「アンブシュアを指摘する指導者には要注意」についての詳しい解説( #今朝の一言_ラッパの吹き方 )
毎朝7:30にTwitter(現X)の荻原個人のアカウントと、Facebook「ラッパの吹き方」ページに掲載しております「 #今朝の一言_ラッパの吹き方 」。
先日こんなことを書きました。
それに対してコメントをいただきました。
ありがとうございます。
「 #今朝の一言_ラッパの吹き方 」は短文ですぐ読めるメリットがある一方で言葉足らずになることで結論に到達していない文章(実は数日に分けて書いていることが多い)や、誤解されてしまうリスクがあります。
今回いただいたコメントもやはりそうで、同じように思われていらっしゃる方が多いかもしれないと思ったので直接返信するのではなくこちらに掲載させていただきました。
アプローチの方向性と結果の見た目の差
例えば、プロ野球選手のバットの振り方やプロゴルファーのショットの動きを見ても、全員が完璧に同じ動きをしているわけではありません。何かひとつの見本を示して、それと全く同じ動きを再現することも不可能だと思いますし、その結果全員が同じ距離のバッティングやショットができるわけでもありません。スポーツだけでなくこれらはあらゆる行動について言えることです。蕎麦打ち職人も掃除機のかけかたも、歩き方も座り方も鼻のかみかたも、です。
これは人間の持つ体格差、具体的に言えば骨格、筋力、身長、体重、器官のサイズの違い、生活習慣、そして達成目的やイメージの違い、欲求のバランスの違いなど身体的、精神的、イメージすべての側面で画一的な設計をすることができないからです。
同じバットや同じゴルフクラブを持っていてもそのおおまかな目的(ボールを当てて飛ばす)が同じだったとしても、子どもと大人ではアプローチが変わって当然です。
したがって、トランペットを演奏する際の口周辺の動きや音を出している時のその場所の見た目に対して、良い悪いと指導者が言及することはできないし、そもそも必要がないどころか、指摘したことでその奏者のパフォーマンスが低下、下手すると音が出せなくなってしまう結果につながる危険性を持っているのです。
では指導者は何をしているのか
という疑問が出てくると思いますが、放置しているわけではありません。もっと根底にある音の出る原理を正しく理解してもらうことと、その原理を発動するためのアプローチを解説し、実践してもらうことが指導者の役割です。これに関しては注意深く伝え、確認する必要があります。
なぜ音が発生するのか、そうした原理面はフィジカルの差とは関係なく持っているべきことですし、それを発動するための方向性や加減というのは指導者が観察しながら微調整していく必要があると考えます。
しかし音楽のフィジカル面に関するレッスンは、少々乱暴な言い方に聞こえるかもしれませんが、「結果が良ければ(その人にとって)それが正解」の部分が結構多くて、指導者が1から10まで型を叩き込むようなことをすべきではないし、結果が良いのに(指導者の勝手なイメージで)見た目が良くないと思っても(原則的には)言及すべきではないのです。それは先ほど解説した通りです。
また、「方向性が正しい」のと「クオリティが高い」のは同時に到達する結果ではありません。方向性が正しいからと言っていきなり何でもできるわけではなく、クオリティアップはその次のステージの目標です。この「方向性は良いので、このまま実践を続けていればクオリティがアップしていくに違いない」と判断する力も指導者の実力です。すべての結果をすぐに出させようとするせっかちな指導は良くありません。
どんな時にアンブシュアについて言及するのか
スバリ、アンブシュアを作ろうと意識している奏者に対して「その必要はありません」と伝える時です。
そうした何かの見本をイメージして自分の身体的特徴を無視して意識的に何かの型にはめ込もうとしても良い結果にはなりません。YouTubeなどの動画を沢山見て、憧れの奏者のマネをしようとしたり、アンブシュアに言及しすぎている謎のトランペットの奏法解説動画を参考にすると、正解に辿り着けないダンジョン攻略がスタートします(攻略不可)。
なぜ攻略不可なのか。それは、正解は自分の中にしかないからです。
また、これが最も問題なのですが、指導者が「その吹き方では上達しない」などと現時点でのアンブシュアを否定し、強制的に作り替えさせる無知な指導者のせいでパニックになっている方が未だ結構いらっしゃいます。
ハッキリ言わせてもらいますが、いきなりアンブシュアについて言及する指導者は何もわかってないので無視したほうが良いです。
この点については最近レッスンで実際に起きたことがあるので後日記事にします。
という感じなので、今回僕にしては珍しく「アンブシュア」という単語を連発しましたが、レッスンでは誤解を招くことばかりなので意図的には使いません。そもそもアンブシュアなんていうのは「吹いている時のその人の見た目」でしかないので、考える必要すらないのです。ましてや鏡を見て自分の皮膚や筋肉の状況を見たところで何も答えなど見つかりませんので、とにかく気にしないことが一番です。
荻原明(おぎわらあきら)