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SIGMA fp

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SIGMA fpで撮った写真を載せてます
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くじゅう連山で写真登山 中判フィルムカメラとFoveonと超広角、そしてビール

くじゅう連山で写真登山 中判フィルムカメラとFoveonと超広角、そしてビール

1日目:長者原→法華院温泉→大船山→小屋泊
2日目:法華院温泉→すがもり越→久住分かれ→久住山→すがもり越→長者原

写真登山ってなんでしょう?
それは写真がメインの登山。撮影登山とかの方が良さそうだが、写真登山の方がニュアンスが軽いのでそちらが合っていると思う。
ガチガチの山岳写真を撮るんや!という意気込みはなく、かといってただひたすら登山がしたいというわけでもない。
山嶺をバックに星空を撮った

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標準と超広角レンズで撮る桜

標準と超広角レンズで撮る桜

PENTAX 645D
smc PENTAX-D FA645 55mmF2.8AL[IF] SDM AW
SIGMA fp
SIGMA 20mm F2 DG DN | Contemporary

PENTAX645Dはいわゆる中判デジタルカメラなので、レンズは換算43.5mm。
SIGMAは20mmの超広角レンズ。
全くタイプの違うカメラかつぜんぜん違う画角のレンズで桜を撮り比べ。

PENTAX

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ぶらりおっさん写真旅+酒 『長門湯本温泉』

ぶらりおっさん写真旅+酒 『長門湯本温泉』

おっさんがカメラ片手に温泉と酒を求めての一人旅。
今回は山口県長門市にあります長門湯本温泉。
おっさんは日々疲弊している。それはブルシットジョブと晩酌による肝臓疲労とシンプルに老化によるものである。
おっさんの疲れを癒やすもの、それは一人の時間、そして温泉と酒と趣味しかない。
おっさんはこれでしか癒せないのである。かのウィトゲンシュタインが言ったとか言わないとか。
故におっさんは、愛する家族を置い

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写真の中の時間の写真

写真の中の時間の写真

写真というのは、時間を写すものである。
そこにあった景観を、カメラの技術的・時間的制約のもと、一枚の写真に押し込める。

シャッタースピードを操作することで、人間の目では追いきれない「速い時間」や、人間の目という機構では再現できない「遅い時間」をメディア化することができる。

有名な話であるが、馬が疾走する姿を連続写真で撮影したことにより、初めて走る馬の脚の位置関係がわかったという。だから近代以前

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SIGMA fp 動画と写真の狭間で

SIGMA fp 動画と写真の狭間で

SIGMA fpといえば、動画と写真をいわゆるシームレスに行き来できる、しかも手に収まるサイズで、というカメラであると思われていよう。
左様、まさしくfpはビデオでもカメラでもない、だがビデオでありカメラでもある、しかしスマホのように合理的配慮は持たず、それでいて世界と身体の関係性を繋ぐ道具ではある。

時間、それは流れ、止まり、逆行したり、幻覚だったり、機械的で、法的拘束力もあれば、胡蝶の夢だっ

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出雲大社に初詣と見せかけてただ写真を撮りに来た異邦人

出雲大社に初詣と見せかけてただ写真を撮りに来た異邦人

クリスマスツリーを片付けて紅白歌合戦を見たあとに神社で深々とお辞儀するのが日本人である。
かくいう僕も日本人なのだが、子供の頃から初詣という儀式にほぼ参加したことがない。
無神論でも、宗教はアヘンな共産主義者でもなく、我が一族は基本的に家から出たくないのであった。
人混みがこの世の何よりも嫌いなのが遺伝的アルゴリズムによって決められているらしく、ド田舎に生まれたからという環境的要因だけなわけでは無

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SIGMA fpを買って3年経ったのでレビュー「いつも傍らには君がいる」

SIGMA fpを買って3年経ったのでレビュー「いつも傍らには君がいる」

SIGMA fpを迎えて3年目の今年、それでもfpへの愛は深まるばかり。
というか、黒澤明でいう橋本忍、深作欣二でいう菅原文太、天山広吉でいう小島聡のような関係になったと思う。
fpのコンセプトが「あなた色に染めて」であるという確信に至ったのはつい最近であり、昭和の演歌の謳う悲哀の先にある真実の愛、これぞfpなのである。
冬の日本海、遠い想い人を慕う明け方のスナックのママの涙、これぞfpなのである

