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両親に対する今の私の本音 その1

去年、年末の”慌ただしい”雰囲気から半年近くが経ち・・・要約、心身疲労の快復が実感できてくるようになったので、難病と高齢の父と亡き母に向けて・・・そろそろ”私の本音”を少しずつ書いていこうと感じたのである。


「建築系職人一家の次男坊である自分の良いも悪いも反省というものがおおいにあるなあ~」
と、考えながら書いていこうと・・・



まず!始めは?

やっぱり・・・「不器用な両親」だったわ・・・


これが”悪い意味での両親に対する本音”である・・・

「まっすぐな性分」で、一生涯が終われる事は・・・? どこか・・・羨ましいねえ~


これが”良い意味での両親に対する本音”である・・・


”時代をつくってきた人達”ではあるのだが・・・


今となっては・・・
両親共々だったが・・・
”財産づくりが下手”だったわ!」
である!


財産を増やす努力・・・
やっぱり・・・
出来ていなかった・・・
(心の奥底では、妙な気持ちで、葛藤が・・・
勢いよ~く!きそうなので・・・
今のところは、ここで気持ちの本音を”文字化”
するのが、とても難しい・・・)
といったところが、本音の一つだろう。


父の緊急入院が”一つの人生における転機”だった事は
まちがいない事実だ。
早く逝くのは、父の方だと誰もが感じていた。

一体?どのくらいの時間を”家族の犠牲”
費やしてきてしまったか・・・
自分自身にも”自己反省”している毎日・・・

この原因・・・
私が実家を、既に何十年と!出ていって
普通ではない波瀾万丈過ぎる
先天性色覚と強近視の人生といった
つくられた差別とこの島社会特有の社会からの嫌がらせ行動”
に幼い時から苦しめられ・・・

物心ついた時から、家庭・親戚関係者による事への受難と多難
生活
にも、ヤキモキさせられ・・・


そんなところへ亡き母が、今から10年前に
父の難病を患った事を理由に挙げ・・・
次男坊である私に向かって

「あんたも、手伝って!」

という一言からだったと・・・


精神疾患に、今から約20年前からなってしまった
私の兄の事もある・・・

また、その時であっても
私が生まれる前から、高度経済成長期による”過労”で
同じように精神疾患となった
亡き母の実兄である叔父の事もあるからだろう・・・
まだ叔父は・・・
生きていたからなあ~

「一体?俺は・・・いくつ?難儀な事ばかり・・・抱えさせられる人生なのか・・・?」


今は、”一人になって過ごす自由な時間”
寝る前に
自己反省と瞑想の時間にして
自分自身の心の気持ち
少しずつ整理整頓してきているのである。

改めて自分の将来設計を見直す作業となっている毎日・・・


この事・・・
どこかでは、これから長生き?してしまいそうな
施設入りの父にかかる費用だけの話?だけではない。




それに付け加え、亡き母の遺産関係は、どうだったか?


経理や帳簿の事に詳しい兄からしてみれば!

「そんなもの両親共々・・・五十歩百歩だぞ・・・
大したものは・・・残していないなあ~
あ~あ・・・」

と・・・
大きくため息をついていたなあ~

いわゆる”自転車操業”・・・コツコツとお金を稼いでは預貯金と
少しばかりの資産運用をやっていたぐらいだったらしく・・・

”周りの人達全員が、非常に驚きを隠せないような途方もない財産”
(借金も含めて”財産”ですからね!世の中ってものは・・・)
な~んて!あるわけなかったのだから・・・
”無借金生活”になっている事は、とても大尊敬だったから)

それらを詳しく知った最近の私・・・

思えば・・・平成大不況期の時
『裸一貫』同然で、自己資金を出し
”赤の他人様ではあるが
信頼できる知人達”によって独立開業とした私は
今回の両親に対する想いを
兄に、こうつぶやいたもんだった・・・

「そんなもんか・・・兄貴・・・
どこかで、そんなものかと・・・
感づいていたよ・・・
とっくに・・・」

既に中高年入りしている私達兄弟であっても
今の両親達に対する想いというのは
どこかで”複雑な気持ち”が
良いも悪いも、本当にたくさんある!
しかも山のように・・・!

