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四国写真旅〜①しまなみ海道と松山城

久しぶりの旅である。
旅、ブルシット資本主義社会に適応できないブルシットマンな僕は、旅という劇薬をたまに接種することで正気を保ちながら日々労働に勤しんでいる。
そもそも、「働く」という時間的空間的強制が我慢ならないのは自我が芽生えたその時から始まっている。
なのでノマドワーカーや経営者などはさらに苦痛なのは言うまでもない。
それは強制に対する天邪鬼的適合であるからだ。
故に甘んじてサラリーマンとしてお給金を喰みながら生きながらえている。
若き頃、世界をバックパッカーとして駆け巡っていた頃の、あの責任もクソもない日本国パスポートとクレジットカードだけが取り柄の自由な僕からは想像もできない日々。
しかし、だからこそ写真は撮れるのである。
単なる記録でもない実存的、あまりに実存的な旅の虚像を、現実から反射する僥倖を、そう僕は四国へと旅立った。
なんせ、温泉に浸かり、酒を浴び、うどんを啜りに啜りたいからである!!!!


しまなみ海道

camera1:Leica M Monochrom(typ246)
Lenz:Leica summilux-M 35mm f1.4 2nd
camera2:SIGMA fp
Lenz:SIGMA 45mm f2.8 dg dn
この2台は旅カメラとして僕の傍らに寄り添っている。
ショルダーバッグに仲良く収まる軽量で個性的な2台で四国へ。
しまなみ海道を渡る。四国という島へ渡るために、瀬戸内海の島を数珠繫ぎに渡っていくのである。
こうして島を巡る旅では、いつもイザナギ&イザナミ夫婦ありがとね!と思うのである。
そういえば本州も島ではないか。
島マウントをしてしまうところであった。昨今、いろいろうるさいからね。


本州の超過疎地域の希少種「山陰ホモ・サピエンスの子供」である我が娘は四国から故郷を眺める。100円を要す。故郷を眺めるだけでも100円は必要なのである。
ふるさとは遠きにありて思ふもの、しかし100円でちょっと寄れる。
端から端まで橋から橋、しまなみ海道という巨大建造物で繋がれた瀬戸内海の島々、これでは村上水軍も商売上がったりである。


松山城ロープウェイ

四国に上陸したのでとりあえず湯築城へ、いや松山城へ(ちなみに湯築城跡はあった)
青春を信長の野望に捧げてきた僕は、日本の地図を脳内に浮かべると信長の野望ワールドに変換されてしまう。
毛利で初めたらやっぱり四国攻めは湯築城からだね。
気分は小早川隆景だが、今治から松山まではなぜか高速道路ではなく、国道317号という山の中を指し示すナビ。
え?高速降りるの?
ひたすら山の行軍を終え、たどり着いたのは愛媛県松山市、本日のお宿は道後温泉である。
しかし、その前に松山城へ。温泉とビールの前に運動をするのは我が家の家訓である。
城攻めである。すべては温泉のため、そして湯上がりのビールのため。


もちろんロープウェイなど使うわけがない。
娘よ!これは戦じゃ!一番槍で家名を上げよ!
あとでソフトクリームを買ってやると言われ猛将と化した娘は、森長可さながらの果敢な突撃、父は誇らしいぞ!


JAPANの城の楽しみ方は、地図など見ずにひたすら功名が辻、天守目指して駆け巡ることである。
さすれば屹立する武者返しの石垣、石兵八陣のような縄張り、そしてありとあらゆる角度から降り注ぐ殺意の視線を全身で浴びることだ。
城とは合理的に敵を殲滅するために建てられた殺人装置であり、決してゆるキャラの看板と写真を撮ったりする場所ではないのである。
なんて蘊蓄をタレてもガン無視の娘よ!虎口には気をつけなはれや!