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四国写真旅〜③善通寺と四国水族館

四国写真旅〜③善通寺と四国水族館

前回の記事で金毘羅さん詣でを終えたけども、観光消費的焦燥により善通寺に向かうところの僕。いわゆる続きである。

Wikipedia様曰く、807年に真言宗開祖空海の父である佐伯田公を開基として創建された立派なお寺。
だだっ広い境内、金毘羅よりも観光客少なめ、若者も少なめ、久しぶりの静かな巨大寺院。
巨大寺院・・・大好物である。
西本願寺とか最高、ミャンマーのクレイジー金ピカ寺院なんかみんな裸足で寝

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紅葉を撮りにPENTAX 645DとSIGMA fp携えて〜「撮らされる写真」

紅葉を撮りにPENTAX 645DとSIGMA fp携えて〜「撮らされる写真」

紅葉を撮りに行こうよう、桜や紅葉は以前書いた通り「撮らされる写真」であり、正直好きではない。
なぜならあるシーズンしか機会がなく、しかし毎年恒例であり、歴史的文化的価値を含み、そして大挙して人々が押し寄せ大量の写真データで埋め尽くされる景観、それが「撮らされる写真」である。
だがしかししかし、運よく撮れた平日有給、これは行かずにはおれないのが写真趣味者の哀しき性。気づけば島根県出雲市は鰐淵寺に舞い

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四国写真旅〜②うどん県と金比羅山

四国写真旅〜②うどん県と金比羅山

前回に続いて、四国の旅。
道後温泉とビール、そしてじゃこ天というお決まり道後堪能セットにより少々布団から離れられない朝7時、しかしうどん県が俺を呼んでいる。

うどん県の朝は早いのである。
俺の肝臓、もってくれ〜と言わんばかりに、中央構造線に沿った高速道路をぶっ飛ばす。
松山から善通寺までは、ひたすら真っすぐな道を走る。
グーグルマップでも分かる通り、中央構造線が東西に走る四国北部の道はまるで天然

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四国写真旅〜①しまなみ海道と松山城

四国写真旅〜①しまなみ海道と松山城

久しぶりの旅である。
旅、ブルシット資本主義社会に適応できないブルシットマンな僕は、旅という劇薬をたまに接種することで正気を保ちながら日々労働に勤しんでいる。
そもそも、「働く」という時間的空間的強制が我慢ならないのは自我が芽生えたその時から始まっている。
なのでノマドワーカーや経営者などはさらに苦痛なのは言うまでもない。
それは強制に対する天邪鬼的適合であるからだ。
故に甘んじてサラリーマンとし

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広島ストリートスナップ

広島ストリートスナップ

広島市をストリートスナップ。
ストリートスナップといえばモノクロ、ロバート・フランク的なビートニクな写真を撮る、そう気分はジャック・ケルアックの「路上」の世界。
なんせせっかくの有給を使って町中に出てきたんだから、時給換算くらいには満喫しなくてわ。
そんな竹中平蔵的資本主義経済脳にて広島市の真ん中に佇む。
いかんいかん、もっと写真はアナーキーじゃないと。

やはり原爆ドームは外せない。
市民球場が

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猛暑で写真が撮れません

猛暑で写真が撮れません

世界的記録的猛暑により確信犯的に写真を撮る気が起きない。
ケツメイシの名曲「夏の思い出」は猛暑が当たり前になった昨今ではノスタルジーな三丁目の夕日となってしまった。
なんせ暑い。常時35℃の低体温な人間がまとまりついているようなうだるような暑さ。
夏休みは外で遊べといわれていた子どもたちですら、シンプルに生命維持のため屋内で過ごすのが当たり前な夏、そう酷暑。
おじさんが子供の頃は一日中外で遊んでい

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どこからどこまでが花火?と写真の関係

どこからどこまでが花火?と写真の関係

久しぶりの花火大会。
35mmのライカのオールドレンズを引っ提げ、生まれて初めての大音響と心臓が歪む衝撃により「帰りたい」を連呼する我が子を尻目に、そして花火を見たい気持ちが勝り適当にシャッターボタンを押す自らに問う。

花火はいつからが花火なのか?
花火はヒューッと上がってドカンと一発、火の粉は数学的挙動を空にて示し、人々はこの自然を彩る放物線と非現実的な音により夏を感じる。
夏とは体感するもの

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