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教会の問題

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キリスト教会はとても居心地のよいところです。でも、満点を期待してはいけないでしょう。たくさんの問題を抱えています。とくに内側にいると見えないものを、なんとか見ようとするひねた者が…
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#正義

言うべきこと

言うべきこと

確か、小学六年生の時だったのではなかったか。交通安全の作文を書いたら、県で入選してしまった。公欠扱いで車に乗せられて、警察署に行って表彰されたことがあった。小学生に似つかわしくない、ルーズリーフファイルの、けっこうビジネスライクなものをもらったと思う。それと、テプラか何か。こういうのに現金関係は出ないことになっている。
 
その作文が、警察関係か何か、公的な新聞(広報紙)で公表された。交通遺児とな

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聖書と生きる礼拝

聖書と生きる礼拝

聖書を読んでいる、というだけで、人間が善くなるわけでもない。だのに、勘違いをするのが人間というものだろうか。そうした人間の醜さやつまらなさの故に、聖書そのものが貶められるということもありうる。しかし、それもまた違う。
 
聖書自体、人間たちが集い、これは聖書だ、これは聖書ではない、と決めたものであることは間違いない。外典になったから、神の言葉ではなく、正典だから神の言葉である、と峻別してよいのかど

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刹那主義の見直し

刹那主義の見直し

  今さえよければ
  今倖せなら
 
歌詞にもあるこうしたフレーズの考え方は、しばしば「刹那主義」と呼ばれる。「刹那」は仏教用語であり、最小の時間単位とも言われる。一秒の何十分の一か知れないほどの、まさに瞬間であるが、これに「主義」が付くと、いまこの瞬間だけの感情に身を任せ、過去も未来も何も気にしない、という生き方の姿勢を意味することになる。
 
そんな、後先も考えないような生き方など、よろしい

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世界平和のために祈ること

世界平和のために祈ること

世界平和を祈ることは、簡単にできる。そう言うと偉そうに聞こえ、反発を買うことにもなるように思う。世界はこんなにも混乱しているではないか。戦争反対のために祈らないというのは、無責任極まりないことだ、けしからん、と。
 
祈らない、などと言っているのではない。それは簡単なことだ、と言っているのである。実現が簡単なのではない。口にするのにためらいをもつことがないだろう、ということだ。
 
あなたと仲違い

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建国記念の日と信教の自由を守る日

建国記念の日と信教の自由を守る日

人は、自分が「正義」だと思ったら、とことんそれが世界の正義となり、自分がますます正義に貢献する者のように思い込みが加速するものらしい。
 
待てよ、その見方にはどこか問題がありはしないか。自らそのようなブレーキをかける意識のある人は幸いである。「ゆず」の歌ではないが、坂道を、ブレーキをかけながら下って行きたいものである。
 
それというのも、今日の「建国記念の日」を巡って、自分たちの思いが燃え上が

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本当にそれでいいのか

本当にそれでいいのか

「民主主義」は絶対的な善である。
「分断」は悪である。
 
本当にそれがすべてなのか。そこから何か間違った道に水が流れていくようなことにはならないか。こうした眼差しで、世を見張ることにも、キリスト者は神から期待されているものだと考えている。
 
たとえば「民主主義」は、古代ギリシアのプラトンからみれば、衆愚政治であり、人間社会を滅ぼすものと見られていた。もちろん時代背景や政治状況がいまとは異なる。

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竜とそばかすの姫

竜とそばかすの姫

映画「竜とそばかすの姫」を見た。有名になった作品への奇妙な称賛と、その逆のこきおろしなどに関わるのはごめんなので、制作者には失礼かもしれないが、非常に個人的な視点からのみ、少し触れる。「少し」というのは、いわゆるネタバレを起こしてはいけないということを意味する。
 
ヒロインの、バーチャル空間での名は「ベル」である。これで「ベルと竜」が私の頭に思い浮かばないはずがない。ヒロインの名を知ったときに、

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ひとを悪く思ってはいけないのか

ひとを悪く思ってはいけないのか

論理正しくあればよいのだ。そういう感じで押し切ってくる人がいる。職場の上司であると、これはもう逆らえない。こうだからこうするはず。何故できないのか。何故そんなことを言ったり訊いたりするのか。
 
しかし、そこで繰り出される論理は、しばしば別の場面とは食い違うことがある。ある時にはAだから、と理由を付け、ある時にはAではないから、と理由を付ける。要するにその時々に、自分が言うことが正しいのであって、

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