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中本卓利プロフィール

問いへのお答え

 全国を回ってアイデアをカタチにする支援を手掛けていると、たくさんの質問を投げかけられる。「タクトさんって、何者なんですか!?」「どうして全国を飛び回ってるんですか?」「情熱はどこから湧いて出てくるんですか?」といった風に。

 もちろん、そういった問いには適宜お答えさせていただいているものの、言葉足らずのせいかドン引きしたコメントが届くことも多々。「タクトさん、頑張り過ぎで逆に引いちゃいます…いったい何に駆り立てられているんでしょうか…?」「活躍の裏にはきっと、強い想いがあるんですよね?けどタクトさん、全然語ってくれないのでちょっと怖いです…」といった風に。

 そこで今回、自分に興味関心を持ってくださった皆さまにきちんと自分のことをお伝え出来るよう、ここにプロフィールを整理して残しておきたい。生まれ育った環境から学生時代、そして社会人生活を進める中で「アイデアをカタチにする」というお仕事にどうやって出会ったのか。そしてその取り組みを進める中でどんな成長を遂げ、今の生き方にどんな風にして辿り着いたのか。ただ約7,000文字とちょっとだけ長いので、気が向いた時にお目通しいただけると嬉しく思う。

始まりはミカン

 まずは生まれ育った環境から。和歌山県出身だ。実家が代々ミカンを育てていたこともあり畑の中で遊んで育つ。除草・摘果・水やり・剪定・収穫まで家族みんなで取り組むことが当たり前の日々。そんな風にして自然の中で育ったことが影響してか、人から何を聞いても素直に受け入れる性格となり、またところどころ抜けているところがあったことから、周りからは「素直な天然」と呼ばれるように。

ミカンを育てることが当たり前の子供時代

砕かれた慢心

 そしてその素直さで先生や大人の言うことを聞き続けた結果、ある程度の学力が身に付き、当時和歌山県内の公立で偏差値トップであった和歌山県立桐蔭高等学校の数理科学科(理系)に推薦入学。

 しかしながら、それが見事な慢心に繋がり「自分だったら京都大学ぐらい行けるんちゃうの?(東京は人が多過ぎて怖いし、和歌山に近い京都がいいなぁ)」と考え始めることに。その勢いで京都大学人間総合学部に突撃し前期後期共に見事に撃沈。

 金銭面で親に迷惑をかけられないと考え宅浪(自宅で浪人)を選択。しかしながらその選択の結果「変わらない教科書・変わらない人間関係・変わらない風景・変わらない…」といった無数の「変わらない」ものたちに取り囲まれ、見事に心を病んでしまう。それもあってストレス発散で大好物のチョコを食べ続け体重も15㎏以上の増量を果たす。

 そして改めて挑戦するも見事に撃沈。この出来事をきっかけにプライドは勢いよく砕け散り、一人称が「俺(は出来る)」から「自分(なんて)」に書き換わることに。そして当初目指していた所と似た学部があり、また和歌山に近いという理由から神戸大学の国際人間科学部(※旧発達科学部)へ。

大学からは国際交流

 宅浪時代の変化のない日常の反動から「もっともっと世界を知りたい!」「見たことも聞いたこともないものに触れたい!」といった気持ちが昂り、それが最も満たせそうな国際交流や留学生支援を学業の傍ら始めることに。

 留学生の銀行口座開設や健康診断対応、他には生活備品調達まで多岐に亘る支援活動があったものの、自分は留学生Welcome Partyや留学生とのCooking Partyといった人と人との出会いに溢れる企画運営に没頭することに。またそれだけに飽き足らず、夏休みはアジア圏の学生と果てなく議論を交わす合宿等にも飛び込むことも。

 当時の自分は「変化に満ち溢れていて最高!」「世界中の美味しい料理が楽しめて最高!」「気付けば英語まで自然と話せるようになって最高!」「世界中の面白い友達が出来て最高!」と夢中になっていて、留学生支援を仕事にできればどんなに素敵な日々だろう?と本気で考えていた。

留学生Welcome Partyの様子
留学生Cooking Partyの様子

  けれども就職活動を進めていく中で、留学生支援のお仕事というものは中々にない(だからこそ神戸大学では学生団体Trussがボランティアで手掛けている)という現実を目の当たりにし方針転換を決意。自分が他に大好きなことは何かと洗い出す中で「タクトは子供時代から数字や迷路が大好きだったよ」と母からコメントを貰い、「確かに!高校で数理科学科を選んだのもその理由だったし!論理も大好きだし!それが特に活かせる場所はどこだろう?」と生きる道を探った結果、ITでキャリアを歩み始めることに。

