五十子尚夏

いかごなおか(歌人/未来短歌会 夏韻集)歌集『The Moon Also Rises』…

五十子尚夏

いかごなおか(歌人/未来短歌会 夏韻集)歌集『The Moon Also Rises』(書肆侃侃房)                                                       短歌作品をめぐるショートエッセイ(主に歌集以後の作品について)

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佐藤優樹に煽られている幾たびも見返す夏の野外フェスにて  2021年12月13日、佐藤優樹がモーニング娘。'21を卒業した。卒業コンサートとなった日本武道館公演は,…

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春宵のポルノのごとく極まりぬ耽美的カーチェイスシーンは    以前(※)、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』を題材に取り上げた。僕個人としては、リン…

五十子尚夏
10日前
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冬天の高さを仰ぎつつきみと制空権を奪い合いたし バーバリーの格子柄がどこかほろ苦き記憶に添いてさびし聖夜は くちびるはねじれて紅き薔薇となる滅びゆくもの美しき夜…

五十子尚夏
3週間前
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話しすぎなのは・・・

話しすぎなのはわたしか彼なのか花冷えの美容院にしばらく    三月という季の巡りに幾ばくか感傷的になりながら、その感慨に身を委ねるようにして詠んだ冒頭歌。率直に…

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未来 2024.3月号より

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オフサイド

うすれゆく記憶のなかに幾たびも恋人にオフサイドを説明する    野球かサッカーかで言えば断然に野球派なのだが、一時、深夜に海外のサッカー中継を観ていた時期がある…

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金木犀の香はたおやかに十月のヒューマンエラーの多かりしこと 壁にリトグラフわずかに傾きて西の窓より薄ら陽の射す キッチンへ水捨てにゆく夕さりの肩には二羽の鳥がた…

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2か月前
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歌集未収録

落椿は雨に流れて歌集未収録といわれる歌あまたあり  冒頭歌は、およそ五年ほど前に詠んだ歌なのだが、今にして思えば随分と言い過ぎている。(言い過ぎなのは、いつもの…

五十子尚夏
3か月前
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固き握手に友と別れき空港は季節あらざる記憶の扉 神にも手出しできぬ領域かと思う空港といううつくしき場所 「KIXのXはなに?」 搭乗時間の迫る夕のロビーに 蜂蜜色の…

五十子尚夏
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F・スコット・フィッツジェラルドについて

手のひらで雪を感じたあの冬の心もとないグレート・ギャツビー    甘いなあと思う。冒頭歌は、拙著『The Moon Also Rises』中の一首だが、いかにも初期作品らしい青臭さ…

五十子尚夏
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未来 2023.12月号より

まぐわいの果ててゆくときアメーバの分裂、薄き培養皿のなかに ラ・トマティーナまぶしかりけり肉叢は血潮のごとき朱に染まりて かぶとむしの匂いの夜の性はきらきらとL…

五十子尚夏
5か月前
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ヒューマンエラー:第71期王座戦第4局を振り返って

金木犀の香はたおやかに十月のヒューマンエラーの多かりしこと    最近、将棋を指し始めた。これがなかなか面白くて、僕にしては珍しく長続きしている。藤井聡太八冠の…

五十子尚夏
5か月前

未来 2023.11月号より

七月の窓は大きく開かれてヴィシソワーズの冷ゆるのを待つ 嫉妬深き顔をしている立葵の花の高さを過ぐるときにも FSKはフィギュアスタンドキーホルダーの略らしくその…

五十子尚夏
5か月前
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〈ビズリーチ的〉生きづらさのなかで

うちがわから削られてゆくビズリーチの広告が繰り返し流れて    2010年代あたりだろうか、現代短歌の時流という文脈において、〈生きづらさ〉の表出というのがひと…

五十子尚夏
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頭痛持ちふたりは眠る紫陽花の色うつりゆく雨のあわいを 雷薄くひねもす雨の図書館にカフカを返すひと借りるひと 夜すがらの雨の上がりに蜘蛛の巣は鋼の色にしずくしてお…

五十子尚夏
6か月前

八月の空港にて

「KIXのXはなに?」 搭乗時間の迫る夕のロビーに    八月某日、関西国際空港の国際線ターミナルは、家族連れの旅行客や新型コロナウイルスの水際対策の規制緩和に…

五十子尚夏
7か月前
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佐藤優樹という人

佐藤優樹という人

佐藤優樹に煽られている幾たびも見返す夏の野外フェスにて

 2021年12月13日、佐藤優樹がモーニング娘。'21を卒業した。卒業コンサートとなった日本武道館公演は,、台湾及び香港を含めた全国137か所でライブビューイングが実施された。当日、僕も映画館にて彼女の雄姿を見届けた。あちこちでサイリウムを振る観客のなかで落涙を許しながら。
 30歳を過ぎてアイドルにハマるとは思ってもみなかった。そんな本

