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2018旅する土鍋

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2013年より毎年おおきな土鍋をかかえて「旅する土鍋イタリア」取材。2018年夏は『第2弾ペーパーブック』を仕立てる予定。WEBサイト、FBページでもご紹介はあるものの、ひと足先…
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#イタリア料理

「旅する土鍋2018」ケッパーの花とつぼみ

「旅する土鍋2018」ケッパーの花とつぼみ

「黒オリーブはガエター産か?」と刑事が聞くと「もちろん!カッペリ(ケッパー)はパンテレッリーア島のものだ」とレストラン店主が応えるシーン。黒オリーブやケッパーを入れる料理「タコのルチアーナ風」をオーダーするシーンだけで唾液があふれてくる。

上記は「刑事モンタルバーノ」というイタリアの刑事ドラマのワンシーン。毎回出てくる食事のシーンが好き。気の利いた会話がなされるのがイタリアならでは。

(IL

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「旅する土鍋2018」マルケ編 ①列車の中のサンドイッチ

「旅する土鍋2018」マルケ編 ①列車の中のサンドイッチ

七人の女サムライイタリアの包丁はなんとも切れない。
「ねえ、さわこ~」とキッチンに入ったら、料理人さわこ氏が2本の包丁をカキーンカキーンといい音を立てて擦り叩いていた。
その姿に、オヌシ!と言ってしまったほど彼女はサムライだった。

B&Bラ・シェンテッラのオーナーであるロベルト フェレッティ氏が昨年から企画してくださっている「旅する土鍋」のマルケ版。去年のイベントに続き、今年は参加者がもっと増え

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「旅する土鍋2018」ねこまんまとパッパ

「旅する土鍋2018」ねこまんまとパッパ

“イタリアは食材に恵まれているから何でもおいしいのよね” つい言ってしまいがちな言葉だが、海外至上主義に向かうべからず。同じ食材や味を求めたり、レシピを極上になぞらえようとするから「ムリ」が発生するわけで。それは日本に住みながらつくる毎日の食事、そして生き方も同じ。

おいしいものだけでなく、モノをつくるのも同じ。

少し前も書いたが、なにを求めて我を批判し、至上主義に迫るのか。なにを求めて自虐的

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「旅する土鍋2018」 晩餐会の寸景と祝詞

「旅する土鍋2018」 晩餐会の寸景と祝詞

スプマンテのポンッ!という音と、賞賛の言葉と喝采がとぶ瞬間は、映画を観ているようで。

「旅する土鍋」は人生の岐路にも遭遇するわけで、カラブリアの家族の息子のお祝い晩餐について。

(写真:フィンガーフードやミニドルチェ!)

カラブリアの家族にはふたりの息子がいて、先日の記事は歯科医になった次男とのツーショット。今回は、整形外科医の専門学位を取得した長男の授与式と研究論文発表会のため大学へ。論

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「旅する土鍋2018」チャンボッタとかチョケチョとか?!

「旅する土鍋2018」チャンボッタとかチョケチョとか?!

「チャンボッタ」

オチャラケたくなるようなるような名前の料理は、どちらも「カポナータ」や「ラタトゥイユ」に類似し、カラブリア州に限らず、ローマ以南で名前や材料を変えて『ごった煮』として肩ひじはらずつくられている家庭料理。この夏もカラブリアのマンマがつくってくれて無論美味。レシピも書いてくれたが覚えられるほど特別なことはない。使う野菜も前者の2つに似ているが、酢を入れる前者とは異なり、葡萄酒も入れ

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「旅する土鍋2018」旬に満ち足りた料理

「旅する土鍋2018」旬に満ち足りた料理

料理に際して無理をしない。我が家の毎日のごはんも決して無理なんかしていないから、もう引くこともないのに、どうして完全がその先にあるような「手抜き」とか「時短」という自虐的なコトバを使ったりするのだろう?
うだるイタリアの太陽に満たされながら突然に疑問符が浮かんでしまった。お人柄もそうだが、料理に対しても足るを知る心をもっているイタリア人を前にいつも学ぶことがある。何事に関しても無理をしていないから

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旅する土鍋 2018 −微笑みと広場−

旅する土鍋 2018 −微笑みと広場−

2018 07/19 Bologna ボローニャ(ボローニャ山間部)

ボローニャシリーズつづき
ー生きるものとしてー
ーつくりたかった景色–

なぜこ毎年、全身全霊で「旅する土鍋」をかかえてイタリアを回っているの?そう聞かれることには慣れたし、確かにしつこいなあと自身でも思ったりね。まだまだ見たいし感じたいことがたくさんあって、そのひとつが「ピアッツァ=広場」の原体験なのかもしれなくて。

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旅する土鍋2018 −つくりたかった景色–

旅する土鍋2018 −つくりたかった景色–

2018 07/19 Bologna ボローニャ(ボローニャ山間部)

ー生きるものとしてーよりつづき

弟子業を終えてイタリアを離れ日本で窯をかまえてから、”つくりたい作品”とか ”目指すべき作品” ”理想の作品” という縛りのある思考がなかったように思う。それ故なのかとても気持ちが自由であった。20年を振り返ると、自らをワクワクさせたいという感情が先立っていたと内観する。

ボローニャの彼

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旅する土鍋2018 –生きるものとして–

旅する土鍋2018 –生きるものとして–

2018 07/19 Bologna ボローニャ・ロイヤーノ(ボローニャ山間部)

デザインとは成形のステップにおいて使われる言葉だけではなく、モノコトの先にある何かを探すときに、そしてヒトが集まるという意味でも使われるのだろう。「旅する土鍋」は料理をつくり”おいしい”と言わせるためにあるのではない。

20年前ミラノの工房でろくろを回していたときに突然あらわれた彼女はこれから美大生になる学生だっ

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旅する土鍋 −生産者のパッション2−

旅する土鍋 −生産者のパッション2−

2018 07/14 Marche マルケ州

歳を重ねるということは老いるばかりではなく、むしろ工夫と経験を重ね、歴史を語るということに強くつながる。

「旅する土鍋」はイタリアの郷土料理を紹介しつつ、ボーダレスで土鍋の使い方を伝えたく各地をまわっている。今や東京にいてもイタリア料理はつくれる時代であるが、ここに来る意味としては –生産者のパッション1−でも書いた通りだが、可能な限り地産地消

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旅する土鍋2018  –生産者のパッション−

旅する土鍋2018  –生産者のパッション−

2018 07/13 Marche マルケ州
写真: ウンベルトさんちの農園にて

「旅する土鍋」で郷土料理をつくってもらうときは、まず食材について話し合う。トマトやチーズや小麦、肉や魚など、イタリアどこでもあるものだが”同じもの”と侮るなかれ。その土地の気候、そしてパッションがその味をそれぞれに変えるのだ。

「パッション」なんて今どき簡単に使える言葉ではないけれど、ここにいるとたくさんのパッシ

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