社会人からはシェアハウス

 大学卒業後は東京に引っ越し、システム導入コンサルタントとしてキャリアをスタート。会計系・人事系システムの要件定義から仕様作成、検証等に従事。数字と論理の世界だったのでやりがいは感じつつも「バックオフィスの改善」がテーマであったため、「何か新しいことを生み出したい」「変化に触れたい」という気持ちを抑えたまま日々を過ごすことに。

 またお仕事の傍ら、大学卒業直前の春休みにスタッフとして参加した海外研修(アメリカ&メキシコ)のご縁で浅草にてシェアハウス運営を開始。何故にそんなことを始めたかというと「中本くん、東京で働き始めるんだよね?東京は家賃高いよ!シェアハウスに住んで人を募集し続ければ中本くんの家賃を下げれるよ!」「それに面白い人が常に遊びに来て飽きないよ!」という言葉を海外研修の主催者の方(物件オーナー)から貰い「確かに!」と納得してしまったことが始まりだ。

大学卒業直前の海外研修
夜通し談義のシェアハウス一室
冬はコタツで癒されるシェアハウス一室

「人が住めば住むほどお金が集まって住環境をもっともっと良くできる!」「築50年以上が経過した物件でもきっと快適な暮らしが出来る!(笑)」「そうなれば、もっとたくさんの人が遊びに来てくれて、住んでくれて好循環が生まれる!」と考え、シェアハウスの認知向上&住民募集を兼ねて月に一度はパーティを開催し続ける。仕事をしつつのシェアハウス運営だったので、出来る限り準備を削減しようと「メインディッシュは中本用意」、「お酒やサイドメニューは参加者準備」というスタイルで開催を継続。

当時一番の人気コンテンツは「生ハム原木」
「生ハム原木」の会は「生ハムの森」と名付けられることに
「生ハムの森」開催時の様子

 このシェアハウスの起点となった海外研修のテーマが「海外で事業を立ち上げよう!」だったこともあり、起業に興味ある人、海外に興味がある人が遊びに来て盛り立つことに(※物件オーナーにより立て替えられる2017年まで運営継続)。自分としてはシェアハウス運営が面白くて仕方なく全力投球していただけなのだけれども、この場で出会った皆さまとのご縁がその後の人生を大きく大きく変え始める。

シェアハウスから起業へ

 その中で最も大きなインパクトを与えたのが、その後にスタートアップを始めることとなった友人、上記の海外研修でご一緒した仲の彼がシェアメイトに加わったことだ。

 住み始めて数カ月ぐらい経った時のこと、彼から「俺、起業するからStartupWeekend(以下SW)行ってくる。タクトも来るでしょ(笑)」と半ば強引に誘われ参加をすることに。当日までいったい何をするのかすらほとんど分かっていなかったけれども、100名超がアイデアをぶつけ合い、チームを作り、しのぎを削ってスタートアップに挑戦する場の熱量に圧倒され続けた。

No Talk, All Action!!!

SW運営へ

 その熱狂の場に中本を誘った彼はその後、見事に起業を果たすことに。SWが終わった後もシェアハウスに集って打ち合わせや開発をしていた様子は今でも脳裏に焼き付いている。また彼だけでなく、その場に居た多くの方々が次々と起業を成し遂げていくプロセスに感銘を受け「SWって凄い!本当に誰もが心に火を付け行動を起こしていく!」「この取り組みがもっともっと広まって欲しい!」「出来るなれば、自分の故郷のような地方にも開催されて欲しい!」と考え、運営側への参画を決意。

 しかしながらSWは全世界で全員がプロボノ(金銭を報酬に受け取らないことが義務)であったことから、当時勤めていた会社のフレックス制度と有休を組み合わせ活動を開始。まずは数年間は東京で研鑽を積み、プログラムの一連のプロセスを習得。その後にスタートアップやコミュニティに関する様々な研修を受け、SW本部(シアトル)との面談を経てファシリテーター資格を取得。