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カーチェイスシーンをめぐって

カーチェイスシーンをめぐって

春宵のポルノのごとく極まりぬ耽美的カーチェイスシーンは

 
 以前(※)、デヴィッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』を題材に取り上げた。僕個人としては、リンチのあの気味の悪さがどうも好みには合わない、と。一方、同じデヴィッドでも、デヴィッド・クローネンバーグはというと、かなり贔屓の映画監督である。

 リンチに勝るとも劣らぬ偏執狂的なクローネンバーグ作品において、『クラッシュ』(1996年)

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未来 2024.4月号より

未来 2024.4月号より

冬天の高さを仰ぎつつきみと制空権を奪い合いたし

バーバリーの格子柄がどこかほろ苦き記憶に添いてさびし聖夜は

くちびるはねじれて紅き薔薇となる滅びゆくもの美しき夜に

「Z世代だなんてあなたたち新興ゾンビ映画のようね」

うちがわから削られてゆくビズリーチの広告が繰り返し流れて

なまなまと胸のあたりはつかえたり「中の人は」と言うときなども

都内某所というような曖昧さもて心のなかでお茶を濁した

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話しすぎなのは・・・

話しすぎなのは・・・

話しすぎなのはわたしか彼なのか花冷えの美容院にしばらく

 
 三月という季の巡りに幾ばくか感傷的になりながら、その感慨に身を委ねるようにして詠んだ冒頭歌。率直に言えば、心情の提示の度合いと表現上の抑制とがそれなりに上手くいったと手前味噌ながら思う一首ではあったが、ある歌会でも珍しくまずまず票の集まる結果となった。

 
 それはさておき、件の歌会では、歌そのものの評価とは別に、冒頭歌への反応が人

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未来 2024.3月号より

未来 2024.3月号より

銃声というときの声なまなまと夜の喉は引き絞られて

椀に味噌汁の残りの冷ゆる間をガザ侵攻の報は流れつ

黒き影を帯ぶるゆえ美しき響きもつ或いはセヴァストポリという名も

ニューヨークに戦車の走る恍惚をあかときの夢のなかに抱けり

廃墟よりビル群は聳え立ちてゆく逆再生のヴィデオテープに

灰色の街、血や肉や慟哭のモザイク、匂いは知る由もなく

手のひらに名前を書いてそのときをただ待つのだという人々は

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オフサイド

オフサイド

うすれゆく記憶のなかに幾たびも恋人にオフサイドを説明する

 
 野球かサッカーかで言えば断然に野球派なのだが、一時、深夜に海外のサッカー中継を観ていた時期がある。社会人になってまだ間もない頃だったろうか、いかにもミーハーという感じで長続きはしなかったけれど、当時はプレミアリーグのマンチェスター・シティが贔屓のチームだった。
 アグエロが好きだった。小柄ながらフィジカルが強く、相手守備陣との駆け引

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未来 2024.2月号より

未来 2024.2月号より

金木犀の香はたおやかに十月のヒューマンエラーの多かりしこと

壁にリトグラフわずかに傾きて西の窓より薄ら陽の射す

キッチンへ水捨てにゆく夕さりの肩には二羽の鳥がたわむれて

四間飛車に右四間飛車にらみ合う烏丸通は夕明かりして

パウル・クレー的輪郭を秋風のなかにほどきてあなたは来たり

小糠雨は薄くエタノールの匂いして水族館の横を過ぎたり

雨が重くシティ・ポップが軽やかな窓辺にカポーティを読み

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歌集未収録

歌集未収録

落椿は雨に流れて歌集未収録といわれる歌あまたあり

 冒頭歌は、およそ五年ほど前に詠んだ歌なのだが、今にして思えば随分と言い過ぎている。(言い過ぎなのは、いつものことかもしれないけれど。)自らの歌を「落椿」に喩えるという図々しさは置いておくとして、「雨に流れて」や「あまたあり」はさすがに重い。これだと、落椿は雨に流れるどころか、開き直ってその場に留まり続けていそうだ。

