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これも「お茶」だと言い続ける

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毎日点てるお茶,茶人の修士論文,バーチャルろくろ。バラバラに見える活動に共通していたのは,ある主張でした。
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#エッセイ

気を揉む割に,優しくない人。

気を揉む割に,優しくない人。

ここでこう言ったら,ここでこうしたら,目の前の人は喜ぶかもしれない。いや,目の前にもいない遠くの誰かのためなのかも。
そんな考えが駆け巡る間,私は何も親切なことをしていない。

私がどんな言葉を投げかけないから相手が不幸だとか,私が気にしなければ可哀想だとか,思い上がりではないだろうか。

他人の言動をどう捉えるかは本人次第。
ひいては私が優しくしないことを不幸だと思うかどうかも,本人次第。

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下手な文章を公開する人の心理(私の場合)

下手な文章を公開する人の心理(私の場合)

書いた文章が,自分で撮った写真の数千分の1しか褒められない。単純に文章より写真ばかり公開しているからだと思いたい。

しかしどれだけ書き直しても読みづらく,自分でも文章の下手さに驚く。

学生だった2年前も,寝不足を言い訳にできない,日本語ネイティブとは思えない文法で修士論文を書いた。辛々読んでいただいた後の,指導教官の一言。

「全力を出してない人の書くものは整ってるけど,あなたの書くも

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人生の「小ささ」について

人生の「小ささ」について

今の生活の小ささを,私はずっと認めたくなかった。

誰かと比較されたり,嫌なことを言われたりするたび,そういう扱いをされるのは自分がちっぽけだからだと思っている。大して言い返せない自分の小ささに耐えられない。

そうやって自分が小さいと感じる理由を,いつも誰かのせいにしてきた。

私は向上心を振りかざして,大きく大きくなろうとしている。
一緒にいる誰かが私を「大きく」見せてくれたらそりゃ助かる

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悪循環でしかない「努力」もある

悪循環でしかない「努力」もある

人は「これだけ努力したんです」と言いたい努力をしているのではないか。

しかし「これだけ努力をしてるので」なんて,自信を持って言えない。できない人間だと思われることよりも,「これだけ努力してるので」なんて言い返せないのが悔しいこともある。
昔より今の自分ならもっと上手くできることも,確実にあるのだが。

目に見えて「これだけ努力」をしていた時期もあった。そして結果ではなく「visibleな過程」の

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見えている部分だけが人生ではない。

見えている部分だけが人生ではない。

いかにも意識の高い学生だった頃,ニュージーランドに行った。素朴な人が多い,意識の高さとは無縁の土地でSNSを開くと,日本の知人のツイートをいつものようには読めなかった。

SNSは,人生の一部を自己申告する場だ。その自己申告(=人に見せている部分)が並ぶタイムラインに,どうしようもない違和感があった。
「人に見える部分だけが人生ではない」と痛切に感じたのはその時だ。

*

帰国してから,院試

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なぜ「お茶が好き」と言えないのか。

なぜ「お茶が好き」と言えないのか。

好きだという自覚がなくとも熱中できたり,考え続けることができたり,気分が最悪な日もお茶を点て続けたりできる。1日の過ごし方を考えることは,1日のどこにお茶の時間を設けるかを考えることであり,プライベートでもお茶がきっかけの人々と会っている。

しかし,別に「お茶が大好きです」と話したことはない。少なくとも,自分からそのようなポジション取りをしたことはない。

ではなぜ現代茶道を(学士から修士まで)

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「正しいと思うことをする」ということ

「正しいと思うことをする」ということ

2017年7月26日。京都に滞在中,神社の住所を伝えてタクシーを呼ぶと,車内で宗教の話になった。ドライバーさんは,お坊さんから聞いた話を教えてくれた。

「色んな宗教があるけど,お坊さんたちの間では,どの宗教が正しいことやってるっていうのはみんな分かってるらしいんですわ。

だから私聞いたんです,なんで正しいと思ってる宗教をせんのですかって。
そしたら『もうここまで民衆騙してしもたら,もう後には引

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