 そしていよいよ念願の全国行脚をスタート。「自分の故郷にもいつの日か届けられるかも!」「もっともっと多くの人に機会を!」と思うとわくわくして仕方がなかった。ただ、資格取得後もプロボノであることには変わりないので、金曜日の午後と月曜日の午前を休んで新幹線やフライトでの移動時間を確保。人生から休日がほぼ消え去って中々にハードな日々が幕開けたけれども、スタートアップを始められたい皆さまに気付き学びを届ける講座、また実践を積む機会をお届けでき充実した毎日に。

沖縄にて開催の様子
軽井沢(ISAK)にて開催の様子
念願の故郷和歌山(白浜)にて開催の様子

SW海外へ

 そうやって無我夢中になって各地を回り続けていると、自分の中には少しずつ疑問が湧き始めてきていた。本当に自分はこのままSWを手掛け続けて良いのだろうかと。どれだけ週末に全国を回っても所詮はプロボノ。対価をいただいていないということは、実はSWに価値はなく自己満足に過ぎないんじゃないかと不安になり始めたのだ。「街のみんなに火を付けることが出来ました!」「タクトさんのおかげで事業を立ち上げられました!」といった熱烈な感謝の言葉を毎週のように受け取ってはいたものの、自分の心の中に生まれた懸念は消えはしなかった。

 そんな時、自分の人生に転換を与えてくれたのが恩師の奥田浩美さんだ。2016年9月に熊本震災復興の一環としてSWを熊本にて開催した際、審査員として東京からわざわざ来てくださったのだ。中本がSWに関わる以前からプログラムのサポートをしてくださっていたとお話を耳にしたので「どんな風にしてSWと折り合いをつけていけばいいか分からず悩んでいます…」といった旨を相談してみたところ、こんなお返事を貰ったのだ。

「行動量を増やすこと。悩んでるんだったら、今の10倍やってみるといいよ。そうすると要らないものたちは振り落とされていって、あなたにとって本当に大切なものだけが残るから」と。

奥田さんと出会った思い出のSW熊本

 その言葉を聞いて中本は、悩んだら立ち止まったり分析するんじゃなく、死ぬ気で走ればいいのか(!)と妙に納得し、死ぬ気でSWをやり尽くそうと決意。何が待っているのか分からないけれども、もしかすると趣味の世界で終わってしまうかもしれないけれども、立ち止まるには早過ぎると。

 そして決意を固めた直後、奥田さんやスポンサーの皆さまの宴席の場で「そういえばフィリピンのセブ島に開発チームがいるんだよね~。いっそのこと海外でもやってみない?(うろ覚え)」と打診を貰うことに。最初はもちろん戸惑ったものの、10倍やるなら海外でもやらざるを得ないな(笑)と覚悟を決め海外進出の準備をスタート。全国行脚する中で繋がった皆さまのご縁を頼りに頼り、約半年の準備を経てセブ島にて海外初開催を実現。

海外にても No Talk, All Action!!!

 それをきっかけにして「実は海外でも簡単に開けるんだ!日本開催とはまた違った価値が生まれているかも!ここにはもっともっと大きな変化の種が眠っているかも!」といった風にモチベーションが高まり、気付けば中国の深センやベトナムのホーチミンやハノイにても開催を実現。全ての始まりとなったセブ島では気付けば三度も開催を実施。

深セン開催時の運営集合写真
ハノイ開催時の運営集合写真
セブ島で三度目の開催時の運営集合写真


本業もスタートアップ支援へ

 そんな風にして国内外で活動を続けた結果、気付けば自分は全世界で最もSWを手掛ける人物に。SW本部曰く、中本が年十数回であるにも関わらず世界の皆さまは年数回が平均とのことだったのだ。それもあってかSW本部から「Make sure you're not burning out!!!」なんてコメントが飛んできたことさえある。

 それはさておき、そんな風にして動き続けていると創業関連業務のお声掛けをいただくことが増え、2018年からは本業もスタートアップ支援に転換。六本木一丁目にてインキュベーション施設のディレクターを務める。また2019年からは秋葉原でハードウェアスタートアップの支援を開始。月曜日から日曜日まで毎日がアイデアをカタチにする支援で染まることに。

六本木一丁目のインキュベーション施設
(現在は事業転換に伴い閉鎖済み)

