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哲学のかけら

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哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあた…
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#言葉

「私たち」という言葉(続)

「私たち」という言葉(続)

難しい言葉で説明されると、理解するのも難しくなるだろう。前回の「私たち」という言葉について、もう少し具体的に改めてお伝えできたらと願いつつ、触れることにする。
 
1.自分と共通項をもつ人々と、語る自分とを含む「私たち」
 
誰かほかの人がいて、その人たちと、私とが、皆該当しますよ、ということを言いたいときに、私が使う言葉が、この「私たち」である。至って普通の感覚だと往っていと思う。説教者が、「私

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「私たち」という言葉

「私たち」という言葉

英語の文を日本語訳するとき「he」を「彼は」と訳すのは、当たり前となっている。だが、考えてみれば、これは本来の日本語ではないような気がする。日常、そんな言い方を、果たしてしているだろうか。多分、していない。だから私も、違和感を覚える。実際、小学生用の英語の教材では、「その男の子は」のような説明をしていることもある。
 
それに対して、「we」を「私たちは」と訳すことについては、そこまで違和感を覚え

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前提となるもの

前提となるもの

ひとが発言をするというのは、不思議なものだ。頭の中に構築したものをゆっくりと出す、という場合もあるが、たいていは、口に出しながら考えているものだ。だから、自分でもよくそんなことを考えていたな、と驚くようなことが、口を突いて出てくることもある。言ってみて初めて、そうなんだ、などと感心するようなことがあるのだ。
 
もちろん、その逆もある。あんなことを言わなければよかった、と後悔することもある。それの

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『いつもの言葉を哲学する』(古田徹也・朝日新書)

『いつもの言葉を哲学する』(古田徹也・朝日新書)

2021年12月発行。ウィトゲンシュタインについての分かりやすい本を書いた人だと後で気づいた。言語についての堅い話がお得意である。が、これは至って分かりやすい。「いつもの言葉」なのだ。なにげなく広く使われている言葉遣いだが、ふと考えると、何かおかしい。違和感が消えない。そんな言葉があるものだ。私は実はかなり多い。こだわる必要のない場面もあるし、事実使っているのだが、何か引っかかる。抵抗がある。そん

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本当にそれでいいのか

本当にそれでいいのか

「民主主義」は絶対的な善である。
「分断」は悪である。
 
本当にそれがすべてなのか。そこから何か間違った道に水が流れていくようなことにはならないか。こうした眼差しで、世を見張ることにも、キリスト者は神から期待されているものだと考えている。
 
たとえば「民主主義」は、古代ギリシアのプラトンからみれば、衆愚政治であり、人間社会を滅ぼすものと見られていた。もちろん時代背景や政治状況がいまとは異なる。

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「じっぷん」の一言からの連想

「じっぷん」の一言からの連想

「残り、じっぷん」。テスト監督のときに宣言すると、子どもたちの間で「じっぷん……」という声がいくつか重なって聞こえてきた。夏期講習は、初めて塾に来るような子がいる。ふだんから来ている子は、私がいつもそう言うので慣れているが、そうでないとどうやら変に聞こえるようなのだ。
 
言うまでもなく、「10分」は「じっぷん」と読む。日本語で「じゅっ」という漢字の読み方はない。「十戒」も「じっかい」である。
 

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変化する言葉とその力

変化する言葉とその力

エクシード英和辞典というのがあって、使う人の好みによるだろうが、私にとっては重宝した。中古品が格安で出回っているのは、人気がないということなのだろうが、スポルジョンを読むために役立つ英和辞典でコンパクトなものは、これのほかは知らない。
 
スポルジョンは、19世紀イギリスの説教者である。と、このようなことを説明しなければならないほど、時代は変わったのだろう。かつては知らない人はいなかった。二日にひ

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言葉の罠とその克服

言葉の罠とその克服

言葉にしてしまうこと。「分節」という語の理解を、そこに重ねてみる。「分節」は元来、言語を考察する上で、発音や意味を区切ることを意味する。しかし、心理的には、ありとあらゆる事象の中から、一部を切り取った形で捉えることと見てもよいだろう。抽象化することにも比せられるが、何を以て抽象とするかどうかに必然性が伴うのではなく、恣意的なものがあるとすれば、むしろ捨象することだと見たほうが適切であるように思われ

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