 それはそうとして、当時は

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未来 2024.1月号より

未来 2024.1月号より

固き握手に友と別れき空港は季節あらざる記憶の扉

神にも手出しできぬ領域かと思う空港といううつくしき場所

「KIXのXはなに?」 搭乗時間の迫る夕のロビーに

蜂蜜色の機影がやがて輪郭を失うまでの夕空を見つ

空輸にて求めし古書の見返しのエクスリブリス美しき秋の夜

紐育に秋は来たりぬ恋人を追いかけてゆく夢のなかにも

恋は始まらぬ九月のうすら寒きトランジットの間の三時間

あかときの空港は薄明

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F・スコット・フィッツジェラルドについて

F・スコット・フィッツジェラルドについて

手のひらで雪を感じたあの冬の心もとないグレート・ギャツビー

 
 甘いなあと思う。冒頭歌は、拙著『The Moon Also Rises』中の一首だが、いかにも初期作品らしい青臭さがある。詩情の強度という点ではあまりに脆く、あえて言うなら、「あの冬」の「あの」というところがすこぶる心もとない。

 それはさておき、今回はそんな『グレート・ギャツビー』の作者、F・スコット・フィッツジェラルドにつ

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未来 2023.12月号より

未来 2023.12月号より

まぐわいの果ててゆくときアメーバの分裂、薄き培養皿のなかに

ラ・トマティーナまぶしかりけり肉叢は血潮のごとき朱に染まりて

かぶとむしの匂いの夜の性はきらきらとLGBTQ…

高所恐怖症の人しか愛せぬと女は言えり 緑の瞳

制汗剤のにおいの蠱惑的なるをハンディファンの風が運びき

スマートフォンに記憶を同期させながら人ひとり忘れゆく夏の夜か

巨人サヨナラ負けの短夜にタクシーはまだつかまらぬまま

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ヒューマンエラー:第71期王座戦第4局を振り返って

ヒューマンエラー:第71期王座戦第4局を振り返って

金木犀の香はたおやかに十月のヒューマンエラーの多かりしこと

 
 最近、将棋を指し始めた。これがなかなか面白くて、僕にしては珍しく長続きしている。藤井聡太八冠の活躍に羽生善治九段の将棋連盟会長就任もあって、メディアでも頻繁に話題となる将棋界だが、世間でもしばらく前から空前の将棋ブームが到来しているという。

 もともとは、いわゆる〈観る将〉だった。タイトル戦など注目のプロ棋士の対局について、棋譜

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未来 2023.11月号より

未来 2023.11月号より

七月の窓は大きく開かれてヴィシソワーズの冷ゆるのを待つ

嫉妬深き顔をしている立葵の花の高さを過ぐるときにも

FSKはフィギュアスタンドキーホルダーの略らしくそのさやけき響き

たまゆらを天使が通りたるのちに騒立つ初夏の教室あわれ

屋上で待っているわと耳打ちの夢より覚めて雨の土曜日

歯科助手の声に呼ばれてわたくしの名は仄暗きところより顕つ

アンドロイドの臓器のごとく静もりてウォーターサーバ

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〈ビズリーチ的〉生きづらさのなかで

〈ビズリーチ的〉生きづらさのなかで

うちがわから削られてゆくビズリーチの広告が繰り返し流れて

 
 2010年代あたりだろうか、現代短歌の時流という文脈において、〈生きづらさ〉の表出というのがひとつのシーンを生み出していた。歌集としては異例の反響を得た『滑走路』の萩原慎一郎をはじめとして、いわゆる〈生きづらさ系〉の系譜にある歌人たちは、非正規やワーキングプアという現代の一側面を照射しつつ、平成後期という時代の閉塞感をあぶり出してい

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未来 2023.10月号より

未来 2023.10月号より

頭痛持ちふたりは眠る紫陽花の色うつりゆく雨のあわいを

雷薄くひねもす雨の図書館にカフカを返すひと借りるひと

夜すがらの雨の上がりに蜘蛛の巣は鋼の色にしずくしており

雨垂れの音を受けつつ心とは壺のかたちに鎮もるものを 

わたしには靡かぬひとを誘いおり雨後さやかなる夕の珈琲店へ

光らねば蛍と言えず妹を置き去りにした紺碧の森

銀縁の眼鏡をはずす愛すとは強く自動詞だと思いつつ

橋の上と鏡の中

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八月の空港にて

八月の空港にて

「KIXのXはなに?」 搭乗時間の迫る夕のロビーに

 
 八月某日、関西国際空港の国際線ターミナルは、家族連れの旅行客や新型コロナウイルスの水際対策の規制緩和に伴い再び増加する訪日外国人観光客で混雑を極めていた。夏季休暇を謳歌する多くの旅行客に混じり、僕は、職を新たに異国の地へと赴く友人とふたり、搭乗手続きまでのしばしの時間をともに過ごしていた。

 数年ぶりに訪れた関西国際空港は、大規模な改修

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