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【265日目】: 運の生涯総量は等しい

ご隠居からのメール:【運の生涯総量は等しい】

誰が言った言葉か覚えていないが、「人間の運の生涯総量は等しい」という説がある。運を数量ではかることはできないが、幸運はいつまでも続かないし、悪運もいつまでも続かない。禍福はあざなえる縄の如し。なぜかその説が正しいと信じている。

運は、仕事・恋愛・運気(ギャンブル)の三つだけのバランスできまるのではないと思う。もう一つ、運気をどのように認識し、解釈するかという痩せがまんの哲学があるのではないか。たとえば、オレはうだつのあがらないサラリーマンで、さすらいのギャンブラー(高橋三千綱の同類)、そして、売れない作家で終わった。

対照的に運気の強そうな人物を一人だけあげさせてもらうと、日大の田中英寿前理事長かな。オレは相撲をとっても弱いが、観るのは好きで、彼が学生時代にアマチュア横綱になった時の決勝戦をテレビ観戦している。一年後輩の輪島はプロ大相撲の横綱になったから、田中も角界に入れば横綱になったかもしれない。しかし、おそらく横綱よりも日大理事長のほうが生涯所得は多いだろう。

家宅捜査の結果、二億円以上の隠し金が発見されたという。申告漏れの脱税容疑でほとんど税務署にとられそうだ。オレは昨日、全日本アマチュア相撲選手権をテレビで観戦し、日体大の中村泰輝が優勝するのを確認した。そんな暇人のご隠居のレベルにまでおちこむことはないだろうが、痩せがまんの哲学も考慮に入れると、「人間の運の生涯総量は等しい」という説が納得できると思う。


返信:【Re_運の生涯数量は等しい】

今回のも難しい話だね。「時代を超えた因果応報」にもつながる話しだと思うけど、「痩せ我慢の哲学」というのも、なんとなくわかる気もする。

先日、旧友と話しをしたとき、SNSの話になった。『「いいね」や「すき」「フォロワー」などは、承認欲求を満たすための仕組みで、世の中の人は、一生懸命生きている努力や頑張りに対して褒めてもらいたいんだ。』と話したら、

彼は、『だったらオレは満たされてるわ』と言っていた。「足るを知る」に近しい話のような気もするが、要は、幸せの定義は「自分のさじ加減」というところだろうか。昔から、よく旧友には、生き方の哲学というか、それこそ、ロクデナシの心意気を教えてもらっていた気がする。

それでも、仕事をせずに、生涯安心できる金を持っていて、毎日ゴルフをしている人を羨ましく思ってしまうが、その人は、仕事を通じて味わえる達成感や、それこそ、人に必要とされている。という価値観を得ることができないとか、そういう「禍福は糾える縄の如し」の考えがあるんだろうな。

それでも、一度しかない人生だから、我慢せずにやりたいことを自由にやりたいことがたくさんある。これを、未練というのだろうか。


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