首級よりソフトクリームを求めて走る娘。
首級よりシャッターチャンスを求めて走る父。
首級より早く休みたい母。
平和です。

やっと天守閣

広大な本丸広場、天守閣を望みながら過ごせる憩いの場となっている。
殺人装置から市民憩いの場へ、往時の政庁から土産物屋とゆるキャラの看板の屹立する和やかな空間へ。
城の観光の楽しさとは、往時には立ち入ることすら許されない最重要機密の防衛施設&藩の最高権力者と官僚組織の最後の砦であった場へ土足で踏み入ることであろう。
おそらくド田舎の百姓であった僕のご先祖様へ、あなたの子孫は他藩の殿様のおわす城へ平服で観光できるくらい立派になりましたよ。
天守観覧券 大人520円也


連立式天守、この中に入ったらもう四方八方から四面楚歌祭り!
こりゃあ最低でも装甲車ほしいな。虞や虞や 汝を奈何せん。
ああ、まさに神聖不可侵の城の中へ、快感である。
なんせ往時は国家機密、ゴリゴリの階級社会のトップオブトップしか入れなかった不可侵の間である。
観光とは即ち、往時を忍ばずにガツガツと神聖不可侵を大衆可侵するのである。
経済合理性で観光地とされた往時の神聖を、わずかな入場料で踏みにじる快感、おおニーチェが発狂するのも無理もない。
そんな近代に感謝しつつ、令和の小市民かく語りき。


絶景かな絶景かな、これぞ権力の生んだ景色である。
マイケル・サンデルの逆張り的視点を持ってしても、政治や運を超えた情景への圧倒的平伏感、まさに第二の自然の脅威となれり。
観光客は土地に染み付いた歴史を消費し、そこにあったであろう悲喜こもごもは写真という記録には写らない。
貴重な休日、労働の対価としての観光、消費される時間、交換される滅菌処理された記録、ああビール飲みたい。


モノクロしか撮れない変態カメラ、ライカMモノクロームは、家族旅行には最悪だが、城との相性は良い。
石垣の照りや陰影を写すのが白眉であるのは、欧州の石畳や石造りの教会を意識しているからに違いないというのは電子機器に何の知識もない東洋の小市民の戯言ではあるが、しかしこの西洋生まれのカメラは陰翳礼讃でありどこか日本的な節度を噛み締めている感がある。
モノクロしか撮れないのだから陰翳礼讃せざるを得ないと言われればそれまでだが、ゴシック様式のゴリゴリのコントラストよりも山水画の柔和な自然美の描写に長けていると思うのである。
そして、家族には大不評である。
令和育ちのYou Tubeの背中で育った我が娘からすれば、カラーでなければ記録するに値しないらしい。
最近の子供は陰翳礼讃より情報量、質より量なのだ。
うっすらとした甘みをナメナメして探る渦中を愛でる自然な甘さよりも、USAなドロッドロテッカテカギットギトの極甘ドーナツが良いのである。


道後温泉

道後温泉は人生二回目である。
あれは就職してすぐ、学生時代の友人と訪れた時以来である。
社会人になると忙しさのために自由な時間は逼迫するが、学生時代にはない安定的な経済的恩恵がある。
このトレードオフに就職して三ヶ月で頭を悩ませた僕は、FX取引に身を乗り出し架空シミュレーション体験をちょっとしただけで架空有り金半分吹っ飛ぶというあり得ない自己の経済運動神経を知り、一瞬で投資という世界から足を洗ったのはいうまでもない。そのあとマルクスの入門本買ったなあ〜
しかし、経済的恩恵で学生時代にはない優雅な(といっても宿は素泊まり三八〇〇円だったが)旅をしたのだ。ビールをしこたま飲んだ。
そして家族旅行、今回はホテルを少々豪華にしたが、晩飯と酒はもちろん繁華街である。
宿の料理はもちろんうまいが、我が家族の嗜好(質より量、もちろん酒の)から鑑みるにすこぶるコストパフォマンスは悪い。
野菜を職人的美的センスで切り刻むアートに払う金があれば生ビールに変換するのが悲しいかな我が家の道徳的選択なのだ。
繁華街の居酒屋で、観光客向けの地元の名物料理と安い生ビールと地酒を舐めればもう満足なのである。
娘はお子様ランチ的やっつけ仕事料理があれば一切文句を言わない礼儀をわきまえた子なので、近江商人も納得の三方良しなのである。


そして宿で飲むビールが一番うまいよね。
酒飲んで温泉入って酒飲んで温泉入って・・・肝臓以外は整いました。
なんせ今回は内風呂にしたのである。
普通の室内浴室なのだが、温泉が引けるのだ。
だから歴史ある道後温泉の湯に浸かりながらビールが飲めるのだ。
こんな贅沢あるだろうか?
おそらく地獄行き決定であろう。
しかし、ここは道後温泉。
前借りの天国も偶には良いではないか。

〜つづく


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