 もちろんアイデアをカタチにすると言っても幅広いので補足を加えておきたいと思う。中本が手掛けていたのは「資金を調達しスケールさせる前段階までの伴走」だ。アイデアを生み出すところから全てはスタート。その後は顧客はいったい誰なのか。顧客の課題は存在するのか。課題に対する解決策は適切なのか。解決策は顧客に刺さる製品に落とし込めるのか。どのようなビジネスモデルを実現できるのか、といった具合にアイデアの可能性を一つ一つ段階を追って検証することを主にしていた。

アトツギ様の事業開発支援へ

 そんな風にして昼も夜も平日も休日もスタートアップ支援を重ねていたところ「スタートアップの知見を若手アトツギ(家業を持つ後継者の皆さま)の方々の新規事業開発に活かして欲しい」と新たにお声掛けをいただき、2020年からは一般社団法人ベンチャー型事業承継からエヴァンジェリストを拝命しアトツギベンチャー支援を開始。これまでの「ゼロからイチ」ではなくて「先代から引き継いだ経営資源を如何に活用し、時代に合わせ事業転換を果たすのか」という新しいテーマに取り組み始める。

 そしてアトツギベンチャーはスタートアップとは異なる難しさ、スタートアップではユーザーのニーズに合わせてプロダクトを任意に設計できるけれども、家業では既に用いるべき資源が決まっており中々に取り組み辛いなど、これまで培った知見の応用に骨が折れるシーンに多々出くわした。

 だけれども、世の中で脈々と受け継がれてきた家業がこれからも続き、また発展することには価値があると自分の原体験(代々受け継がれてきたミカン畑)からも信じることが出来たことので、様々な形でアトツギの皆さまに貢献するべく展開を実施。眠っていたTwitterを掘り起こして発信を開始したり、スライドを作ってシェアしたり、YouTubeに登場してみたり、スタートアップのエッセンスを届ける講座を開催したりと多岐に亘る。

講座がNHKに取り上げられることも

YouTubeにても支援を実施

スライドにても知見共有

お声掛けから独立

 そしてスタートアップ支援とアトツギベンチャー支援の両輪を回し続けていると、スタートアップに関する講師やメンター、事業転換支援、またイベントの司会など、中本個人に対して全国から様々なご相談をいただくようになったことから独立を決意。2022年1月に皆さまにご挨拶を実施。

新年及び独立のご挨拶

独立後の生き方

 独立後はこれまでの中本卓利の取り組みが変わるかというと、実は大きくは変わらない予定です。組織に所属して手掛けていたことを、これからは中本個人として貢献させていただきます。変化変革を願う貴方様に貢献出来るよう、全国で培った知見とご縁、そして誰にも負けない熱を届けて参ります。引き続き何卒よろしくお願いいたします。


独立後の取り組み(2022年4月追記)

 2022年4月から新しい領域にて取り組みが増えることとなりました。『フリーランスの価値を証明する』をミッションに掲げるスタートアップSollectiveにて、トップフリーランスが集う場のコミュニティマネージャーを務めさせていただくこととなりました。「スタートアップの皆さま」「アトツギの皆さま」に続き、今後は「フリーランスの皆さま」にもお力添えさせていただきます。

独立後の取り組み(2022年10月追記)

 2022年10月から新しい領域にて取り組みが増えることとなりました。「アイデアをカタチにする支援」の経験を活かし、起業家を目指す学生などの若手、そして投資家の皆さまが集まる「Founder's Circle」にてコミュニティマネージャー、及びオウンドメディアの編集長を務めることになりました。今後は情報発信の分野にても貢献させていただきます。

独立後の取り組み(2023年1月追記)

 2023年から新しい領域にて取り組みが増えることとなりました。実戦形式の新規事業開発講座を日本能率協会の会員である大手企業のご担当者様に定期的にお届けさせていただくこととなりました。「独立してスタートアップを志す皆さま」に続き、今後は「社内で新規事業を担われる皆さま」にもお力添えさせていただきます。

独立後の取り組み(2024年1月追記)

 2024年から新しい領域にて取り組みが増えることとなりました。次世代センシングプラットフォームHAPSの事業開発を担わせていただくこととなりました。スタートアップの始まりだけでなく、スタートアップの成長にもお力添えさせていただきます。

引き続き中本卓利を何卒よろしくお願いいたします。 

P.S.

 新規事業に関するお困りごとや、コミュニティマネジメントに関するご相談がございましたら、LinkednやFaceookにてお気軽にご連絡ください。

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