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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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#言葉

言葉にしてみること

言葉にしてみること

中学三年生も受験が近づいてきた。三角柱の体積を求める問題。図としては見取図がそこにあり、ABとACが4cm、ACも4cm、そして∠BACが90°と書いてある。多くの生徒にとっては簡単な問題だ。空間図形の問題を解くためには、見るべき平面を、真正面から書き直して考えるのが基本である。福岡県の公立高校の入試問題は、それを必要としている。それで底面の直角二等辺三角形の図を書いて、「底面積×高さ」の公式に当

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書くこと

書くこと

「問題をよく読みなさい」とだけ生徒に言っても、「読んでるよ」としか答えようがない。しかし、現に読み間違いがあり、なかなかなくならない。
 
文が実は読めていない、という衝撃的な事実を提示したことで、『教科書が読めない子どもたち』といった本は、一時的に話題を蒔くことができた。だが、事の深刻さは世を変えるほどには至っていないように見える。その本を著した新井紀子氏は、AIの研究家である。その研究過程で、

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思い込みは誰にでもある

思い込みは誰にでもある

長男が小学生のときのことだった。作文を書いた。今度はたこ焼きの話ではない。教会学校でクリスマスの話を聞いたことだった。マリアの懐妊に先立って、親類のエリサベトが洗礼者ヨハネを授かる。
 
若い女の先生だったが、「エリサベト」のところを、朱で「エリザベス」と直していた。いや、彼は「エリサベツ」と、その時の聖書に従って書いていたような気もする。
 
先生は知らないんだね、と私は息子に説明し、そのことに

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あなたの居場所ではない教会

あなたの居場所ではない教会

言葉としては同じものであるにしても、その概念というか、それが指している内容については、使う人により意味は様々であるだろう、というのが私の持論である。いつでもそれを前提にして考え始める必要があると思っている。そうでないて、同じことをその言葉で考えているように錯覚して決定したことが、後で、そんなはずではなかった、ということにきっとなるからである。
 
聖書は二千年以上昔の本である。新約聖書は新しいが、

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説教の違いと救い

説教の違いと救い

この2月に、礼拝のレスポンスとして「要石なるキリスト」のことを綴った。そのときの説教は、「家を建てる者の退けた石が/隅の親石となった」は、ルカによる福音書と、その根拠となる詩編とが引かれていた。そのとき、「隅の親石」に関して私が聴いたことから、次のように記していた。
 
★エルサレムのような中東の町は、城壁で囲んで身を守ることが多いであろう。内外の出入りのためには門が必要であり、厳重に管理されてい

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「福音」と「生きる」のつなぎ方

「福音」と「生きる」のつなぎ方

「生きる」という言葉自体についても、いろいろ考察を深める意味があるだろうと思う。が、いまはそこには関わらないことにする。
 
ここに「福音」という言葉がある。日本語だと硬い感じもするが、聖書に使われているギリシア語からすると、「良い知らせ」という意味が見て明らかな語である。その「知らせ」という部分は、「天使」につながる語になっており、天使とは神からの「知らせ」を担う存在である。「メッセンジャー」と

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日本語の単語と聖書

日本語の単語と聖書

高校受験でも大学受験でも、英語について言及されるのが、単語はどのくらい憶える必要があるのか、ということだ。高校受験ならば、いまは小学英語があるために、2000語を下ることはないようだ。大学受験ならどうだろう。ざっと5000語くらいは標準となるのだろうか。高校生活で1日3個増やすノルマが課せられることになる。
 
ただ、日本語の単語の数はどのくらいか、という話が話題に上ることは、まずない。元々母語と

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私は聖書を学ばない

私は聖書を学ばない

礼拝説教で、違和感を覚えるひとつの言葉は、「学びましょう」という言い方である。聖書を説明する。そしてそこから、何々を「学びましょう」という件(くだり)である。
 
私は、聖書から、特に説教から学びはしない。教えられはするかもしれない。ただ命じられるというように捉えることもある。また、気づかされるということは度々ある。説教が神の言葉であるのならば、こうしたことはあたりまえのことだと理解している。言う

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恵まれる礼拝説教がある

恵まれる礼拝説教がある

「この説教を、ぜひほかの人に聞かせたい」などと言うと、少し高慢に聞こえるだろうか。「あの人に、聞いてほしい」と素直に思うような説教がある。「この」というのが、ある日の特定の説教である場合もあるが、同じひとの次の説教を信頼している場合には、「この人の説教を聞いて戴きたい」という言い方にもなる。どういうシチュエーションであってもいい。
 
教会の礼拝に参加している方は、そうした礼拝生活を送っているだろ

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いのち

いのち

教会での礼拝説教はいのちを与えるはずだ。これまでも幾度か繰り返してきた。ではその「いのち」とは何なのか。私は説明したことがない。実はこれは、難しい問題なのだ。単純な定義もできないし、聖書から拾い上げて示すこともできない。第一、私自身がそのすべてを理解しているわけではない。理解もしていないことを以て、平気で説教について言及していたのだから、ある意味で詐欺的であったことになる。それは否定しない。
 

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説教は命を与える

説教は命を与える

教会や宣教について、やたら「困難な時代」というフレーズを持ち出すと、説教になるというのは、思い違いである。その中で「信じていきましょう」「神に委ねて歩きましょう」としか結論が出なかったら、昭和期の教会学校である。もちろん、それが間違っていると言うつもりはない。
 
その間がないのだ。せいぜい、与えられた聖書箇所の説明を加えて、尤もらしい励ましで終わると、説教になるような気がするらしい。取り上げた聖

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出来心

出来心

生活に困っている人のために配分されることになった給付金などについて、不正に取得している者がいることが明るみになり、国民は怒っている。当然である。これを国税局の職員がやっていたとなると、言語道断であるし、政府の面目が丸潰れである。だが、それだけを悪者にするわけにはゆかない。それ以前から、一般人の中で多々なされていることが浮かび上がり、テレビのワイドショー関係が、熱心に取材して伝えている。
 
こうし

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とりあえず

とりあえず

とりあえず
全員
悔い改めよ
 
教会の前方に大きな文字で貼ってあるこの文字が、SNSに出ていた。かなりウケて、くすくす、というようなコメントが続いた。
 
でも待てよ。笑うというのは、これを冗談だと受け止めたのだろうか。ユーモアに満ちた表現だと思ったのだろうか。
 
だって、「とりあえず悔改めよ」って、おかしいじゃん? 別にどうでもいいから、なんか悔い改めてみなよ、と言っているみたいでさ。
 

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福音を語るために不可欠な一点

福音を語るために不可欠な一点

人間的な欠点をとやかく言う必要はない。福音を公的に語る者も、ひとりの人間であり、様々な側面をもつはずである。だが、これなしではそういう立場に就くことはできない、という決定的な何かがあることを、私は認める。
 
キリスト教の信徒として生きること、その場でキリストを伝えること、そこには不思議な導きというものがあって、当人がたとえば捨て鉢のようにしていたとしても、聖霊は豊かに働くことがあって、不思議な救

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