ここらで・・・
私個人の本音として!
両親に対する色々な想いを・・・

悪く言えば・・・
「チクショー!
馬鹿にしやがって!」
これが”悪い解釈”・・・

良く言えば・・・
「ウチらは、大した事、やってやれないまま
だったが、兄弟仲良く!助け合って生きていけ!」
という”良い解釈”・・・

そうやって、本当に、そう聞こえてきそうだわ・・・


下町(神社町寺町)生まれ育ちが”中途半端な住宅開発地域”(いわゆる”新興住宅村”)に、引っ越しても常に頭の中で考えていた幼い自分は・・・


両親に”将来を期待するような事”・・・
俺は、何もなかった気がする。

それが昭和時代のオイルショック期に生きる幼い鍵っ子
私だったもの・・・

一戸建ての店(自宅を兼ねた)、資材置き場、車庫、少しばかりの畑
(柊木の木や季節野菜などがあった)

そして・・・鍵っ子の私が寂しい毎日を過ごさないように
父は”安い値段であったらしい”?が
日本白色種のうさぎを買ってきたし・・・
なぜか?それ以前から
母や兄が、金魚や鯉、鮒などの魚類
ジュウシマツやインコなどの小鳥なども
飼う事に・・・

生まれて間もない頃の白うさぎだった。
残念だったが
メスの一羽が飼い始めて半年で亡くなってしまった。
でも、オスは下の写真ぐらいまで大きくなり
約12年と半年は、生きてくれたね。
このオスの白うさぎは、”メスのぶん”も生きていたと思うのね。
いつも”頼もしいうさぎ”だった。

実は、これらのペット・・・
うさぎ以外、実は、もらい物ばかりだった。
まだまだ当時、周りは、田畑ばかりだったし・・・
野良犬も、よく出くわした時代だったしねえ~


でも、このペット達や
畑で育ててきている草木花達は


み~んな!「家族」だったわ!

”家族”って?いったい?どういう団体なんだろう? 人という「基本的な団体」というものというものは?


若かりしき頃20歳前後まで・・・
そして30代であっても
どこかでは、この両親と
気持ちは、同じなのか?

専門職になるための学習を
バンド活動やアルバイトで苦学し
一生懸命になって!自分なりに
生きてきたよなあ~

そんな私は、人という生き物を
何十年とやってこられてきているが・・・
この”不器用な生き方”の両親から
改めて実感した
とても残念な事!

経済力は弱い・・・

”権力者達”には立ち向かえない・・・

など、色々な社会問題は家庭・・・
親戚関係や両親達から
既に、たくさんあったもんなあ~


“昭和時代からの多大な差別、虐待、不当な規制とその活動実態”色覚問題や強度近視などの事も含めた社会問題・・・


これらの「悪い社会的影響力」を!”私個人だけで戦うしかなかった人生!”だったから!


思えば・・・
色々なものを、全身全霊でこしらえる苦労と大変さ

明治時代生まれで”早死だった祖父母と、その兄弟”
そして、その子供であり”早死の兄弟姉妹”ばかりで
生まれ育った田舎育ちの両親から
徹底して味わってきているが・・・


そんな生き地獄からの苦労肌の両親に
私からは!

色々と!”求めなかった”!!だから!私は、たった一人で、その”社会的圧力”と戦ってきた!


そんな両親へ向けて!
改めて!言いたい事の台詞だ!

「あんた達のおかげで・・・俺は!10代が終わるまでに手術も含めて、何十カ所以上・・・心身共に傷があるだろう・・・?」


良いも悪いも気持ちが!

常に葛藤し続けてくる・・・


両親がいない実家へ向かうたびに・・・
そこから、いつも”込み上げてくる心の叫び”とは?


時代が、令和になってからも変わらない台詞しか出てこない! 「大人のいなくなった現代社会」だなあ~?? 1980年代に入ってから自覚する自分・・・ ”ウルトラスーパーハングリー精神”を持つ大人が非常に少ない社会・・・


そうなりたくもない!
自分が心に中に、そういった気持ちが
常にある事を実感するだけ!

嵩山少林武術と日本の古武術もする自分でもあるからして・・・


どこか愚痴ばかりになってしまった・・・


今回は、この辺りで・・・

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