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四国写真旅〜②うどん県と金比羅山

前回に続いて、四国の旅。
道後温泉とビール、そしてじゃこ天というお決まり道後堪能セットにより少々布団から離れられない朝7時、しかしうどん県が俺を呼んでいる。


名残惜しき道後温泉

うどん県の朝は早いのである。
俺の肝臓、もってくれ〜と言わんばかりに、中央構造線に沿った高速道路をぶっ飛ばす。
松山から善通寺までは、ひたすら真っすぐな道を走る。
グーグルマップでも分かる通り、中央構造線が東西に走る四国北部の道はまるで天然のアウトバーンのようだ。
切り立った山々の直ぐ側には海、そりゃあ水不足にもなるだろうがうどん県はうどんを茹で続ける。
ため池だらけの香川県はこの地形の影響で大きな河川がなく、故に水田農業に適さず、そして麦が作られうどんがうまいのである。
我が故郷の山陰は、山と山の隙間に人々が犇めき合い、洪水や台風や大雪に怯えつつも、水は腐るほどあるという正反対の地形。
山陰人からすると、うどんと平野と気持ちの良い晴れの日が羨ましいのである。


山下うどん

朝から空腹のまま走り続けてやっとたどり着いた山下うどん。
名店だけあって混みあっているが、朝早いのとデンプシーロール並みの回転率のお陰でさほど待つこともなくご対面。
イギリス人がドン引きするレベルの味覚を持ち合わせる僕でも衝撃が走ったうどん県のうどん。

あれは初めての四国上陸に際し、友人が「せっかくだからうどんを食ろうてみよふ」と不躾に言った。
余は「うどんなど、どこで食ろうても同じではあるまいか」と言いながらも、渋々製麺所に面した古びた小屋で簡素なうどんを食うた。
刹那、余の脳漿には未だ見たことなき亜墨利加の広大な小麦畑が生ぜしめ、自らの誤りを恥じた。
「めっちゃうまいやん!」と。

優しいコシと出汁、そして脳を貫く小麦の甘味、スーパーの冷凍うどんが小麦を挽いて練り上げた何かへとクラスチェンジしかねない恐ろしい旨さ。
山下うどんはコシがすんごい。マクドナルドのポテトが大好物な娘ですら、コシに滅気ずに食らいついている。
恐ろしきかなうどん県。


腹ごしらえも済み、金比羅山へと参る。
旺盛な駐車場客引きを避けながら進むと、えらい遠くの駐車場に落ち着いた。
遠いだけに安い。神の恩恵もさぞ遠かろう。
そして露骨ないかがわしいお店のすぐ近くということもあって、「今どきこんなオープンなのね」と独り言を言わざるを得ない道中であった。


なぜ人は神聖な地が遠ければ遠いほど、労ければ労ほどに御利益が享受できるとありがたがるのであろう?
世界中の聖地も、なんちゅうところにあるんやという場所に鎮座しありがたがれている。
自然への憧憬、巨岩や深山、絶島に神森、壮大であればあるほど、人心の達することのできない圧倒的な暴力としての自然、そこに信心が湧くのであろうか。
天変地異と山だらけの島国において、まさしくベストな立地を持つ金比羅山。
無限回廊と化した階段地獄、両脇には甘い誘惑、そして不要不急過ぎる謎のアイテムを売る土産屋。
アングロサクソンらしき御婦人がスマホに話しかけると、スマホは丁寧に大和民族の土産物屋のおばあちゃんが理解できる日本語で語りかける。
どうやら招き猫の由来を聞いているようだ。
神とはなんぞや!


現代の神はまさしくスティーブ・ジョブズであろう。
流暢な日本語を話すiPhoneと話すおばあちゃんを見ながら、季節外れに蒸し暑い階段を登りつつ思いに耽る。
御利益が惹きつける魔力に上下する人間の絶え間ない行列。
膝が痛いと唸るふっくらとした奥様を無言で見つめる夫を抜き去る韓国のおばちゃん軍団に構わずわんちゃんの写真を撮るのに熱心な少々派手なファッションに身を包んだ年齢不詳の女性。
これこそが八百万の神であろう。まさしくカオス。


10月末にしてこの気温、日差し、湿気、八百万の神も参ってそうな異常気象。
季節外れのソフトクリームが飛ぶように売れ、アパレル業界は秋服が売れなくて困っているらしい。
おせちの予約は始まった。ランドセルは売り切れだ。
円安でカメラは値上がりし、中古のカメラは国境を超え二度と帰って来ない旅路へ。
当たり前は当たり前ではなく、当たり前は幻想であったことに気づいた頃には新しい当たり前が当たり前に存在している。
どうでも良いけどベーシック・インカムはまだでしょうか?
それだけで暮らしてみせる気満々のマトリックスで青い薬を喜んで飲む私はクズ市民です。


思えば遠くへ来たもんだと思っていたけどまだ半分。
モノクロームの美しいグラデーションとは裏腹に、けっこうしんどいお年頃。
観光客の意地の見せ所、諦めて帰ろうかと励まし合っている御婦人たちを尻目に、ソフトクリームを食っておけばよかったと少しの後悔。


