながら明治維新政府のためにも働いた人物を批判したもので、勝海舟や榎本武揚が批判の的になる。渋沢栄一も対象になるが、もともと百姓出身で、しかも民間人だったから批判されなかったようだ。

旧友のように「足るを知る」「自分のさじ加減」を

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【265日目】: 運の生涯総量は等しい

【265日目】: 運の生涯総量は等しい

ご隠居からのメール:【運の生涯総量は等しい】

誰が言った言葉か覚えていないが、「人間の運の生涯総量は等しい」という説がある。運を数量ではかることはできないが、幸運はいつまでも続かないし、悪運もいつまでも続かない。禍福はあざなえる縄の如し。なぜかその説が正しいと信じている。

運は、仕事・恋愛・運気(ギャンブル)の三つだけのバランスできまるのではないと思う。もう一つ、運気をどのように認識し、解釈す

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■【より道‐88】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の外様大名_大内氏

■【より道‐88】戦乱の世に至るまでの日本史_室町幕府の外様大名_大内氏

我が家の「家系図」に長谷部左衛門尉元秀というご先祖様の隣に以下のようなことが、書かれています。

また萩藩閥閲録 には、長谷部丹後守宗連は「応仁の乱」で山名持豊に属し、その子種連は1511年(永正8年)船岡山で討死したという記録もあるようです。

そこで、「船岡山合戦」を調べてみると、1511年(永正8年)に将軍・足利義稙を擁立する、細川高国・大内義興と前将軍足利義澄を擁立する細川澄元との間でおき

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【264日目】結婚式の演出

【264日目】結婚式の演出

ご隠居からのメール:【結婚式の演出】

「結婚式の演出」はブライダル関係者が読んだら、結婚式のスタイルがこの二十年間で変化していった歴史をふりかえることができて、参考になると思う。しかし、創作大賞の審査員のこころをつかむためには、語順をもう一工夫したらどうだろう。

「結婚式の演出」で伝えられているのは、

・プロフィール映像
・墓参りの映像
・生まれてくる息子へ

このうち「映像」はありきたりの

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【263日目】起承転結

【263日目】起承転結

ご隠居からのメール:【起承転結】

それでは、365日目を「終点は浅草」というタイトルにしてエンディング候補とすることにしよう。

もちろん、その後も隠居がパソコン操作不能にならない限り、メールのやりとりは続けることにし、面白そうな話題があれば、365日のどこかに挿入すればよい。そうすることによって、全体の構成を見直しながら、起承転結のメリハリをつける工夫をするのだ。

365日の話題は、なるべく

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【262日目】終点は浅草

【262日目】終点は浅草

ご隠居からのメール:【終点は浅草】

昨日は十二月八日。日本がハワイの真珠湾を攻撃した開戦記念日だが、それよりも重要なのはお釈迦さまが悟りを開いた日で、浅草寺では成道会が催される。そこで、まず、国会図書館へ寄って、西村伝蔵『偲ひ草』のコピーをとった後、浅草寺にお詣りすることにした。

国会図書館の資料は著作権保護を重んじる観点から、コピー枚数に制限がかかっているが、「西村伝蔵偲ひ草 道のしるへ」は

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■【より道‐87】鶴亀杯みんなの川柳大会

■【より道‐87】鶴亀杯みんなの川柳大会

鶴亀杯の俳句、短歌に続き、今回は、鶴亀杯(川柳)に挑戦です。正直、いままで、俳句と川柳の違いがよくわからなかったので調べてみると、俳句も川柳も、元々は連歌の一部であり、連歌から独立して詠まれるようになったものとありました。

連歌といわれても、ますますよくわかりませんが、主な俳句と川柳の違いは季語や句を切るために必要な「や」「けり」「かな」といった「切れ字」を利用し「文語体」で「自然などの情景」を

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【261日目】鴻池家のファミリーヒストリー

【261日目】鴻池家のファミリーヒストリー

ご隠居からのメール:【鴻池家のファミリーヒストリー】

鴻池家のファミリーヒストリー小説は、次の本が浦安図書館にある。

● 名将山中鹿之助:南原幹雄(読了)
● 鴻池一族の野望:南原幹雄(リクエスト中)
● 月に捧ぐは清き酒:小前亮(リクエスト中)

noteでつい最近読んだ記事のなかでは、【より道‐28】人は死ねども刀は残る_白虎隊の脇差」が印象に残っている、語尾を「ですます調」にしたのは成功

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【260日目】: 商人の生き方

【260日目】: 商人の生き方

ご隠居からのメール:【 商人の生き方】

南原幹雄『名将山中鹿之助』のプロローグは、江戸時代中期の寛保三年、すなわち、八代将軍徳川吉宗の治下から筆を起こしている。

豪商鴻池は、諸藩の蔵元や掛谷をつとめて天下第一の富豪にのしあがったが、<商人に氏素性なし>と言われるように自分たちの先祖が山中鹿之助であることを世にはばかり、百数十年間秘匿し続けていた。四代宗貞が隠居して跡を五代の善右衛門に譲ったのを

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