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【269日目】:原点は出雲

ご隠居からのメール:【原点は出雲】

個人的な都市伝説では大井町が原点だが、ファミリーヒストリーの原点は出雲かな。

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

これはスサノオノミコトが詠んだ和歌といわれている。われわれがスサノオのDNAを受け継いでいるかどうかはわからないが、吉野村や高瀬村で暮らしていたご先祖からのDNAを考えると、スサノオノミコトやオオクニヌシノミコトのDNAを指数関数的に(?)受け継いでいるとみてよいと思う。

しかし、縄文時代に竪穴式住居でご先祖が暮らしていたかどうかはわからない。『出雲風土記』を読めば、古代のご先祖の生活の痕跡がわかるが、具体的な人物が活躍するイメージは中世からだろう。『平家物語』や『太平記』や『陰徳太平記』などの軍記を読めば、それが伝わってくる。

ところが、軍記物は第一次資料の情報としては使えないと言われる。「史実のほどは保証しかねる」と、注記する必要がありそうだ。もっと信頼できる史料を蒐集しゅうしゅうし、その史料を使って、実証的に分析・検討するべきだ。

そんな史料がどこにあるか。図書館で検索して見つけたのは、米原正義『出雲尼子一族』。著者の米原氏は、1923年、島根県に生まれ、2011年没、元國學院大學文学部教授だそうだ。尼子十旗の一つ、高瀬城の米原綱寛と同姓なので、もしかすると綱寛の子孫ではないかと推察されるが、そんなことは話題にもしていないところにも著者の人柄がわかる。

あとがきにおいて、米原氏は、(尼子一族に関しては)確実な史料の伝存しているものが以外に少なく、『佐々木文書』が唯一の根拠となっていると、述べている。『佐々木文書』? それを読みほどく気力はない。米原氏の『出雲尼子一族』を第一次資料として使わせていただくことにしよう。


返信:【Re_原点は出雲】

出雲には、人生で1度しか行ったことがない。しかも、結構な七難八苦が起きた思い出がある。あれは、たしか、2019年秋の事だったと思う。

仕事で島根に住んでいる方に会いに行くことになった。あの日は、朝六時に家をでて新横浜から岡山へ向かい、岡山からレンタカーを借りて島根に向かうことになった。急遽決まった出張だったので仕方がない。岡山から車で4時間程かかる長丁場だったが、ドライブは順調だった。

島根への道程は想像以上に田舎で、周りに山しかない。サービスエリアに寄っても、お店が空いていない。人もガラガラ。でも、空気が澄んでいるというか、外の空気を吸うと心地よい。なんだか、パワーを感じる。

夕方の18時過ぎだろうか。ナビをみると目的地まで5分ほどのところまで到着した。アポイント先にまもなく伺う旨を伝えるため、いちど、車を停めて電話をした。

しかし、ここから不可解な事件が起きた。ナビが山道を示しているのだ。「こんな山奥に住んでいるのかな」と疑いもせず、ゆっくりとナビの示す方に進む。辺りは真っ暗闇だ。たまにポツン、ポツンと家があるが、ナビは、まだまだ山の上を指している。

道がかなり狭くなってきたので、さすがにおかしいな。と思い、一度外にでてみると、これ以上、先に進めそうもない。携帯の電波も入っていない。平地に戻って電話したいところだが、登ってきた山道をバックで下らなければいけない。かなり危険だが、意を決してゆっくり、慎重に車を動かすことにした。

しばらくバックすると、先ほど通りかかった家が左後方に見えてきた。家の前には少し広めのスペースになっていたので、「あそこで方向転換させてもらえば、バックしないで進める」と考えた。

ゆっくり、ゆっくりバックする。広場に進むため左にハンドルをきると、「ドスン!」と信じられない音とともに車が急に動かなくなってしまった。頭がパニックになる。「何が起きたんだ!」と思い、外に出てみると、なんと、左側後ろのタイヤが坂道の脇に落ち、脱輪してるではないか。更にパニックになる。

とりあえず、アポイント先に事情を説明しようと思い、電話をする。現在の場所や経緯、脱輪してしまったことを正直にお話しすると、なんと、ジャッキをもって、いまから向かってきてくれるというのだ。申し訳ない。

続いて、目の前にある家の住人の方にお詫びとご挨拶をするため、家をノックした。60代くらいのおじさまが出てきた。「たまに脱輪する人がいるんだよ、これは無理だから、JAFを呼びな」と言われたので、すぐさま、携帯で調べてJAFに連絡をした。

続いて、会社に報告をする。状況を説明しなんとか理解してもらう。しばらくすると、前方から車のライトが見えてきた。アポイント先の方だろう。男性二名が降りてきたので、ご挨拶する。こちらは申し訳ない顔をするが、男性は、車から降りた瞬間に笑っていた。

男性二名はしばらく脱輪の状況を眺めて「これはジャッキではダメだね」と言った。JAFを呼んでいる旨を伝え、後ほど改めて伺う約束をした。まあ、事情は理解してもらえたので、少し安心した。

JAFが到着するまでは2時間程かかるという。車の中にいるのは危険なので、住人の方の家の玄関で待たせてもらうことになった。コーヒーまでだしてくれて、ちょこちょこ気にかけて声をかけてくれた。ありがたい。無事、JAFが到着し、30分ほど作業をしたら、車が動いた。

途中、車を誘導していたら、田んぼに落ちて鍵を無くすなどのトラブルはあったが、その困難も乗り越え、アポイント先に伺い、無事ミッションをクリアした。

散々な目にあったが、ひと安心だ。アポイント家から島根駅前のホテルまでは1時間ほどかかるが、残りの気力を振り絞って何とかチェックインすることができた。食事もほとんどとっていない。周りに店もなかったので、コンビニで弁当と翌朝のオニギリを買って、部屋に入る。着ていたスーツは田んぼに落ちたので泥だらけだ。着替えようとキャリーバックを開けようとしたら、なんと、鍵が開かない。

「嘘だろ、、、」なんと、鍵を家に忘れてしまったのだ。。最悪だ。自分は、ただただ重く開かないキャリーバックを東京から島根へ運ぶという、めちゃくちゃ無駄な行為をしてしまったのだ。さすがに笑うしかない。自分のアホさに呆れた。

着替えやアメニティを使うのは諦めるしかない。ただ、パソコンは、別のリュックにいれていたので、帰りの飛行機の予約はとれる。調べてみると、島根・東京間の飛行機は1日に数機しか運航していない。どれも予約でいっぱいだったがここで、奇跡が起こる。なんと、1機だけ予約がとることができるではないか。しかも、あと数席。すぐさま予約をとる。

心に余裕ができたので、せっかくだから、出雲大社に寄って帰ろうと思った。朝5時に起きて出発すれば間に合いそうだ。その日は、シャワーを浴びて、コンビニで買ったオニギリを冷蔵庫に入れて眠りについた。

朝、5時に起きる。冷蔵庫に入れていたオニギリがカチコチに凍ってしまうという、最後の不運が起きたが、そんな小さなことでは動じない。パンツを裏返しにはいて、出雲神社で無事に参拝し帰京した。

こんな、トラブルばかりの旅だったが、じぶんにとっての出雲の思い出はこんなところだ。こんどは、ゆっくり所縁の土地をめぐりたいよ。


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