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オフサイド

うすれゆく記憶のなかに幾たびも恋人にオフサイドを説明する

 
 野球かサッカーかで言えば断然に野球派なのだが、一時、深夜に海外のサッカー中継を観ていた時期がある。社会人になってまだ間もない頃だったろうか、いかにもミーハーという感じで長続きはしなかったけれど、当時はプレミアリーグのマンチェスター・シティが贔屓のチームだった。
 アグエロが好きだった。小柄ながらフィジカルが強く、相手守備陣ディフェンダーとの駆け引きに長けた類まれなるストライカーだった。その内、仕事に忙殺されるようになり、いつの間にか試合を観ることも稀になってしまったのだが、彼の全盛期であるシティー時代を追いかけられたのは幸運だったように思う。
 近年では、放映権の高騰から海外クラブチームの試合はおろか、代表戦ですら地上波で観られる機会は少なくなった。そうして長らく、サッカーからは遠のいてしまっている。不整脈からドクターストップがかかり、惜しまれながらアグエロが現役を引退したことを知ったのも、随分と後になってからのことだった。

 
 そんなサッカーに関しては、僕自身も素人同然なのだが、競技としてのサッカーを語れるかどうかの最も初歩的なライン、それが「オフサイド」だと思う。
 ピッチに立つ選手にとっては相手との駆け引きの最たるところで、一瞬のタイミングを計って相手の裏を取る抜け出しや、相手攻撃陣フォワードとのディフェンスラインの攻防もあるいは見せ所なのだろう。一方、僕のようなにわかの観客にとっては、オフサイドは何よりもフラストレーションを感じる瞬間だ。絶妙なパスが通ったと思った直後にオフサイドフラッグが上がると、瞬時に興奮はため息へと変わってしまう。

 
 ひとたび理解してしまえば、さして複雑というわけでもないオフサイドだが、誰かに説明するとなると話は別だ。ルールブックやWikipediaに記載されているような語り口ではなく、幼い子どもやサッカーにはそれほど興味のない人に伝えるという場合には、とりわけ。

 あるいは、手に汗握る白熱の試合中、ワンプレーに一喜一憂するさなかに、ふと隣の恋人がこう訊いてくるような場合も。

「ねえ、今のオフサイドってどういうこと?」

 答えに窮しながらも、スリリングかつどこか甘美な瞬間―— そんな一瞬の光景をときおり夢に見る。それは遠い過去に実在していた瞬間のような気もするし、もしかすると、記憶の瑕疵が脳裏に描く幻影にすぎないのかもしれない。
 
 そのどちらとも判断がつかぬままに、幾度も見返す夢のなかで、僕は答えを探し続けている。

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