疲労により脳が無駄な思考をコストカットし始めたくらいからが、良い写真を撮れるモードになる。
写真はどうでも良いくらいの気持ちで撮る方が良い。
惰性で撮る観光写真こそ、本質的な写真の有用性なのだ。
植物図鑑のような観光客の目線、それは土産物屋のポストカードが物語る観光地征服の証でしかない。
有名な観光地を征服したという証は、昭和のサラリーマンには戦国時代の首級くらいの価値が有ったであろう。じいちゃん宅には謎の観光地提灯が飾ってあったっけ。
観光という消費は、資本主義経済の歯車を回す最高の潤滑油であった。
かのスターリンでさえ保養地を用意したくらいであるからして、逆説的に法律的に自由とされている人間を特定の場所に縛り付けて働かせるというやんわりとしかし厳しい強制が如何に非人間的生活であるかの証左であろう。
我々現代人は自由である。だが自由であるという証明は、移動をせずブルシットジョブに盲従する社畜生活を耐えることと同意であるのだ。
では本当の自由を得れば良いじゃないか?そこはプライスレス。
自己責任というコスパの悪そうな不安は幼き頃から啓蒙されており、ならばと耐え忍び束の間の観光で自由を謳歌しているという虚像をアイデンティティーになすりつけるのである。
カメラはそこに不可欠な道具なのだ。


これ以上ない観光的体験。
有給使って布団まで敷いてくれる旅館に泊まって酒とうどんに豪華な食事、まさしく現代のポトラッチ(北アメリカ太平洋岸のインディアン社会に広くみられる威信と名誉をかけた贈答慣行)である。
それは自分へのポトラッチ。
観光浪費こそ現代人の生きている感覚であり、これぞ規定された豊かさであり、それ以上も以下も認めない冷徹なマキャベリズムの発露なのだ。
ふふふ、だからこそ史上最強クラスの不要不急カメラであるライカMモノクロームで観光地を撮る僕は時代の最先端にいるはずだ。ふふふ。
おそらく500年後くらいの文化人類学の一般書の片隅で、2020年代のポトラッチ的行為として珍重されているに違いない。
「この近中世人の奇特な行動は、先天的怠慢より生じる労働忌避のためにアイデンティティを消失し、その不安への逃避としてのポトラッチ的消費行動により、自らを確信犯的に奇特とすることで本質的問題から目を背けるという一種の幼児退行である」


あの坂の上に本宮が・・・天気晴朗なれども膝痛し。
ちょっとまて ここは香川だ 関係ない


金刀比羅宮

やっと着いたよ、おっかさん。
来た道を思うと落下傘で帰りたいが、きっと死んじまう。
ここまで歩かせるわけだから、さすがの無神論者の僕でもやたら神々しく見えてしまう。あ、逆光でしたわ。
行き交う人々、賽銭が舞い、願いが投げ込まれる。
ここまで歩いてきたんだから効かないわけがない。
ちょっと標高も高いし、血糖値低下による脳の脱力、普段は口にできない願い事をしたっていいじゃないか。
「ベーシック・インカム始まりますように。死ぬまで図書館で本読んで、たまに写真撮って、もっとたまに旅行して、あとは発泡酒あれば文句言いません。ああ、神よ」
働きたくないでござる!


嗚呼、讃岐富士

逆光の神々しさも現世御利益よろしくプリンセス天功。
世界一周旅行でほぼ1年ふらついていたおかげで脳に決定的な楔が打ち込まれている僕、バックパッカー症候群である。
バックパッカー経験がある人間がルーチンワークと定住生活による何の変哲もない日常の最中にふと旅の楽しさがフラッシュバックして仕事が手につかなくなる贅沢病。
旅、それは移動し続ける肉体を追いかけてくる認知的不協和に喜々とする精神、そして落ち着きのない自己の存在は雲散霧消し、世界と同一になる。
多様過ぎる世界を体感すれば、善き諦めの境地に至る。
世界はほっといても世界なのだ。
そう、うどんが食いたいと!


ただの絶景が撮りたい彼女が、あの雲を撮っていると願いたい。
世界は恣意的である。だからこそ面白いのだ。


重力に身を任せつつ、膝に全幅の信頼をおけないお年頃ながら、乙事主様のように駆け下りる。戦士たち!シシ神(ビールと温泉)の元へ行こう!
今まさに登り苦しむ人々の苦悶の表情を伺うと、すでに経験し超えてきた僕に去来する優越感、これが老害なのか?
老害とは経験値だけで優越感に浸り、マウントポジションから鉄槌を下す勝手にグレイシー一族。
ただ時間的な先行者利益を勝手に利益と確定することで、極端な二項対立へと世界を魔改造する、それが老害なのか!!!!
いかんいかん、危うく老害になってしまうところであったわい。
しかし、このくらいでヒィヒィ言っていては金比羅山には勝てぬぞい。
ここらへんは四天王でも最弱・・・


そんなこんなで金比羅山、久しぶりの観光過ぎる観光で旅気分を満喫したのである。
ああ、神よ!これも普段の絶え間なき労働の恩恵なのですね。
拝啓、マックス・ウェーバー様。
これでまた不断のブルシットジョブに耐えることができますだ!なんて改心することもなく、しかし時間がまだ少しあるので善通寺にでも行くかと重い腰を上げる。
「せっかくここまで来たのだから」と。
次回へ続く。


続きにしてラスト、四国の旅。


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