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【266日目】:痩我慢の説
ご隠居からのメール:【Re_痩我慢の説】
「痩我慢の説」を書き残したのは福沢諭吉だが、生前は公表されず、死後になって原稿があかるみに出た。
内容は徳川幕府の高官でありながら明治維新政府のためにも働いた人物を批判したもので、勝海舟や榎本武揚が批判の的になる。渋沢栄一も対象になるが、もともと百姓出身で、しかも民間人だったから批判されなかったようだ。
旧友のように「足るを知る」「自分のさじ加減」を持っている人は、相対的に幸福の量が多いだろうなと思う。トオルさんの考え方にも似ている。
旧友に子どもはいないと思うが、子どもはいてもいなくても運の総量は等しい。
返信:【Re_痩我慢の説】
福沢諭吉「痩せ我慢の説」の概要を少し調べてみた。ある意味、「我に七難八苦を与えたまえ」と近しい考え方なのかな。江戸城無血開城をすすめた人間が、新政府で良い身分になって複数の妾まで囲ってけしからん。自らも身を潜めよ。と、いうところだろうか。
旧友は、偏差値70の高校に入学しながらも、わずか数ヶ月で退学した。理由は、朝起きるのが苦手で、電車に乗るのがめんどくさかったからだそうだ。18歳のときディズニーランドで働き出して1~2ヶ月後に20歳のじぶんがセンターストリート・コーヒーハウスに配属された。配属時期も近かったことで仲良くなり、一緒にシェアハウスに住むようになり、ギャンブルをやるようになった。
じぶんは専門学校を1か月で退学してから、ハングリータイガーや郵便局で働いたが、どちらもケンカをして辞めてしまった。その後、成人式に参加すると、同級生のみんなが、輝く未来にキラキラしている姿をみて、ひとり劣等感を抑えるのに精いっぱいだった。旧友はそんな孤独を救ってくれた一人だ。
じぶんは、文字を読むことが苦手だったし、あと先考えず行動してしまうけど、彼は、パチスロ必勝ガイドなどを熟読し攻略していた。じぶんは、その攻略法を教えてもらってパチスロを打っていた。いま考えると、パチスロだけじゃなく、生き方も教えてもらっていたんだな。たしかにやせ我慢というか、「自分が選んだんだ道なんだから仕方がない」とよく言われていた気がする。
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